ラトビアのリンニュカルンスで埋葬されていた男性の頭蓋骨の一部。この男性は、約5000年前に、のちのペストに類似する感染症が原因で亡くなった可能性がある。
Dominik Göldner/BGAEU, Berlin
- ペストを起こす病原菌が、約5000年前に狩猟採集生活を送っていた男性をむしばんでいたことがわかった。
- これは、今までに発見された中で最古のペスト菌株だと、新たな研究は結論づけている。
- この古代のペスト菌株がその後4000年間にわたって進化を遂げ、中世ヨーロッパで黒死病を引き起こしたと見られている。
約5000年前の石器時代、狩猟採集生活をしていたある男性が、げっ歯類の動物に噛まれた。この動物は、病原性の細菌であるペスト菌(学名:Yersinia pestis:エルシニア・ペスティス)の保菌宿主だった。その後、14世紀に黒死病や腺ペストの大流行を引き起こした病原体だ。
2021年6月29日付で発表された研究論文によると、この石器時代の男性は、ペスト菌感染がもとで、20代で命を落とした可能性が高いという。これは、科学研究によってこれまでに見つかったペスト菌株としては最古のものだ。
この菌株のゲノムは、それから4000年以上後に、中世ヨーロッパに壊滅的な打撃をもたらしたペスト菌のゲノムに酷似している。当時のヨーロッパでは、ペストの大流行により、わずか7年のうちに、地域の人口の半数にあたる命が奪われたとされる。ただし、今回見つかった菌株には、主要な複数の遺伝子が欠けている。特に重要なのは、中世になって感染を拡大させる要因となった形質がない点だ。
5000年前のハンターをむしばんだペストは、その子孫にあたる病原菌とは異なり、進行が遅く、伝染力もそれほど高くなかった、と解説するのはドイツのクリスティアン・アルブレヒト大学キール(通称キール大学)に所属する古代DNA分析の専門家、ベン・クラウゼ=キヨラ(Ben Krause-Kyora)教授だ。
今回の論文を共同執筆したクラウゼ=キヨラ教授はInsiderの取材に対し、「この細菌には、ノミを媒介とした伝染を可能にする遺伝子が欠けていた」と述べた。黒死病の大流行時には、ノミやシラミが主要な感染源となっていた。
つまり、この石器時代の狩猟採取生活を送る男性が亡くなってから、黒死病が大流行するまでの数千年のあいだに、ペスト菌は変異を遂げ、ノミを経由して別の種の動物にも感染する能力を獲得したことになる。
「その変異が、急速で広範な感染拡大を引き起こす主な要因になった」とクラウゼ=キヨラ教授は指摘する。
その体内には大量のペスト菌が存在していた
今回の研究対象となった石器時代の男性が命を落とした場所は、現在のラトビアにあたる地域だ。人類学者らの発掘調査により、この男性の骨の近くで、別の男性、10代の少女、新生児の人骨が見つかったが、この3人はいずれもペスト菌に感染していなかった。
実は、クラウゼ=キヨラ教授率いる研究グループは、ペストの犠牲となった古代人を探すために現地に赴いたわけではなかった。当初の目的は、隣り合って埋葬されていた4人のあいだに血縁関係があるのかを確かめることだった。しかし、予定の遺伝子分析を完了する前に、研究チームはこれらの人骨や歯から採取された古代DNAについて、病原菌の痕跡がないかを確かめる検査を行った。これによって、問題のペスト菌が発見されたというわけだ。
5000年前の人骨が見つかったリンニュカルンス(Rinnukalns)遺跡は、ラトビアを流れるサラカ川の岸辺に位置する。
Harald Lübke/ZBSA, Schloss Gottorf
研究チームは次に、見つかった細菌のゲノムを、他の古代のペスト菌株と比較した。過去の研究では、これらの他の病原菌株の年代について、およそ5000年前と記述していたが、クラウゼ=キヨラ教授によると、今回見つかった細菌は、ここからさらに数百年さかのぼった時代のものだという。そこで、同教授が率いる研究チームは、これがペスト菌のうち、知られている中では最古のものだと結論づけた。
この細菌に感染していた男性のDNAから、その体内には大量のペスト菌が存在していたこともわかっており、これが死因となった可能性が高いとみられている。論文では、墓所の様子から、この男性が属していた集団のメンバーが、この人物を丁重に葬ったことがわかったと述べている。
「感染してすぐに死に至ったのかどうかは、判断が難しいところだ」とクラウゼ=キヨラ教授は述べ、さらにこう続けた。
「体内にあった細菌の数から判断するに、この男性はかなりの病原菌を抱えながらも生き延び、すぐには命を落とさなかったか、あるいは疾患が慢性化していたか、どちらかの状況だったようだ」
ラトビアのリンニュカルンスで埋葬されていた人のあごの骨。約5000年前の石器時代に狩猟採集生活を送っていた人のものとみられる。
Dominik Göldner/BGAEU, Berlin
ペストの臨床症状には、3つの形態がある。「腺ペスト」は中世ヨーロッパを壊滅状態に追いやったタイプで、リンパ腺の腫れによる痛みを特徴とする。「敗血症型ペスト」は、病原菌が血流に入るもので、患者は皮膚が真っ黒になり、死に至る。3つ目の「肺ペスト」は、呼吸困難を引き起こすタイプだ。
クラウゼ=キヨラ教授は、古代のハンターが発症したのは敗血症型ペストだったと考えている。そうであれば、この人物の身近で暮らしていた少数の人々が、ペストにかかっていなかった理由も説明がつく。
同教授によれば、敗血症型ペストの場合は「この男性の血液に直接触れる」か、ペストに感染した別のげっ歯類の動物に噛まれるか、どちらかのルートをたどらない限り感染することはなかったという。
ペスト菌は進化して感染力を増した
ペストは多くの場合、保菌宿主となった動物から人間へと感染する人畜共通感染症だ。
クラウゼ=キヨラ教授によると、この古代の男性の事例は、疫学者にとって、人畜共通感染症の病原体の経時変化を解き明かす手がかりとなる可能性があるという。こうした感染症の例としては、エボラ出血熱や豚インフルエンザ、そして(動物由来の可能性が最も高いとされている)新型コロナウイルス感染症などが挙げられる。
「人畜共通感染症は、時として数千年にわたる進化の過程を経て、大規模な感染事例を引き起こす。私たちは、その過程を解明する現実的な必要に迫られている」と、同教授は指摘した。
古代DNAの分析を専門とするキール大学の実験室。
Benjamin Krause-Kyora/Kiel University
この石器時代の男性が生きていた当時は、ペストは広範な大流行を引き起こすことはなかった。ユーラシア大陸では、狩猟採取生活者や農民、遊牧民が散発的にペスト菌に感染する事例があったが、黒死病レベルの感染拡大は一度も起きていない。
「今回の発見は、初期のペスト菌株が、それほど遠くまでは広がらない、散発的な感染症の流行と関連していることを裏付けるものだ」と、クラウゼ=キヨラ教授は述べる。
それから中世までに起きた変化として、同教授は生活様式の変容を挙げる。人はより大きな集落で、近接して暮らすようになった。こうした変化が進化に影響を与え、ペスト菌がノミの体内で生息するようになったというシナリオは考えられる。ノミは、げっ歯類と比べて、人間を噛むことが容易な環境で生息しているからだ。
「これは、ペスト菌が人口密度の上昇に適応した事例だと考えていいだろう」と、クラウゼ=キヨラ教授は解説した。
(翻訳:長谷 睦/ガリレオ、編集:Toshihiko Inoue)