東京郊外にある倉庫内にうず高く積まれた不要衣料。ファストファッションの登場によって、倉庫に運び込まれる古着の量は増え続けているという。
筆者提供
2020年12月に『Weの市民革命』を刊行した。2014年に上梓した『ヒップな生活革命』の続編として、自分が暮らすニューヨークのブルックリンなど都会で深刻になるジェントリフィケーション(高級化)や、迫りくる気候変動を前に、ひとりの「消費者」(という言葉には更新の必要を感じているが、ここでは便宜上、使っている)として、持続性が考慮されないこれまでのあり方を見つめ直し、より責任ある生き方を追求しようという時代の流れの記録のつもりで書き始めた。のは良かったのだが、コロナウイルスの到来によって、世の中がそれまで以上の速度で激変したために、その大半を書き直す結果となった。
IからWeで起きた社会変革
コロナウイルスは、気候変動の緊急性に改めて焦点を当てるとともに、それ以前から存在してきた数々の社会の不安定な要素を浮き彫りにした。
まずアメリカの民主党政治家であるバーニー・サンダース氏やアレクサンドラ・オカシオ・コルテス氏に代表される「ファーレフト」や「プログレッシブ」と呼ばれる層が指摘してきた所得格差、教育や医療制度を受けるためのコストの増加などの社会問題を可視化した。さらにそれが社会全体の不安定要素として持続性を妨げていることがパンデミックによって実証されたことで、地域によって医療保険加入のハードルが下がったり、最低賃金が引き上げられたり、これまで民主党が目指しながら実現できなかった改革が徐々に進むようになった。
女性やマイノリティがパンデミックによる負荷を不均衡なバランスで引き受けたことが注目されたこと、ブリオンナ・テイラーさんやジョージ・フロイドさんなどの黒人の命が警官によって奪われてBlack Lives Matter運動が再燃したこと、ウイルスの「起源」が中国と目されたことでアジア人に対するヘイトクライムが急増したことなどで、構造的な不均衡が浮き彫りになり、人種差別の是正を求めるムーブメントがメインストリーム化して、企業はダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包摂)に本腰を入れるようにもなった。
変革が起き始めたのは、有権者や消費者たちが要求したことに加え、企業の内部にいるアクティビストや、明確なビジョンを持つアクティビストタイプの経営者たちといった、さまざまなレイヤーの人々がムーブメントに参加したからだ。タイトルに「We」を使ったのは、これまで個人主義の国だと言われてきたアメリカで、個人主義の弊害が社会問題に昇華していたところへ、気候危機という誰もが当事者であるイシューが悪化したことによって、「I」という一人称より「We」という複数形の使用頻度が増えたことに着目したからである。「私たちの社会」という視点が、革命を引き起こしているのだ。
日本でも起きている価値観のシフト
2020年5月、黒人男性が警察官に殺害された事件をきっかけに再燃したBlack Lives Matter運動。コロナ禍でもアメリカ各地で多くの人がデモに参加した。
REUTERS/Eric Mille
こうした動きをルポとしてまとめたのは、コロナウイルスによって時代が急速に変容した記録を残しておきたかったこともあるが、この動きが日本にも少なからず影響を及ぼすだろうと考えたこともある。とはいえ、変革の具体的な動きはすべて「アメリカのこと」だとも思っていた。
普段だったら本を出した後には、自著を持って日本各地を回り、トークをしながら旅をする。今回はコロナで帰国が難しかったので、アメリカにいながら、Zoomで本を買ってくれた読者と対話をするようになった。対話によって読者との距離が縮まっただけでなく、参加者たちの視点を通じて、気候変動にまつわる生活面での葛藤、会社や社会でのジェンダー不均衡、低賃金や非正規雇用といった数々の社会問題が、アメリカのそれと並行するように、日本でも多くの人を苦しめていることを実感した。
