撮影:伊藤圭
2020年に1人でVC「Yazawa Ventures」を立ち上げた矢澤麻里子(38)。日本で女性1人GP(ゼネラルパートナー、投資運用担当者)という初めてのベンチャーキャピタル(VC)に、投資家たちはどんな反応だったのか。
矢澤が投資家を回り始めたのは、2020年5月ごろだった。2019年9月に出産し、やっと保育園に預けられるようにはなっていたが、自分の時間をファンドのためだけに使える訳でもない。
1号ファンドの目標額は7億円。時間の制約もあり、出産というブランクもある中で、「当初は思った以上にすぐに決まる、という感じではなかった」(矢澤)。それでも道筋が見えたのは、日本のベンチャーキャピタリストの草分けでもある村口和孝やウィズグループ代表の奥田浩美など、最初に出資を決めてくれた投資家の存在が大きかったという。
仕事と家庭や家族との両立に悩んだからこそ
ウィズグループ代表の奥田浩美と矢澤(写真右)。2人の間には、投資家と起業家という関係以上のつながりがある。
提供:矢澤麻里子
奥田には、ファンドをつくるかどうか迷っている段階から相談に乗ってもらい、背中を押され続けてきたことは、これまでにも書いた。
奥田自身、1991年にITに特化したビジネスカンファレンスを手がける事業を興している。まだ起業自体が珍しい時代に、しかも女性ということで、「私は当時“魔女”のような存在に見られていた」と、奥田はよく自分を語る。それほど稀有な存在だったということだ。姉御肌ということもあり、多くのスタートアップ経営者の相談に乗り、経営者たちが集まれる場づくりもしてきたが、とりわけ女性起業家には親身になってきた。
筆者が矢澤と知り合ったのも、2017年5月に奥田に声をかけてもらって参加したシリコンバレーでの女性起業家向けの合宿でだった。自己紹介の時に、矢澤が「実は」と渡米直前に離婚をしたと告白したことで、日本から参加した7人の結束は一気に高まった。
仕事と家庭や家族との両立に悩み、大事な人との別れを経験し、それでも仕事から逃げられない経験は誰にも多かれ少なかれあった。心の根底から分かり合えるかどうかは、同じ経験をしているかどうかが大きい。仕事での達成感と引き換えに、何かを失う経験をしているからこそ生まれたシスターフッド(女性たちの利害を超えた連帯)は、働く女性たちのよりどころにもなる。
奥田がYazawa Venturesへの投資を決めた時期は、折しも新型コロナウイルスの影響でイベントやカンファレンスが次々と中止になっている時期だった。奥田の本業はビジネスカンファレンス事業だ。そんな苦しい時期に、それでも投資額を即決してくれたという。
「みなさん、『応援するよ』とは言ってくださるんです。でもそれとお金を実際に出してくれることは全然違います。あのコロナ禍で出資してくださるということがどれだけ重いことか」(矢澤)
「やりたいことはやれる」を証明したい
撮影:伊藤圭
社員だったサムライインキュベート時代とは違い、独立後の矢澤には会社の看板もなければ、仲間もいない。投資家のお金を預かるファンドは、最低でも10年は続ける覚悟が必要だという。投資家を回っている最中にも、「本当に1人でやれるの?」と相手が心配しているのではないか、プレゼン資料に自分が書いていることは絵空事なのではないかと不安に襲われた。途中、体調を崩してしまったこともあり、本当にできるのか考え込んでしまった時期もある。
そんな時、ある投資家にこう言われた。
「あなたの実績は資料に書いてあるけど、立ち上げてみなければ分からない。応援してくれる人がいるのなら、まずファンドを組成しちゃいなよ」
その一言で覚悟が決まった。
「よく言いますよね。遠くまで行くならチームで、早く行くなら1人でって。私には今立ち上げないとダメなのではないか、という思いがあって。この人とチームを組めれば、という人がいて、1人でやるか迷っていたのですが、意中の人を口説くにも時間はかかる。だったら1人でやってみようと、気持ちが決まりました。『やりたいと思ったことはやれる』ことを証明したいという思いもありました」
「この会社ってママが見つけたんだね」
女性キャピタリストや女性起業家にとって逆風の時代が長く続いたが、最近状況は少しずつ変化している(写真はイメージです)。
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長く「女性には投資は向かない」という無意識の偏見のもと、VCの世界は圧倒的に男性優位だった。投資する側に女性が少ないことが、女性起業家に対する投資額の少なさにも直結し、女性が起業しづらい、してもなかなか事業を成長させにくい要因にもなってきた。
だが最近、少しずつ状況は変わってきている。
深刻化する気候変動や経済格差の問題から、持続可能な社会や環境にしていくために、ビジネス側も社会的な責任を強く求められるようになっている。企業が長期的に成長するためには、ESGと言われる環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の3つの観点をより重視することが求められ、投資家側もESGを重視した投資をするようになってきている。投資側に女性を、という流れはこうした動きの一環でもある。
シリコンバレーでは著名VCが中心となり、女性キャピタリストのコミュニティをつくり、数を増やそうという動きも出ている。
30年にわたり、スタートアップやVCの変化を体感してきた奥田は、矢澤が1人でVCを立ち上げた意味をこう語る。
「彼女自身が苦労してきたからこそ、20代30代の起業家の苦しい時期に一緒に伴走できる。それが今のファンドのあり方だと思う。彼女は、彼女がいなければきっと見つけられなかった会社や分野を見つけていくことができる。今まで投資家には見えていなかった『小さな幸せ』に堂々と光を当てるキャピタリストになってほしい」
これまでVCはリターンの大きさや投資総額などで実力が測られてきた。だが、奥田にはそういう時代が変わろうとしているように見える。将来、矢澤の娘が大きくなった時に、「この会社ってママが見つけたんだね」と言ってもらえることが、お金が世代を超えて生きていくことなのだと。
矢澤と両親。紙の卸事業を矢澤が継ぐことを認めてくれなかった父も、最近は独立を認めてくれているようだという。
提供:矢澤麻里子
取材の最後に、矢澤に聞いてみた。お父さんはVCとして独立したことをどう思っているんですか?と。
「父は『そうか』と言っただけでした。不器用な人なので口数は多くないのですが、なんだかんだ褒めてくれるのではないかと思っています」
(敬称略、完)
(▼第1回はこちら)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭)