7月14日(現地時間)、米マイクロソフトは、企業向けの新サービス「Windows 365」を発表した。価格などは未発表だが、8月2日より全世界でサービスを開始する。
Windows 365は新しいOSではない。Windows 10や11をクラウド経由で使う、サブスクリプション型のサービスだ。
なぜマイクロソフトは、「OSをサービスとして貸す」ビジネスを改めて始めるのか? そこには、今の時代に急激に顕在化したニーズと、働き方に関する課題が隠れている。
ハードでなく「クラウド」でPCの能力を提供
まず、Windows 365がどんなサービスなのかを解説してみよう。
OSなどのソフトウエアといえば、基本的には手元のPCなどのハードウェアの中で動作するものだ。だが、Windows 365は違う。ネットワークの向こうにあるクラウドの中でPCが動いていて、OSなどはそちらにある。
クラウド側で動くPCの画面が動画で送られ、手元のキーボードやマウスの操作は手元の機器から、インターネットを介してクラウド側に伝えられる。平たくいえば「遠隔操作」だ。
Windows 365はクラウド経由でPCの能力を提供するため、いろいろな場所で同じPCの機能を使える。接続するPCの性能がある程度ベーシックでも動作が遅くならず一定になるメリットがある。
出典:マイクロソフト
従来から、こうした遠隔操作を実現する技術はB2Bの世界では一般的で、企業向けに使われている「シンクライアント」と呼ばれる機器もその1つだ。実データを手元のPCに残さないことから、セキュリティー上の大きなメリットがある。
過去には企業内にサーバーを置いて運用する場合が多かったが、今はクラウドで提供する「クラウドPC」という形態でのサービスも増えている。マイクロソフトも以前から「Azure Virtual Desktop」という企業向けクラウドPCサービスを提供済みだ。
実はマイクロソフトはすでに「Azure Virtual Desktop」というクラウドPCサービスを持っているが、Windows 365はまた別のものだ。
出典:マイクロソフト
実際、クラウドPCのニーズは以前より存在する。だがマイクロソフトは、Windows 365を発表するリリースの中で、「パンデミックを期に、大企業を中心とした需要が爆発的に伸びた」としている。
例えば、ヘルプデスク・サポートデスク業務を在宅ワークで担うケースを想定してみよう。
対応する社員・契約社員には、社内情報にアクセス可能なPCを大量に用意する必要がある。機材コストだけでも大変な金額になるが、買ったり、リース契約するだけでは使い始められない。PCの社内向け設定を「誰かがしないといけない」からだ。
業務を担当するスタッフが100人いるとすれば100台分、社員を追加したら追加した分、どこかで作業をして、社員宅へと配送する必要がある。会社に集まってもらうなら対応も可能だが、在宅ワーク前提だとなかなか大変だ。
かといって、社員に自宅であるPCで作業してもらうのは、(一定の補助をしたとしても)性能の統一やセキュリティーの維持という面で問題もある、と考える企業は少なくない。
PCの導入や管理を請け負う企業の中には、コロナ禍でのリモートワークを想定し、この種の「設定」をビジネスにしたところもある。まとまった台数のPC調達から設定、その後指定された住所へと宅配するまでを一気通貫に受託するわけだ。だが、こうした外部企業を活用できるのは、相当な大企業に限られるのが実情だ。
在宅ワークの「穴」がビジネスになる
クラウドPCならば、こうした問題はほとんどが解決できる。
機材を配るのではなく、「アカウントとその適切な管理」だけを社内の担当者が担えば良いからだ。コストも作業量も減り、実データをクラウド上に置くことで、データ流出などの懸念も減らせる。
また、契約社員やパートタイマーを一時的に増やすような場合でも、機材の購入を伴わずに同レベルの作業ができる環境を提供しやすい、というメリットも大きい。
中小規模でも利用できる、意欲的な課金形態
前述のとおり、これまでもマイクロソフトは同様の機能を提供してきた。それでも、実際には、クラウドPCを導入する企業はまだ多くなかった。なぜか?