こうした対話によって、それまで一方通行のニュースレターとして配信していたSakumagは、気がつけば読者たちの声を聞きながら作る双方向メディアになっていた。参加の呼びかけに呼応してくれたメンバーたちのおかげで、SakumagはSlackでの情報交換、Zoomでの勉強会、消費者へのアンケート、SNSを通じた発信活動などを通じた有機的なコレクティブに成長し、今、自分が生まれた国の現状を、この社会を生きる人たちの視点から改めて勉強しながら、具体的なアクションに参加できるようになった。
こうした活動を通じて、今日本でも、アメリカで起きたような急速な価値観のシフトが起きていると感じている。この連載「じぶんごとのWe革命」のタイトルは、社会の変動の鼓動を、自分ごととして考えるために、という問題意識から始めるものである。
日本に居場所見つけられず渡米
富の象徴のようなニューヨークの5番街には、多くのラグジュアリーブランドが並ぶ。
f11photo / Shutterstock.com
この連載を引き受けるにあたり、駆け出しのフリーライターだった頃から私を知る浜田敬子さんに、私自身について「ずいぶん変わった」というコメントとともに、「なぜ変われたのか」も書いてほしい、との要望を受けた。
それを語るためにはまず自己紹介が必要だろう。
商店街というものがまだ活発で、大量生産・大量消費がまだそこまで進んでいなかった幼少時代のことは『Weの市民革命』に書いたので割愛するとして、私は1996年に日本を後にしてアメリカに渡った。
高校までは女子校だったし、厳しいと有名だった慶應義塾大学の久保文明教授のゼミ(アメリカ政治)では、24人中20人が女性だったけれど、バブルが弾けて景気が悪化し、優秀な女性学生たちが就職先を見つけることすらままならないという状況だった。渡米には「アカデミアを目指す」という建前はあったけれど、「日本に居場所を見つける自信がない」と思ったのが本当の理由だったと、今になって思う。
アメリカの大学院での修士課程ではおのれの能力を過信していたことを痛感し、アカデミアの道は断念して、メディアの道に進んだが、組織でうまくやれない自分を発見した。今思えば、それも自分が女性で、アジア人であることと無関係ではなかったのだと思うが、組織の中で出世するだけの忍耐力も根性も持ち合わせていないのだと悟り、6年後にフリーライターとして独立した。
自分自身は女性である自分とうまく付き合えずにいたこと、アメリカのカウンターカルチャーの影響を受けたこと、女性誌のコンテンツに関心が持てなかったこと、そしておそらく、女性だけの世界に脅威を感じて、主に男性誌やライフスタイル/カルチャー誌の仕事をするようになった。ラグジュアリー全盛期という時代の「最先端」を追いかけていたし、「日本の雑誌で働いている」というステータスによって、多くの扉が開く特権性も体験した。
暮らしのすぐそばにあった市民運動
2011年、富裕層による富の占有への抗議として、オキュパイ運動が勃発。占拠していた公園では、炊き出しや医療チーム、運動内の性差別の問題に取り組むフェミニストグループなど、自律的な取り組みが行われた。
REUTERS/Mike Segar
同時に、ファッションの取材の延長で、生産の現場を訪れるようになり、少しずつ製造業の大部分が安い賃金を求めて海外に流出した後の歪みを目の当たりにし、大量生産・大量消費による長期的な環境的ダメージについて考えるようになった。大量生産の衣類を買う頻度を減らし、次第に、新品の物を買う頻度が下がっていった。古着に回帰し、捨てられない性質によって長年溜め込んだ衣類を着回すようになった。
前後して、女性としての「役割」に疑問を感じ、防腐剤の入った有害物質を顔に塗ることも嫌になって、メイクアップやスキンケアを放棄するようになった。相変わらず「着る」という自己表現は大好きだし、たまにはめかしこんんで出かけたりもするが、「新しいものでないと」「買わならければいけない」という思い込みからは解放された。
