年金の目安として使われる「モデル年金」。半世紀以上変わらないこの目安は見直しが必要だ。
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政府が年金の現在の支給額や将来の見通しについて公表するとき、「モデル年金」がよく目安として使われる。
これは、夫が40年間厚生年金に加入して平均的な収入を得て、妻は40年間専業主婦である世帯を標準的な世帯とした上で、その世帯に支給される年金額を算出したもの。
しかし今の時代、この前提に違和感を覚える人は少なくないだろう。
半世紀以上変わらない専業主婦世帯の前提
というのも「モデル年金」という概念が誕生したのは高度経済成長期の真っただ中にある1965年(昭和40年)。
当時は未婚率も低く、(丙午の1966年を除けば)出生率も2を少し超える水準で安定していた時代だ。
この頃、総務省の「家計調査」では「夫婦のうち一方が働き、子どもが2人いる4人世帯」を「標準世帯」と名付けて標準世帯の家計収支の算出を始め、「夫が働き、妻は専業主婦で、子どもが2人」の世帯を標準として、税制や社会保障制度が整備されていった。
老齢年金の支給額に子どもの人数は関係ないが、「夫が働き、妻が専業主婦」という前提は共通している。
もっとも、時代が進むごとに女性の就業率は上昇し、1997年以後は共働き世帯の数が専業主婦世帯を上回り、その差はどんどん開いている。
一方、働き方改革が進み雇用の流動性が増す中で、男性であれば40年間ずっと厚生年金に加入して働き続けているという前提を「標準」と置くことにも無理があるようにも思える。
そこで、筆者が所属する大和総研では、各世代における男女の平均賃金や厚生年金加入率の実績やその見通しを用い、夫婦の就業の有無や形態を特に設定しない、
より汎用的な「その世代における夫婦世帯の平均像」として「新モデル年金」の試算を行った。
現在の平均年金受給額は意外にも「モデル年金」とほぼ一致
まず、直近の統計が確認できる、1954年生まれ世代に2019年に支給開始された年金について、「モデル年金」と「新モデル年金」を比較したものが図表1である。
世帯合計の年金額は、専業主婦世帯前提の「モデル年金」が月22万円であるのに対し、平均的な男女の就労実績に基づく「新モデル年金」は月22.4万円と、ほとんど変わらない水準だ。
モデル年金と新モデル年金はどちらも国民年金(厚生年金期間含む)に40年間加入を前提としているため、基礎年金は同額の13万円である。
しかし、モデル年金と新モデル年金の違いは報酬比例年金に表れる。
モデル年金では夫は40年まるまるの厚生年金加入を前提としているのに対し、実際の男性の平均厚生年金加入期間は32年と40年に満たない。このため、夫の分の報酬比例年金は、新モデル年金はモデル年金より1.8万円少なくなっている。
他方、従来のモデル年金では妻は厚生年金に一切加入していない前提であるが、実際の女性平均の厚生年金加入期間は16.2年ある。このため、新モデル年金ではモデル年金にはない妻の分の報酬比例年金が2.2万円支給される。
結果として、足元において「新モデル年金」は、夫の報酬比例年金が「モデル年金」に不足する分と妻の報酬比例年金が「モデル年金」を上回る分がほぼ釣り合っている。
1954年生まれ世代においても「モデル年金」の働き方はもはや「標準」とは呼び難い。
とはいえ、結果的に「モデル年金」の金額は、この世代に支給される年金額の平均像を捉えたものにはなっており、年金額の目安を示すものとして十分参考になることが分かる。
将来は「新モデル年金」と「モデル年金」の差が大きく開く
専業主婦世帯前提の「モデル年金」では、実態との乖離が大きくなってしまう。
撮影:今村拓馬
では、年金額の将来の見通しはどうなるだろう。図表2は2019年の政府の財政検証の「標準ケース」(※)における「モデル年金」と「新モデル年金」の見通しを示したものだ(なお、本稿の将来の年金額は全て2019年時点の物価に換算した実質額)。
(※)出生中位・死亡中位・経済前提:ケースⅢ(内閣府試算「成長実現ケース」の一つ)・制度改正を行わない(厚生年金の適用拡大を行わない)ケース
標準ケースの前提の下でも「モデル年金」は後に生まれた世代ほど増加していくが、「新モデル年金」はそれを上回るペースで増加していく。
これは、後に生まれた世代ほど女性がより高い賃金水準でより長く働く(これに加えて、男性もより長く働く)ことが想定されるためである。
