農林水産省で木材利用課の課長を務めていた長野麻子さん。サステナビリティに「官僚」の立場から取り組んできた。
撮影:今村拓馬
2021年6月11日、10年ぶりに、ある法律が改正された。脱炭素社会を目指し、公共建築物だけでなく、民間の建築物にも積極的に木材を活用し、森林の適正な整備を後押しする法だ。日本の森林の歴史と変遷ゆえの課題を解決するために、重要な一歩だった。
その中核として動いてきたのは、農林水産省で木材利用課の課長を務めていた長野麻子さんだ(現在は新事業・食品産業政策課に異動)。長野さんは食品ロスや木材利用など、サステナビリティに欠かせない分野を、農林水産省でリードしてきた。
ずっとこの課題解決に取り組み続けたい、という長野さん。日本の木材利用の転換期は、戦後にさかのぼる。
森林大国日本の木々が“高齢化”
日本は、国土の3分の2が森林だが、その4割は人によって植えられた人工林だ。
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日本は国土の約3分の2を森林が占める、世界でも有数の森林国だ。先祖代々、引き継がれてきた森林と山は、我々の生活を支えてきた。江戸時代初期の秋田藩家老の渋江政光は
「国の宝は山也。然れ共伐り尽くす時は用に立たず。尽さざる以前に備えを立つるべし。山の衰えは則ち国の衰えなり。」
と遺訓に記し、森林保全の重要性を主張していた。
日本の森林には主に天然林と人工林があるが、国内の森林の約4割を、人が木を植えて育てた人工林が占めている。
第二次世界大戦中は、軍需物資等のために国内で過度の伐採が進められ、戦後は復興需要で多くの木が切られた。その後、“禿げ山”となった日本の山では、1000万ヘクタール近くにのぼる植林事業が展開され、スギやヒノキなどが急ピッチで植えられた。世界でもまれな、大規模の植林事業だったという。
しかし、1960年代に木材の輸入が自由化されたことで、安価で供給が安定した外国産材の木材が使われるようになり、国産材の需要が減少し、林業は低迷。人の手入れが必要な人工林が間伐されることなく、放置されるようになっていった。
今人工林を有効活用しないと、「私たちは森を次世代に残せない」と長野さんは話す。
撮影:今村拓馬
「人工林が植えられて50年が経ち、今、まさに利用期を迎えています。高齢化した木は二酸化炭素の吸収量が減るので、人工林を切って有効活用しつつ、再び植えて育てることで、森林の持続的なサイクルが保たれるんです。切って、また新しい木を植えないと、私たちは森を次世代に残せない」
と、長野さんは話す。
森林伐採と聞くと、環境に対してネガティブな印象があるが、日本の人工林では必要な手入れだという。脱炭素社会を実現するためにも、成熟した人工林の森林資源を有効に利用し、新たな木を植え、二酸化炭素の吸収量を回復させることが重要だと、強調する。
国産木材の利用促進の枠組みづくり
長野さんは、国産木材の利用のメリットを多くのステイクホルダーに伝える、ウッド・チェンジ・ネットワークという活動を続けてきた。例えば最近ではコンクリートよりも軽く、中高層の建築物にも使える強度の、CLT(Cross Laminated Timber:直交集成板)という木材製品が開発されている。耐震性・耐火性が課題とされていたCLTだが、高層マンションでも使えるほど技術開発が進んできている。
五輪のメイン会場となった国立競技場も国産の木材をふんだんに使い、選手更衣室のロッカーなどにCLTが活用されている。
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「国内の3階建て未満の住宅はほとんど木造ですが、人口減少によって住宅も減っていくので、住宅以外の建築用の木材の需要が重要なんです。マンションや中高層の住宅や、店舗やオフィスなどの非住宅はほとんど木造ではないので、国産木材を使うメリットを発信しています。
SDGsやESGについての企業の関心も高まってきていて、問い合わせは増えています。民間企業に何かを強制することはできないので、理解・利用促進の場づくりや枠組みの構築を行政が担い、さまざまなステイクホルダーをつなぐことを心がけています」
6月に成立した改正法には、これまで公共施設で進めていた木材利用を、民間の建築物にも広げる方針が示されている。国や自治体と協定を結んだ企業は、情報提供や優先的な支援を受けられるようになる。
さらに新たに法律の理念として、「地球温暖化の防止が人類共通の課題であり、そのための脱炭素社会の実現が我が国の緊要な課題となっている」ことが明記され、木材利用の促進によって、森林の二酸化炭素の吸収の保全や強化をする必要性が書かれている。
食品ロス問題取り組みで学んだこと
日本では毎年612万トンの食料が捨てられている。
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長野さんは林業に関わる前は、食品ロスの枠組みづくりに取り組んでいた。その経験は、木材利用でも役立った。
世界では飢餓や栄養不足に苦しむ人が増加している一方で、日本では1年間に約612万トンの食料が捨てられている。
