「note」への「もうあかんわ」な投稿を一冊に詰め込んだ2冊目の著書『もうあかんわ日記』を、ライツ社より発売した岸田奈美さん。
伊藤圭
父は他界、弟はダウン症、母は車いす、祖母は“タイムスリップ”、そしてコロナ禍。メディアプラットフォーム「note」への「もうあかんわ」な投稿を一冊に詰め込んだ作家・岸田奈美さんの2冊目の著書『もうあかんわ日記』が2021年5月、ライツ社より発売された。
「noteの日記を本にしてみませんか?」と出版社から声がかかったときの心境を、「思い浮かんだのは、土佐日記。徒然草。蜻蛉日記。いやいやいや。文学的価値が違いすぎる(書籍より引用)」と本人は謙遜するが、発売から1カ月以内に重版決定。反響を呼んでいる。
出版を前提とせず、すべての作品の多くをnoteに投稿するスタイルは、従来の作家像とは一線を画している。読者のポジティブな反応だけでなく、誹謗中傷もダイレクトに届くネットの世界。そこで生きることを選んだ岸田さんは、何と戦い、何を描こうとしているのだろうか。
100万円超の入院関連費を、noteの収入で賄えた
今年6月にライツ社から出版された『もうあかんわ日記』。
撮影:伊藤圭
「『もうあかんわ日記』をはじめるので、どうか笑ってやってください」
3月10日、そんな印象的な投稿がSNS上に拡散した。岸田さんが前著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』で取り上げた自身の家族が、どうやら大変な状況に陥っているらしい。
「父が他界、弟はダウン症。母は車いすユーザー、からのコロナ禍に生死をさまよう大手術。間に祖父の葬式が挟まって、ついには、祖母がタイムスリップ ── 。」(『もうあかんわ日記』より引用)
長女として家族に関するすべてのタスクを託された岸田さんは、毎日午後9時にnoteで日記を更新すると発表。
この日から始まった37日間の記録が『もうあかんわ日記』として後日出版される。当の本人はこの記録を本にするつもりは全くなかったという。
「(ライツ社から声がかかったときは)え、いいんですか?と思いました。文章はネットで無料で読めますから。しかも今回は前作と少し違って、完全に自分のための文章。買って読んでくれる方がいるのかなと思いました」
日記の投稿を始めた背景には、岸田さんが所属する作家のエージェント会社、コルク代表の・佐渡島庸平さんの後押しがある。
日々めまぐるしく変わる状況を佐渡島さん相手に伝えていると、なぜか少し気持ちが楽になった。人に話すことで客観的になれる。
人に話すことで気持ちが楽になった。佐渡島さんの後押しがあり、今度はその対象をネットの世界へと広げた。
撮影:伊藤圭
話を一通り聞いた佐渡島さんが口にしたのは、意外な言葉だった。
「正直面白いし、自分だけが聞いてももったいないから、noteに書いたらいいと思うよ。たぶん岸田さんのフォロワーは、面白い話が聞きたいというよりも、岸田さんの人生を応援したいと思ってくれている人だから、辛いことでも書いたらいいと思う」
今までは面白いことばかり書いてきたのに、辛い話をしたら読者が離れてしまわないだろうか? そんな岸田さんの不安は、鮮やかに裏切られることになる。
「『もうあかんわ日記』を更新し始めると、フォロワー数が激増して、noteで有料マガジンを購読してくれる方の数も倍に増えました。書くことによって私は折れずにいられて、母の入院関連費100万円をnoteの収入で賄えました」(岸田さん)
ポジでもネガでも、読者の声に「一喜一憂しない」
幼少期からインターネットでの情報に触れてきた岸田さん。
撮影:伊藤圭
7歳のときにパソコンを親に買い与えられてから、岸田さんはまるで呼吸をするようにネット上に文章を書き続けてきた。賞賛も罵詈雑言も激しく飛び交うインターネットの世界で、岸田さんはどのように読者と向き合っているのだろうか。
「応援していただけるのはもちろん嬉しいのですが、あまり一喜一憂しないようにしています。反応がもらえないと辛くなってしまうので。それから、あまり拡散しすぎるのも良くないと思っています。経験上、リツイートが5000を超えてきたあたりから広がり方がネガティブになる。
だから、期待はしないけど希望は持つ、という感じですね。必要な人に届けばいいなと思って書いています」
