今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
夏本番。そろそろ夏休みという方も多いのでは? 外出自粛が続くこんな時には読書がぴったり、ということで入山先生におすすめの本を伺ったところ、予想もしなかった3冊が飛び出しました。
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こんにちは、入山章栄です。今年も夏がやってきました。Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんから、こんなリクエストが来ています。
BIJ編集部・常盤
もうすっかり夏ですね。夏といえば、お休みを利用して読書ができるチャンスです。入山先生の「この夏おすすめの本」はありますか?
実は……僕は、あまり本を読まないんですよね(笑)。1ページ読むだけでも何か新しい発見があると、そのたびにそれについて考え込んでしまって、ぜんぜん進まないんです。たまに本を読んでも最初の数ページで考え疲れてしまうんですよね。
ですから、いわゆる頭を使うような啓蒙本、学術書、そしてビジネス書などはほとんど読みません。逆に言えば、「考えないですむ本」は読むこともあるんです。だから僕がふだん読む本をあえて挙げると、漫画、エッセイ、小説です。中でもダントツで読むのは漫画ですね。
とはいえ、こうしたジャンルの本も、ビジネスパーソンに学びになる要素は十分にあると思います。というわけで今回は、そんなビジネス書とは無縁のジャンルから選んだ3冊を紹介したいと思います。
『アド・アストラ ―スキピオとハンニバル―』
先にも言ったように、僕は無類の漫画好きで、ありとあらゆる漫画を読みまくっています。だから漫画の目利き力だけは、それなりの自信がある(笑)。そんな僕が全13巻を一気に読んだのが、ローマの第二次ポエニ戦争を描いた『アド・アストラ ―スキピオとハンニバル―』(カガノミハチ)という作品です。これは面白かった!
「ポエニ戦争」と言ってもピンと来ない方も多いでしょう。これは紀元前にローマとカルタゴの間に起きた、100年近くかかった第一次から第三次まである戦争です。
紀元前300年~紀元前200年くらいのローマはまだ小国にすぎず、カルタゴという現在の北アフリカにあった海洋国家のほうが大国でした。紀元前264年にその大国であるカルタゴがいよいよローマのあるイタリア半島に攻め入ります。でも最後はローマが勝って、逆にローマはシチリア島を手に入れました。それが「第一次ポエニ戦争」です。
それからしばらくして、だんだんローマの力がさらに強くなってきたので、カルタゴではなんとかローマを倒したいという機運が高まってきた。それで始まったのが有名な「第二次ポエニ戦争」です。この『アド・アストラ』という漫画はここが舞台ですね。そのときカルタゴの将軍となったのがハンニバルという人です。
さて実は、この『アド・アストラ』と一緒にセットで読むことをおすすめしたい本があります。こちらは漫画ではなく歴史小説。塩野七生さんの有名な『ローマ人の物語』(新潮文庫)です。
全43巻もの大作なので僕もすべては読んでいませんが、その中のたまたま20年近く前に『ハンニバル戦記』という第二次ポエニ戦争の箇所を読んだことがあったのです。文庫で言うと3~5巻がポエニ戦争についての内容です。この『ハンニバル戦記』はとても面白くて、僕が若い頃に読みきった数少ない読み物の一つです。
撮影:今村拓馬
読者のみなさんには『アド・アストラ』を読む前後に、この『ハンニバル戦記』を読むことをおすすめします。そうすると、漫画の方も立体的に読めるはず。「本と漫画の同時読み」です。
なぜ同時読みを勧めるかというと、このハンニバルは歴史上たいへん有名な人物なのですが、とりわけローマに攻め入るとき「アルプス越え」を敢行したことで知られています。しかしこの「アルプス越え」は、『アド・アストラ』ではなぜか十分に描かれていない。一方の『ハンニバル戦記』はアルプス越えの話を詳細に書いているので、そこで補えるわけです。
では、その「ハンニバルのアルプス越え」とは何だったか。みなさん頭に地中海や南ヨーロッパを浮かべて欲しいのですが、普通はカルタゴのある北アフリカからイタリア半島に向かうなら、地中海を船で渡っていくのが効率的ですよね。しかしハンニバルは意表をついて、当時カルタゴの領土だったスペインに渡り、そこから陸路でアルプス山脈を越えてローマに向かうという奇想天外なルートを選んだのです。
冬の山は雪が降るほど寒く、登るのはとても大変です。しかも動物の象を戦車のように使うのがハンニバルの得意な戦術なのですが、象は暖かいところが好きなわけですから、その象にアルプスを越えさせるというだけでもいかに無茶苦茶な作戦かが分かるでしょう。
しかしこの作戦が奏功し、ハンニバルはアルプスを渡ってローマに攻め入り、ローマを大混乱に陥れるのです。
このようにカルタゴ軍ではハンニバルという一人の「クレイジーなイノベーター」がローマで暴れ回ることになります。
一方でローマの政治は、いわゆる「共和制」をとっています。選挙で選ばれた執政官がハンニバルと戦うことになる。そして時に、民主主義であるがゆえに 、優秀でなくても口がうまい執政官が選ばれたりするわけです。「優秀なイノベーター独裁者」と「ダメな人をトップに選んでしまった民主主義」では、民主主義がボロ負けする……これはなんとなく現代にも通じるところがありますよね。
