6月19日朝、米ニューヨーク・ブルックリン公共図書館の正面に集まった市民の姿。前列右から2人目が主催者、ニューヨーク市議会のファラー・ルイス議員。
撮影:津山恵子
「まさに、レイシャル・レコニング(racial reckoning=人種問題の過去の清算)の1つです」
テレビアンカーやコメンテーターがそんな言葉で表現する歴史的なできごとが、アメリカでいま相次いでいる。
例えば、アメリカで奴隷制度が廃止された6月19日が今年、156年の時を経て国民の祝日になった。
また、第二次世界大戦で負傷しながら、黒人であるがゆえにパープル・ハート勲章(名誉負傷章)を与えられなかった退役軍人が、今年6月に99歳にして同勲章を授与された。
アメリカは歴史を見直しながら、少しずつ前進している。
2021年6月19日、ニューヨーク市内の光景
6月19日朝、ニューヨーク・ブルックリン公共図書館の正面に、ブルックリンっ子約100人が集まった。黒人奴隷解放を祝う「ジューンティーンス(Juneteenth、June=6月 とnineteenth=19日を縮めてそう呼ばれる)」のイベントだ。
参加者の顔ぶれは、2020年に高まった「ブラック・ライブズ・マター(=BLM、黒人の命は大切だ)」デモと似て、若い黒人と非黒人が半分ずつといった具合だが、この日は人々の顔が明るかった。
バイデン大統領はその2日前の17日、ジューンティーンスを国民の祝日とする法案に署名し、即日発効した。今年は19日が土曜日だったため、連邦政府機関は急遽前日の金曜日を振替休日とし、多くの民間企業もそれにならった。
なぜ、6月19日は黒人奴隷解放の日とされるのか。
奴隷制の是非をめぐり、アメリカが2つに分かれて4年にわたり戦った南北戦争は、1865年4月にリンカーン大統領率いる北部諸州(北軍)が勝利。約400万人の黒人奴隷が解放された。
ただ、その後も南部テキサス州で抵抗が続いたため、北軍のグレンジャー将軍は同年6月19日、黒人奴隷が多く住んでいた同州ガルヴェストンに進軍。「リンカーン大統領からの布告により、テキサスの人民に、あらゆる奴隷は自由であると告知する」と布告を読み上げながら行進した。
奴隷制廃止が徹底されていなかった最後の牙城、テキサス州でも同日ついに奴隷が解放され、それが「ジューンティーンス」の起源となった。
以後、南部諸州では「歓喜の日(Jubilee Day)」としてお祭りが開かれたりしていたが、北部諸州のニューヨークでは(アフリカ系アメリカ人の多い)ハーレムで近年イベントが開かれ始めたばかり。
そうした流れを背景に、ニューヨーク州政府は2020年にジューンティーンスを州の祝日に定め、さらには人種問題への意識が高いテクノロジー企業が先陣を切り、社内規定として祝日とする動きが急速に広がっていた。
そしてついに2021年、先述のようにバイデン大統領の法案署名をもって6月19日は国民の祝日となり、全米がその日を祝うこととなった。
葛藤と差別、暴力を生きのびた黒人たちの言葉
白人警官に膝で首を圧迫されて死亡した黒人男性ジョージ・フロイド氏の弟、テレンス・フロイド氏も6月19日のイベントに駆けつけた。
撮影:津山恵子
ニューヨーク市内では6月19日、私が確認しただけでも50以上のイベントが開催された。
「私たちがアメリカに貢献したのは、奴隷制だけではない。(伝統的な黒人のための大学である)タスキーギ・インスティテュート、ハワード大学、そして私たちの文化、コミュニティ!」
ブルックリン公共図書館前のイベントを主催した、黒人女性のニューヨーク市議会議員ファラー・ルイス氏は冒頭、そう語った。
参加者から大歓声が上がる。
同じく黒人女性で同市議会民主党リーダーのローリー・カンボ議員もマイクを握った。
「黒人は、黒人であるあなた方は、あらゆる祝福を呼吸して生きている。なぜなら、私たちは、奴隷制を生きのびた。(人種隔離政策の)ジム・クロウ法を、貧困を、差別を、新型コロナウイルスの世界的感染を生きのびた!ここに立つ私たちは、まさに『奇跡』そのものだ」
中西部ミネソタ州ミネアポリスで、白人警官に膝で首を圧迫されて死亡した黒人男性ジョージ・フロイド氏の弟、テレンス・フロイド氏もイベントに駆けつけた。