この一年、岸田さんの身近な複数の書き手がネット上で批判にさらされてきた。(実際に岸田さんに届くコメントも)誹謗中傷と見られるものも少なくない。岸田さんの作品だけでなく、テレビでの発言に向くこともある。そんな経験を経て身につけた、岸田さんなりの対処方法があるようだ。
「想像するんです、『そんなことを言う理由はどこにあるんだろう?』って。実際に私を批判してきた人の話を直接聞いた際に感じたのですが、怒りの矢印は私に向いているようで、実は全然違う方を向いていました。背景にあるのは、自分がないがしろにされていることへの怒りや、思い通りに生きられない世の中への憤り。自分を保つために、他人を批判せざるを得ない事情を抱えているのだと知りました」
自分に対する怒りでないのなら、自分にできるのは気にしないことだけ。SNS上の声には、「ポジでもネガでも反応しない」と決めているのだと言う。
「褒め言葉」と「呪いの言葉」は紙一重
愛する身近な家族との距離感の保ち方から学んだ大切なこととは。
撮影:伊藤圭
「愛するとは、お互いに愛せる距離を探ること」
『もうあかんわ日記』には、そんな一文が記されている。
「わたしはばあちゃんを愛している。だけど、このまま一緒に暮らしていたら、愛せない。だってばあちゃんは、わたしと弟を悲しませ、ばあちゃん自身も悲しませるのだから。怒りは悲しみと似てる」(書籍より引用)
物忘れの激しい祖母とダウン症の弟が一緒に暮らしていることによって、岸田さんの実家ではさまざまな問題が生じていた。「愛する人と離れること」の大切さを知った岸田さんは、祖母を介護施設へ、弟をグループホームへと通わせる準備を始める。
「愛するって、自分に余裕がないとできないなと気づいたんです。相手をどんなに愛していても、自分がずっと不幸なら、私はきっといつか相手を恨んでしまう。人は一生不幸には耐えられません」
それは、ネット上でネガティブな発言をしてしまう人々へのメッセージでもあるという。
「『逃げてもいいよ』と言いたかったんだと思います。(他人を批判しなければならないほど)苦しんでいる人の中には、距離に関わることで悩んでいる人はすごく多いと思うんです。泣いている子どもと一緒にいて辛いとか、親の干渉が辛いとか」
愛しているのなら、ずっと一緒にいるべき ── 。岸田さんはそんな世間の“思い込み”に、警鐘を鳴らす。
「『子どもはお母さんといた方が嬉しいからね』とか『ちゃんと親を介護してて偉いね』と言う人は、褒めているつもりで呪いの言葉をかけてしまっていることがよくあります。愛する人との距離を取りにくくしているのは、その呪いをかけられたことによる思い込み。私はそれをなくしたいんです」
一生書き続けたいのは「愛と祈り」
撮影:伊藤圭
『もうあかんわ日記』の中で印象的なのは、物忘れの激しい祖母と岸田さんのやり取りが描かれたシーンだ。コミカルに描かれてはいるものの、軽妙な筆致の裏に介護の苦労が滲んでいる。
しかし、大変な状況であるにも関わらず、岸田さん本人のネガティブな感情はどこにも書かれていない。人の陰口を決して書かないのは、岸田さんのポリシーでもある。
「最初におばあちゃんと接したときの感情としては、怒りや悲しみはありますよ。でも、今悪口を言ってしまうと、後できっと後悔すると思ったんです。辛い感情を抱くのは仕方がないこと。大切なのは、その感情を手放すことです」
家族をテーマに執筆する機会の多かった岸田さんの、今後一生かけて掘り下げていきたいテーマ。それは「愛と祈り」だという。
「近内悠太さんという哲学者が、私の文章を祈りのようだと言ってくださったんです。“祈り”って絶妙ですよね。誰かに期待するでもなく、でも届いたらいいなという希望も持っていて、愛も含まれている」
「神様ってすごいと思うんです」
岸田さんが不意につぶやいた。
「人は神様に対して希望は抱きますが、期待はしませんよね。でも人に対してはつい期待をしてしまう。期待はいずれ怒りに変わります。大切なのは見返りを求めない行為であって、私はそれを愛と呼ぶんだと思います」
人々が行き交うSNSの世界に、岸田さんは今日も祈りの言葉を送り続けている。
(文・一本麻衣、写真・伊藤圭)
一本麻衣:インタビューライター。一橋大学社会学部卒後、メガバンク、総合PR会社などを経て、2019年3月よりフリーランス。1987年生まれ。twitter:@Ichimai8