「新モデル年金」と「モデル年金」の差は1954年生まれ世代は0.4万円だったが、1980年生まれ世代では2.4万円、1990年生まれ世代では4万円に拡大する。
2000年生まれ世代においては「モデル年金」は29.1万円であるのに対し、「新モデル年金」は34.4万円と、5.3万円(比率にして18.2%)の差が生じる。
2000年生まれ世代は女性の平均厚生年金加入期間が25.6年に達し、男性の34.7年に迫る水準となることが見込まれる。
その世代ですらまだ、専業主婦世帯を前提とした「モデル年金」を年金受給額の目安として用いるとなると、実態との乖離が大きくなってしまうことが明らかだ。
「モデル年金」は、現在の新規年金受給者の年金の目安としてはよいかもしれないが、1980年以後生まれの世代が将来受け取る年金受給額の目安としては、有用なものとは言えない。
1980年以後生まれの世代がより正確な老後の生活の見通しを立てるため、また、女性の就業率や賃金の上昇が年金の充実につながることを正しく認識するためにも、そろそろ「モデル年金」は見直したほうがよいだろう。
ゼロ成長でも年金額は増え続ける
平均的な夫婦世帯の受給額が増える「新モデル年金」。年金制度の信頼のためにも変革が必要だ。
撮影:今村拓馬
もっとも、2019年財政検証における標準ケースでは、長期の実質GDPの成長率として年0.4%の成長を見込んでおり、前提が甘いのではないかとの批判もしばしば見られる。
そこで、保守的な見積もりとして、2019年財政検証において長期の実質GDP成長率を0.0%とした「ゼロ成長ケース」(※)におけるモデル年金と新モデル年金の推移を示したものが図表3である。
(※)出生中位・死亡中位・経済前提:ケースⅤ(内閣府試算「ベースラインケース」の一つ)・制度改正を行わない(厚生年金の適用拡大を行わない)ケース。
ゼロ成長ケースの下では、マクロ経済スライド(年金の財政をバランスさせるため社会情勢に合わせて年金の給付水準を自動的に調整する仕組み。2004年に導入された時限措置)が終了する2058年度まで 「モデル年金」は減少を続ける見通しである。
「新モデル年金」は、1954年生まれ世代に2019年に支給開始された年金が22.4万円であるのに対し、1960年生まれ世代に2025年に支給開始される年金は22万円と減少する見込みである。
しかし、それ以後においては、1970年生まれ世代は22.1万円、1980年生まれ世代は22.5万円、1990年生まれ世代は23.6万円と、マクロ経済スライド実施期間中においてもわずかながら増加を続ける見込みだ。
ゼロ成長ケースを基にした「モデル年金」の見通しからは、経済成長を実現できなければ、年金受給額は後に生まれた世代ほど少なくなり、徐々に老後は貧しいものになっていくというイメージを持っている人は少なくないかもしれない。
しかし、これはあくまで、男性のみが40年間働く「片働き給与所得者世帯」が受給する年金額の平均を前提としたイメージに過ぎないのだ。
実際には、日本はこれまで女性の労働参加が進んできたし、このトレンドは続きそうだ。
ゼロ成長ケースを基にした「新モデル年金」の見通しからは、生産年齢人口が減少していく中でも、日本が労働力率や労働者1人当たりの生産性を高めることで現在の経済規模を維持することができれば、平均的な夫婦世帯の年金受給額も現在の水準を維持できる——という姿を思い浮かべることができる。
もちろん、高い経済成長率を目指すことは重要だ。しかし、たとえ「ゼロ成長」であったとしても平均的な夫婦世帯の年金受給額は増加するという「新モデル年金」の見通しは、年金制度への信頼と安心感を高めるものになるのではないか。
多様な働き方を反映した「新しいモデル」が必要
政府は、多様な働き方の実現を目指し、年金制度においても短時間労働者への厚生年金の適用拡大を進めている。それならば、年金支給額の見通しについても多様な働き方を反映した、新しいモデルが必要だろう。
2024年の財政検証結果の公表の際には政府にはぜひとも、「新モデル年金」を参考に働き方の変化を踏まえた新たな年金受給額の目安の算出と公表を検討してもらいたい。
是枝俊悟:大和総研主任研究員。1985年生まれ、2008年に早稲田大学政治経済学部卒、大和総研入社。証券税制を中心とした金融制度や税財政の調査・分析を担当。Business Insider Japanでは、ミレニアル世代を中心とした男女の働き方や子育てへの関わり方についてレポートする。主な著書に『35歳から創る自分の年金』、『「逃げ恥」にみる結婚の経済学』(共著)など。