彼は、黒人コミュニティのために活動する「ウィー・アー・フロイド(We Are Floyd)」という非営利法人(NPO)をニューヨークで立ち上げている。
「(黒人殺害は)誰にでも起こる。兄ジョージは多くの犠牲者のうちの1人。沈黙してしまうのは間違いだ。声をあげて、言うべきことは口に出して言おう。恐れることはない。私たちは王であり、女王だ。団結すれば、構造的人種差別も恐れることはない」
「祝福」「奇跡」「王と女王」。肌が黒いがために、葛藤と差別、暴力を生き抜いてきた彼らが語る言葉に、参加者はときに涙をぬぐいながら聞き入った。
6月19日、ニューヨーク・ブルックリン公共図書館前で行われた「ジューンティーンス(Juneteenth)」イベントの様子。
撮影:津山恵子
イベント直後の6月25日、ジョージ・フロイド氏を殺害した白人の元警官デレク・ショービン被告に、ミネアポリスの裁判官が禁錮22年6カ月の判決を言いわたした。
ミネソタ州の量刑ガイドラインが10〜15年の目安を示していたのに対し、検察は、殺害行為が「際立って残酷」「未成年者の目前だった」などの理由で30年を求刑していた。
デレク・ショービン被告には、禁錮22年6カ月の判決が言い渡された。写真は中継するMSNBCのニュース番組。
撮影:津山恵子
白人警官が黒人を殺害して有罪評決を受けた段階で、「例外中の例外」(米ニューヨーク・タイムズ)と報じられるほどに稀(まれ)なケースであり、量刑まで異例の結果となった。
過去の例では、2012年、黒人のトレイボン・マーティンさん(当時17歳)が買い物の帰り道に、彼を「不審」だと判断したヒスパニック系の白人警官ジョージ・ジマーマン被告に射殺された事件で、被告が無罪評決を言い渡されている。
今回のショービン裁判の過程、評決、量刑は、冒頭で触れた「レイシャル・レコニング」の道標(みちしるべ)の1つになったと言える。
相次ぐ人種問題「過去の清算」
2021年6月1日、バイデン大統領は「タルサ人種虐殺」事件100周年を機に現地を訪問。写真はタルサ文化センターにて。
REUTERS/Carlos Barria
レイシャル・レコニングを象徴するイベントは、ほかにも相次いでいる。
1921年5月31日、南部オクラホマ州タルサで、武装した白人市民が黒人の居住地区グリーンウッドを襲撃し、黒人およそ300人を殺害した「タルサ人種虐殺」の反省もその1つだ。
これまで教科書には記載されず、アメリカの歴史から抹殺される形になっていたが、バイデン大統領は事件から100周年を機に、死亡した黒人らを追悼するため、現職大統領として初めてタルサを訪れた。
現地でバイデン大統領は「暴動ではなかった、虐殺だった」と演説し、犠牲者が黒人だったがゆえに封印されていた歴史的事件に光を当てた。
新聞やテレビは今年になって突然、特集やドキュメンタリー番組でこの虐殺事件について詳しく伝え始めた。
市民は驚き、ニューヨーク・タイムズには人気俳優トム・ハンクスのこんな寄稿が掲載された(彼はアメリカ史をカレッジで専攻、食事の席で歴史クイズを連発するほどのオタクだという)。
「小学5年生で1921年(の虐殺)について教わっていたら、(人種に対する)考え方が変わるのでは?」
ニューヨーク・タイムズは虐殺事件が起きたグリーンウッド地区をデジタル技術を使って3D再現する特集も掲載。
それによると、同地区には劇場やダンスホール、最高級の黒人向けホテル、新聞社が2社あり、「ブラック・ウォール・ストリート」と呼ばれるほど繁栄していたが、虐殺と焼き討ちを受け、24時間のうちに焼夷弾で焼き払われたかのように廃墟と化した。
事件のきっかけは1921年5月30日、タルサ中心部でエレベーターにのっていた10代の黒人の若者が、10代の白人のエレベーターガールを暴行したとの情報だった。
暴行の有無も含めて真相は不明だが、若者は逮捕され、白人向けの地元紙が「容疑者、エレベーターガールを襲う」と一面で伝えると、白人が暴徒化。グリーンウッド地区を襲撃し、建物に火をつけ、逃げ惑う黒人たちを銃殺した。
自家用機を飛ばし、空中からダイナマイトをばらまいた白人もいた。
タルサ人種虐殺と同様、歴史から一度は消されながら、最近になってようやく日の目を見た事件はほかにもある。冒頭で少しだけ触れた退役軍人の話がそれだ。
第二次世界大戦中のフランスで頭部を負傷した元陸軍一等兵のオセオラ・フレッチャー氏は、黒人という理由でパープル・ハート(名誉負傷)勲章を授けられていなかったが、戦後77年にあたる今年6月23日、99歳にして同章を授与された。
なぜいま「レイシャル・レコニング」なのか
6月19日、国民の祝日となった「ジューンティーンス」当日のニューヨーク市内の様子。
撮影:津山恵子
なぜいま「レイシャル・レコニング」にモメンタム(勢い)が生まれているのか。
理由の第1には、4年にわたったトランプ政権時代への「反動」があげられる。
トランプ政権時代は大統領の言動に影響され、市民が白人至上主義あるいは女性・移民・イスラム教徒への差別を公然と主張する傾向が急速に強まった。
白人、男性、キリスト教が「支配層」だと信じる人たちが今年1月6日、議会民主主義を象徴する首都ワシントンの連邦議会議事堂を襲撃し、警官1人を含む5人が死亡する事件にまで至ったことは、アメリカ市民にとってトラウマになっている。
理由の第2にあげられるのは、市民のトランプ政権時代への反動に呼応し、バイデン政権が人種差別や不平等を解消するための政策を次々に打ち出していることだ。
バイデン大統領は今年1月の就任直後、人種差別解消に向けた大統領令に署名している。閣僚人事も多様性を重視し、初の黒人国防長官や初の同性愛者運輸長官が誕生。政権発足直後の段階で、25人の閣僚級ポストのうち女性12人、非白人13人という顔ぶれとなった。
白人警官による黒人殺害を防ぐため、大規模な警察改革法案も提案した。首を圧迫する技や令状なしの家宅捜索を禁じる内容だ。
さらに、先述通り6月1日にはタルサを訪れ、封印された黒人襲撃事件を「暴動ではなく虐殺」と明言した。
こうした理由のほかに、「ブラック・ライブズ・マター」運動がモメンタムを加速させるのに果たした役割は大きい。
運動の一部は暴動に発展し、社会不安を引き起こしたネガティブな面もあったことは否定できない。しかし、全米さらには世界各地に運動が広がったことによって、デモに参加したミレニアル世代・Z世代と呼ばれる若い世代を中心に、人種差別は厳然として存在するという認識が共有された。
抗議運動に直接参加しなかった人たちの理解も含めて、市民の間に人種差別に対する目覚めを呼び起こしたことは大きな前進だ。
筆者が取材した複数の「ブラック・ライブズ・マター」デモでは、トランスジェンダーの黒人やセックス・ワーカーの黒人たちもマイクを握り、人種差別に加えて不正な扱いを受けている自身の窮状を訴えた。彼らのような市民がマイクを持ち、演台で声を上げるデモは、過去に見たことがない。
そして、レイシャル・レコニングを通じて、思いがけないところで変化が起きている。
政治ニュースサイトのアクシオス(Axios)は7月5日、要請があれば裁判の陪審員を引き受けてもいいという市民が増加していると報じた。
記事に登場する陪審員コンサルタントのジェイソン・ブルーム氏によれば、従来はアメリカ市民の4人に1人(25%)は、陪審員への召喚があると辞退していたが、現在では辞退者は5〜10%に激減している。
その背景には、フロイド氏殺害事件に続く、陪審員による歴史的な有罪評決、22年6カ月という異例の量刑を、多くの市民がテレビで追ったことがあるという。
アクシオスは、犯罪に対する評決や量刑に人種的な平等と正義をもたらすには、多様な市民が陪審員になる必要があるという理解が広まったと評価する。
とはいえ、レイシャル・レコニングはまだ始まったばかりだ。市民が人種差別をより現実味のあるものとしてとらえる「うねり」の今後に引き続き注目していきたい。
(文:津山恵子)
津山恵子(つやま・けいこ):ジャーナリスト、元共同通信社記者。ニューヨーク在住。2007年から独立し、主にアエラに、米社会、政治、ビジネスについて執筆。近著は『教育超格差大国アメリカ』『現代アメリカ政治とメディア』(共著)。メディアだけでなく、ご近所や友人との話を行間に、アメリカの空気を伝えるスタイルを好む。