私が暮らすニューヨークでの暮らしのすぐそばには、市民運動が常にあった。古くは、従業員に抑圧的な小売大手の進出に対する反対運動、イラク侵攻に対する反対運動、所得格差に反対したオキュパイ・ウォールストリート、そして最近ではBlack Lives Matterや#StopAsianHate……こうした運動は常に自分の属するコミュニティでは当たり前に日常の一部として存在する。
私が住んでいるのは古くから労働階級が住む地域だが、災害時には、行政のヘルプが来る前に、草の根のネットワークが支援のインフラを手早く組織するような土地柄である。そういう場所で暮らしてきたから、「ものを売る」ためのシステムの中に存在する自分の生業にはいつも心のどこかで疑問と矛盾を感じてきた。
消費も労働も投票行動
2019年国連気候行動サミットでのグレタ・トゥーンベリさんのスピーチは、それまで気候変動の問題に関心のなかった人たちの心もつかんだ。
REUTERS/Carlo Allegri
いよいよ自分も本気で変わらなければならない、と感じたのは、ファッションやライフスタイルの仕事をまだたくさん引き受けていた2018年に発表されたIPCC特別報告書「1.5度の地球温暖化」を読み、自分の想像をはるか超えてシビアな現実が迫っていることを知って、ショックを受けた時だ。
急に生活の基盤を変えることはできなかったけれど、少しずつ、ロー・ウェイスト(ゴミ減らし)に挑戦し、自分の仕事を整理し、罪悪感を持たずにできる仕事の割合を増やすようになった。決定的になったのは、コロナウイルスだ。およそ1年、ほとんど家を出ない生活をしたことで、自分のあり方や生き方を見直すチャンスになった。
少しずつ変わってきたつもりでも、隔月で日本とアメリカを行ったり来たりしていた自分のライフスタイルは、実に多くのCO2の排出に加担してきた。自分がいままでお金を払ってきた、または仕事によってお金を受け取ってきた企業の中には、雇用においてマイノリティを差別したり、LGBTQ、特にトランスジェンダーの権利や健康を阻害する政策を追求する議員に献金したり、ウイグルにおける強制労働疑惑に加担していたりする企業もあることに気がついた。
もうひとつコロナ後に改めて気がついたのは、自分自身のマジョリティ(特権性)とマイノリティ性である。アジア人女性として約四半世紀をアメリカで暮らしてきたから、レイシズムに晒された経験も一度や二度ではないし、今ニューヨークでは、それなりの緊張感を持って外出している。
同時に、ここ10年ほど、ニューヨーク市から離れた山間地帯に小さな家を借り、パンデミックのさなか、ほとんど外出せずに、なんとか生計を立て続けることができた。上長はいないし、物理的に仕事に出かけていくかどうかにも自己決定権がある。こうしたことは、教育や情報にアクセスできる場所に生きてきたから可能で、それもまた特権である。そして何より、社会に向けて発信活動ができるプラットフォームを持っている。
このマイノリティ性とマジョリティ性を行ったり来たりする中で、自分に唯一できることと義務は、自分の特権性を利用して、社会の不均衡や持続性の欠如について発信をできる限りすることだという結論に至った。
『Weの市民革命』では「財布は投票」というコンセプトを強調したが、今は、自分の労働もまた投票行動なのだと考え、仕事を受けるかどうかの基準を、その企業が気候変動対策をやっているか、LGBTQや女性への差別や不均衡解消のために対策をしているか、女性蔑視言論を支持していないか、人権侵害を看過していないかなどに置くことに決めた。さまざまな不平等が社会の隅々に蔓延っていることに気がついた今、誰かが踏みつけられている状況に加担したくは、ない。
と、前置きがずいぶん長くなったけれど、「じぶんごとのWe革命」と題したこの連載では、「Weの市民革命」で取り上げたようなトピックスを、日本に暮らす人たちに、より「じぶんごと」として捉えてもらえるような方法で取り上げていきたいと思っている。
(文・佐久間裕美子、連載ロゴデザイン・星野美緒)
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。