長野さんが取り組んだのは食品メーカーや小売店の関係者と、「3分の1ルール」の見直しだった。「3分の1ルール」とは、食品メーカーとスーパーなどの小売店の間に存在している慣習で、「おいしく食べられる目安」である賞味期限が残り3分の1となる前に、卸業者が小売店に納品しなければならないというもの。賞味期間が6カ月の商品の場合、製造日から数えて賞味期間の「3分の1」にあたる2カ月以内に、小売店に納品しなければならない。遅れた場合、食べられるものでも廃棄されてしまうことが多い。
関係者によるワーキングチームを設置し、「3分の1」を「2分の1」にする実証実験を飲食メーカーや小売店35社と実施。すると、清涼飲料と賞味期間が180日以上の菓子、約4万トンの食品ロスの削減と、約87億円もの経済効果があることが判明した。この実験は、大手のコンビニ各社が飲料と菓子などの「3分の1ルール」を「2分の1」に改めるきっかけとなった。
共通の課題認識を洗い出し、目指すゴールの方向性を醸成して、各企業・団体が解決策を出していけるような場づくりは、行政だからこそできる——、そんな手ごたえを感じる経験となった。
「従来の行政手法だと、法律をつくって、旗をたてて、予算で応援していくというのがメジャーな方法でした。でも、最近担当していた食品ロスや木材利用の課題は、価値観や考え方の問題でもあるんですよね。予算をたくさんつけても、解決されない。そういった課題が取り残されている気がするんです」
多様なステイクホルダーを巻き込んで、持続可能な、課題解決の枠組みをつくる重要性を感じている。
人間の時間と自然の時間、どう合わせるか
「責任を持ってより良い環境を、次世代に受け渡す」。これがサステナビリティなのではないか。
撮影:今村拓馬
課長という管理職になったからこそ、できることも増えてきた。働き始めのころは、目の前にきたものを裁くことでいっぱいいっぱいだったが、下っ端ながらも多くの現場に足を運び、さまざまな課題を見聞きしてきた経験が今の財産だ。課題を設定し、解決のビジョンを描き、実装に取り組める今の立場は本当に楽しい、と話す。
長野さんが農水省に入省した1994年は、就職氷河期。公務員を志したのは、女性も分け隔てなく働けると考えたからだ。
「生まれ育った愛知県の安城市は、農業分野の中では先進的な取り組みをしている、知る人ぞ知る場所だったんですけど、農林水産省以外の面接では、“そこは名古屋から電車で何分ですか”とか“豊田市の隣ですね”、と言われて。でも農林水産省の面接官は、“良いところのお生まれですね”と。それで、もう決めた、という感じです(笑)。というのは冗談で、日本の一次産業を幅広くみているところに惹かれました。人の暮らしも、自然も、幅広く取り組めることに魅力を感じたんです」
長野さん提供
しきたりやカルチャーが根強い大きな組織で、自分の居場所を見つけるには、自分を取り繕わずに仕事に取り組むことが大事だと話す。
人事の希望は書くものの、思い通りにいかないこともある。木材利用の改正案も可決され、企業からの問い合わせも増え、これから、というタイミングで、6月末異動が告げられた。もっとやりたいことがあるのに、と思わず目に涙が浮かんだ。
それでも目の前の仕事にしっかり取り組むことで、培ったスキルや視点は、次の仕事への糧となると確信している。木材利用の部署に異動するまで、日本の木材の状況に特別な関心はなかった。しかし、日本の森の状況を深く知ることで、先人たちから受け継いだ森林や山を残していくことが、今では自分のライフワークだとも感じている。
20年以上、自然と暮らしに携わってきているからこそ、サステナビリティの重要性は実感している。
「人と自然の向き合い方や、農村と都会の付き合い方が、自分の仕事の根底をつなぐテーマだと思っています。人間の時間と自然の時間をどう合わせるのかは、とても難しい課題。でも、自分たちの世代で崩壊してしまうようなことがあってはならない。責任を持ってより良い環境を、次世代に受け渡す。これがサステナビリティだと思います」
【筆者後記】
コロナ禍の影響で、赴任地のジャカルタから日本へ退避、そしてリモートワークとなり、週末は登山やハイキングをして、日本の自然を満喫するようになった。間伐などの手入れがされている森とそうでない森は、歩いていて違う。管理が行き届ている森は、光が差し込み、幹がずっしりしていると感じる。
防災の仕事をしていると、世界各地で過度な伐採や管理不足のために、土砂崩れや洪水などの災害が頻発しているケースもよく見る。日本でも戦後は伐採が急激に進み、新たな植林が追い付かず、水をせき止める木が無くなり、災害が多発した。今は気候変動で雨量も増加しているため、適切な保全と管理がより重要になってきている。
長野さんが話すように、人間社会と自然の時間軸は一緒ではない。サステナビリティとは、人が自然から完全に手を引くことではなく、人が自然とどう向き合っていくか、考えて行動すること。そんなことを、インタビューから学んだ気がした。
(文・大倉瑶子)
大倉瑶子:米系国際NGOにおいて、洪水防災プロジェクトのアジア統括、アジア気候変動アドバイザー。職員6000人の唯一の日本人として、ミャンマー、ネパール、アフガニスタン、パキスタン、東ティモールなどの気候変動戦略・事業を担当。慶應義塾大学法学部卒業、テレビ朝日報道局に勤務。東日本大震災の取材を通して、防災分野に興味を持ち、ハーバード大学ケネディ・スクール大学院で公共政策修士号取得。UNICEFネパール事務所、マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Lab、ミャンマーの防災専門NGOを経て、現職。ジャカルタ・インドネシア在住。