導入のハードルになっていたのは、「クラウド特有の料金体系」や「利用環境」の問題だ。そこでマイクロソフトは既存技術をもとに、課題を解決した新たなサービスとしてWindows 365を構築した。
では、Windows 365と従来サービスの違いは、以下の図でわかる。
作成:編集部
ポイントは、大きく3つある。
1. 料金体系が違う。
従来、こうしたクラウドPCは「サーバーを使った時間単位」で課金される場合が多かった。クラウドPCを使った分、サーバーインフラを占有しているわけで、そのこと自体は妥当なやり方だ。しかし企業側から見れば、費用負担が変動しやすいために予算の見積もりが立てづらい……という課題があった。
そのためWindows 365は「利用者数」「PCのスペック(性能)」で算定した上で「月額固定制」の料金体系を採用する。価格についてはまだ公表されていない。とはいえ、月額固定制になることは、時間単位の課金と異なり、費用計算はシンプルで予算を立てやすくなる。
2. 利用形態が違う
専用のソフトなどは使う必要がなく、ウェブブラウザーで特定のアドレス(URL)にアクセスするだけでいい。動作環境は、一般的なHTML5対応のブラウザーが用意さえできればよく、ChromeやSafariなど対応範囲は幅広く、機材の自由度も高い。PCやMacはもちろん、iPhoneやAndroidなどのスマホでも、iPadなどのタブレットでもいいわけだ。
Windows 365の元となったAzure Virtual Desktopもウェブブラウザーから利用できたが、Windows 365はウェブブラウザーからの利用が主軸と位置付けられ、スマホなどでの利用も促進される。
Windows 365はウェブブラウザー経由で動作。いろいろなデバイスの上で仕事用環境を呼び出して使える。左のウィンドウでは、窓の中でWindowsが動作していることがわかる。
出典:マイクロソフト
当然だが、クラウド経由で提供されるPCの性能は常に同じなので、どのデバイスを使ってどこから仕事をしても環境は変わらない。
3. 提供されるPC(実際には、クラウドの先で動く仮想PC)も少し違う
詳細は不明だが、「CPUコア数」「メモリー容量」「ストレージ容量」などで決まる。最高で8コア・メモリー32GBと、それなりに性能は高いものも用意できるようだ。「Azure Virtual Desktop」よりシンプルなやり方で、Windows 10もしくはWindows 11を搭載したPCを用意できるという。
個人向けではないのでゲームなどのパーソナル用途には向かないし、課金形態的にも個人向けは想定されていない。だが、エンジニアによるソフト開発や動作検証、機密保持が重要なグラフィックデザイン向けの作業や科学分析での利用も想定されているという。
コロナ後の「ハイブリッド・ワーク」市場が新しいビジネスになる
マイクロソフトは、Windows 365などを生かした働き方を「ハイブリッド・ワーク」と呼んでいる。
感染症の影響が小さくなったあと、オフィスに戻る人たちもいるだろうが、そうではなく、自宅や他の場所で働くことを選ぶ人もいるはずだ。「複業」的に、複数の企業から仕事を請け負って働く人も出てくるだろう。
マイクロソフトとしても、そうした環境に適したクラウドインフラ・サービスを提供することで、Windowsとマイクロソフトの各種オフィスアプリケーションの利用を促進することができる。
この市場はもちろん、マイクロソフトの独壇場というわけでもない。
使えるOSのバリエーションやライセンス提供体系が異なり、直接的な比較はできないもののクラウドインフラ大手のアマゾンAWSも、Windowsが使えるクラウドPCである「Amazon Workspaces」といったサービスを提供しており、マイクロソフトとの間での競争が激化するのは必至だ。
AWSも「Amazon Workspaces」を展開済み。クラウドPCの領域で、インフラ提供事業者とマイクロソフトの競合が激化する。
筆者キャプチャー
また、企業向けにシンクライアントやPCのセットアップサービスを提供しているシステム・インテグレーション企業にとっては、プラットフォーマー側から大きなライバルが登場したことにもなる。
どちらにしろ、企業でのPCの利用形態に一石を投じるサービスになることは間違いない。
(文・西田宗千佳)
西田宗千佳:1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。取材・解説記事を中心に、主要新聞・ウェブ媒体などに寄稿する他、年数冊のペースで書籍も執筆。テレビ番組の監修なども手がける。主な著書に『ポケモンGOは終わらない』(朝日新聞出版)、『ソニー復興の劇薬』(KADOKAWA)、『ネットフリックスの時代』(講談社現代新書)、『iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』(エンターブレイン)がある。