撮影:千倉志野
東京から西へ700キロ、鳥取県の東郷湖のほとりで、モリテツヤ(34)は畑を耕しながら書店「汽水空港(きすいくうこう)」を営んでいる。千葉から移住して今年で10年になる。
汽水空港のある湯梨浜町は人口1万7000人。家賃5000円で借りた空き店舗をほとんど自力で作り直した。木製の棚は全て自作だ。ジャンルは思想、哲学、建築、映画、旅、造園、植物など多岐にわたる。新刊と古書が分け隔てなく同じ棚に並ぶ。湖に面した窓からは、湖に沈む夕陽を眺めることもできる。
汽水空港の店舗。
撮影:千倉志野
風変わりな店名は、東郷湖が汽水湖であることに由来する。海水と真水が混じり合った水質を汽水という。日本海に面した鳥取県から島根県にかけて、汽水湖が多く見られる。
「世界に幅と揺らぎあれ」というコピーに、モリはこの場所で書店を営む願いを込めた。訪れた人たちにとって、本を通して多様な考えに出合い、力を得て旅立つ場所でありたい、そうモリは考えている。
日雇いで稼ぎ、本を仕入れ
店内は木の温もりがやさしい。天井は高いところは4mほどで抜け感があり、店舗奥はカフェスペースになっている。
撮影:千倉志野
モリは、資本主義経済において個人をシステムの部品と捉える効率主義に対し、そこから外れて生きていこうと、農業をしながら本屋になることにした。20歳の頃に決めたと言う。
大学卒業後、農業修業を経て、流れ着くようにしてこの湖のほとりに定住したのは2013年冬。2015年10月に開業した。
筆者が初めて汽水空港を訪ねたのは2020年10月だった。
話を聞いて驚いた。
本屋を成り立たせるために、自給自足に挑むばかりか、現金収入を得るために工事現場で日雇いの仕事をすることもあるという。そうやって稼いだ現金で本を仕入れ、ブックトークに招いた著者には謝礼を払うというのだ。
しかも、地域のシニアが愛読するような週刊誌や月刊誌は取り扱わない。町内に小学校は3つ、中学校は1つあるが、児童書や学習参考書を揃えるわけではない。まるで市場を無視した経営なのだ。いや、そもそも、経営という意識は、モリにはほとんどないのかもしれないとさえ思った。
シニア向けの週刊誌や子どものための学習参考書を置かない代わりに、ZINE(自費出版の冊子)やカウンターカルチャーにまつわる書籍が充実する。
撮影:千倉志野
作家・坂口恭平は、著書『まとまらない人』を出版した2019年暮れ、汽水空港でブックトークがしたいとツイートし、2020年1月、ほんとうに熊本からやってきた。坂口の言葉に触れたいとその日集まったのは40人。ぎゅうぎゅうになった店内で坂口とファンが膝詰めで語り合った。おまけにモリはチケットの売り上げを全額、坂口に渡した。
「熊本からわざわざきてくれた。交通費だけでも相当かかる。その上、みんなが坂口さんといい時間を過ごすことができた。それをもたらしてくれた坂口さんに幸せな気持ちを持って帰ってもらいたかった」
とモリは説明した。
これには後日談がある。黙って受け取った坂口だったが、人気雑誌での連載をモリに引き継ごうと編集部に紹介してくれたのだという。結局、編集長の判断により、モリが連載を引き継ぐことはかなわなかったが、心意気が通じ合ったことがうれしかったとモリは振り返った。
「24時間働けますか」に恐怖
注文すると、カフェスペースでオリジナルのクラフトコーラ「モリコーラ」を作ってくれた。カルダモンの香りがスパイシーだ。
撮影:千倉志野
「生き方はおもしろいと思う。でも、彼は負け組だよね」
モリと汽水空港を取材したルポを初めて公開したとき、ある人からこう言われた。モリへの見方は人によってかなり割れる。
モリが本屋と農業を掛け合わせて生きる選択の原体験に、こんな話がある。
バブル期にヒットした滋養強壮剤のテレビコマーシャルに「24時間働けますか」という有名なキャッチフレーズがあった。その頃、3歳だったモリはこのコマーシャルを見てびっくりして、父に「かいしゃって、そんなにはたらかなきゃいけないの?」と聞き、父は「会社ってところは、まあそんな感じだよなあ」と答えたという。
テレビのチャンネルをつければこのコマーシャルが盛んに流れていたその頃、好景気のなかで就活し社会に押し出されたのがバブル世代だ。そして、モリを「負け組」と言った人はバブル世代に属する。競争社会で勝つことこそよしとした世代のその人からすれば、競争から降りる生き方を選んだモリは「負けた人」だということになるらしい。
だが、果たしてモリは負け組だろうか。生活の一つ一つを身体を動かしてつくろうとする暮らし方は、コロナ禍で既存の社会システムを問い直さざるを得ない局面にあるいま、さまざまに示唆を含んだ選択のように筆者には映った。
自分は社会と折り合いをつけられるのか。
学校、部活、就職、転職。人生の折々に誰もが一度ならず、この不安に向き合う。だがいつしか社会の仕組みに自分を添わせることに慣れ、序列の中に身を置くことを不思議に思わなくなる。
「24時間働けますか」というコピーは、モーレツに働き、よく遊ぶことへの当時の社会の肯定感と悲哀をユーモラスに捉えたものだった。だが、幼いモリはそれを「怖い」と感じた。そして3歳で内包してしまったこの問いを大人になるまで持ち続けてしまった。
ひるがえって、コロナ禍の今、普及したリモートワークは私たちが働く場所の選択肢を広げた。それは単に働く場所を変えたことだけを意味するのではない。コロナの1年で、私たちは否応なく組織との関係を考え直すこととなった。だが、モリは言う。
「コロナで問題が浮き彫りになったと言われるけど、問題はずっと存在していました。経済格差、失業、環境、自殺など問題はずっとあり続けていたのに、実際に遠くの誰かではなく、自分がその問題に直面しないと行動に移せないというだけの話です」
続々…鳥取に移住する若手クリエイターたち
廃校となった中学校舎の3階に入居したミニシアター「ジグシアター」は、7月はベルリン映画祭銀熊賞受賞の韓国映画『逃げた女』を上映する。
撮影:千倉志野
移住者として最初に湯梨浜町に錨を下ろしたのは、空家をリノベーションしてゲストハウス兼シェアハウスを運営する現代アートユニットだ。1階にはすてきなカフェがあるのだが、スマホに追い回される現代社会から距離を取ることを勧める彼らは、来店客には店内の撮影やSNSへのアップを禁じている。そうした彼らの志向に引き寄せられて、モリは湯梨浜町に移住した。
3年前には汽水空港の近所に古着屋ができた。
湖を見下ろす小高い丘に建つ廃校となった中学校舎には、クリエイターの誘致を町が進めている。校舎の1階に入居したカフェは、白を基調とした洗練された空間デザインと洒落たカフェメニューが人気で、週末ともなると順番待ちの列ができる。同じ校舎の3階では大阪から移住した夫婦がミニシアターの経営を始めようとしている。
この町を選んで移住してきた30代を中心とする彼らは、都市でシステムに組み込まれるようにして生きることに疑問を持ち、高い家賃や時間の制約などから自由になることを目指している。
それぞれにゲストハウスや書店、カフェを営み、人の訪れを促し、新しい活気が生まれる—— 。過疎の問題を抱える地方の町にとって理想的な変化が生まれようとしているかのようだ。
人間や環境を搾取しない生き方探る
撮影:千倉志野
だが、モリにはこの町に移住してきたほかの誰とも異なる点がある。
それを言い当てたのは、建築ユニット・令和建設の宮原翔太郎だ。宮原は湯梨浜町から東へ20分ほど車を走らせた浜村という温泉地を拠点に建築施工とゲストハウスを経営している。宮原は大学で文化人類学を学んだあと、リノベーションでシェアハウスをつくる工程に誰でも参加できる「パーリー建築」というプロジェクトを始めた。旅するように各地を回り、寂れた土地に場所を開くこのプロジェクトは、地域づくりの新しい試みとして注目された。その宮原は、新しいことは辺境から生まれるとの考えで、3年ほど前から浜村に定住している。
「モリくんはお金を稼ぐことに臆病なところがあるんですよね」
宮原はモリについてこんな風に捉えていた。
「例えば、僕はもらえるお金が多いとラッキーと思う。その辺は適当だし軽いです。でも、モリくんはお金のやりとりについてものすごく慎重だし、怖がりだと思う」
宮原が指摘する通り、モリは「たくさん儲かる」とか「汽水空港のブランディング」とか、汽水空港の市場価値を高めて利益を上げるようなやり方から距離を置いている。では、モリはどんな目的を持ってここで生きているのか。
「人間や環境を搾取せずに、また、自分だけが助かる道を探るのではなく、全員が生き延びていける、助かる道をつくることこそが、人類始まって以来の課題だと思う。僕はそのことを、同じような問いを持つ人たちと一緒に考えていきたいし、やっていきたい」(モリ)
その手法としてモリが取り組んでいるのが「半農半X」だ。モリの場合、Xは本屋だ。午前中は田畑を耕し、午後から本屋の店番をする。と言っても、開業して8年が過ぎたが、簡単ではない。まだ田畑は自給自足には遠く、本屋としても自立できる状態になってはいない。
半農半Xの試みは、土の根源的なエネルギーを直に感じながら田畑を耕し、好きな仕事をして必要なお金を手にする新しい働き方の模索だ。次回はその軌跡をモリの生い立ちとともにたどりたい。
(▼敬称略・続きはこちら)
(文・三宅玲子、写真・千倉志野、デザイン・星野美緒)