しかし結局は、ハンニバルは持久戦に持ち込まれてしまい、そのあいだに彼の生涯最大のライバルとなるスキピオという人物がローマから出てくる。スキピオもまた軍事の天才です。この2人の直接対決が行われたのが「ザマの戦い」で、最終的にはローマが勝つ。そしてその後のローマ帝国の拡大が始まるというわけです。この一代叙事詩を描いたのが『アド・アストラ』であり、『ハンニバル戦記』です。
つまり、世界を制するローマがローマたり得るには、100年を要するポエニ戦争に勝たなければいけなかった。そういう重大な戦いだったのです。
これは『ハンニバル戦記』で塩野氏が書いていることですが、このような長く熱い物語も、現代の世界史の教科書では「ローマはポエニ戦争でカルタゴを下し、地中海を制覇した」というたった1行で済まされてしまう場合がほとんどです。
でも実際には、とても豊かなドラマを秘めているのです。歴史の教科書だと無味乾燥なものでも、この『アド・アストラ』と『ハンニバル戦記』を読めば、その長いドラマが分かるはずです。
『定額制夫のこづかい万歳 月額2万千円の金欠ライフ』
2冊目にご紹介するのも漫画です。それは、『定額制夫のこづかい万歳 月額2万千円の金欠ライフ』(吉本浩二)。現在も『週刊モーニング』で連載中の人気漫画です。
これはどういう漫画かというと、家庭を持つ世の男性・女性たちが月々の自由になるお金(こづかい)をどう使うか、その内訳を詳細に描くという驚愕の書です。
まず作者の吉本浩二さんは漫画家として、失礼ながらこの作品がヒットするまでは、それほどに売れているというわけではなかったようです。奥様も頑張って働いているけれど、お子さんも2人いるので、完全に余裕のある暮らしぶりというわけではない。
従って吉本さんの小遣いは「月に2万1000円」。これをどうやりくりするか、知恵を絞る様子がコミカルかつ真剣に描かれている漫画なのです。
BIJ編集部・小倉
僕は独身なので、「2万1000円じゃ何もできないな」「何が面白くて生きているのかな」と思ってしまいます……。
BIJ編集部・常盤
いやいや、辛いことだけじゃないですよ(笑)。
そうそう、家庭生活にはそれ以上に幸せなことがあるから、お金だけではないですよね。小遣いのやりくりもそれぞれのこだわりで楽しめる。まさにそこを描いた漫画なんです。
ちなみにいまの社会人男性の平均のおこづかい額は、30代が3万6000円、40代が3万7000円だそうです。吉本浩二さんはがんばって家計に多く入れているから2万1000円なんでしょうね。
そうすると「2万1000円」という非常に限られた金額の中で、自分が最も幸せになる使い方を、突き詰めて考えないといけない。例えば吉本さんの場合は下戸でお菓子が大好きだから、いかにお菓子をたくさん買うかを徹底的に吟味を重ねる。お金に制約があるからこそ、自分にとって本当に好きなものだけ突きつめるのです。
この漫画で出てくる吉本さんのその他のまわりのキャラクターも、みんな小遣いが2万円くらいの方々ばかり。その「小遣いを使う突きつめ方」は、驚愕のレベルです。
例えばローソンでパンを買ってポイントを貯めて手に入れた景品を子どもにあげる人、業務スーパーで1本38円のお茶を買うことにこだわる人、駅の片隅で立ち飲みをするのを「ステーション・バー」と心の中で命名して無上の喜びを感じている人……(笑)。そればかりか、むしろこういった方々はその行為に誇りを持っているのです。
ある登場人物のセリフに、こんな名言があります。
「家計のためですからね。やりがいのある戦いです……」
この連載の第68回で、「ミレニアル世代はお金で買えるものに上の世代ほど価値を感じていない」という話をしましたが、この漫画に登場するのは僕と同じ40代の方が多い。となると、まだお金に物質的なリターンを求めたい世代です。
だからミニレアル世代の人が読むと、「いまの40代はこういう価値観を持っているのか!」と興味深く感じられること請け合いの漫画ですよ。
BIJ編集部・小倉
ミレニアル世代は、これを読めば上司にやさしくなれるかもしれませんね。
『一発屋芸人列伝』(山田ルイ53世)
最後はようやく漫画ではなく、普通の本です。とはいえ、おそらくBusiness Insider Japanで紹介にするには異色の本、お笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世の『一発屋芸人列伝』です。
ダンディ坂野、レーザーラモンHG、コウメ太夫、テツandトモ、ジョイマンなど、一時期テレビで人気者だったけれど、最近は姿を見なくなった、いわゆる「一発屋芸人」たちのその後を、まさに自分も一発屋である山田ルイ53世が描いたノンフィクションです。
僕は20代のころに東京の中野に住んでいました。中野ではケーブルTVで「東京ビタミン寄席」という番組をやっていまして、まさにダンディ坂野や髭男爵のような芸人が売れる前に出ていたのを見ていたので、この本はその懐かしさもあってよけいに面白かった。山田ルイ53世は、文章も上手です。
売れっ子だった時期が終わった一髪や芸人も人生は続きます。というか、「その後」の方が長い。そこをどう生きていくかは、本当に人それぞれです。
例えばテツandトモはテレビには出ないけれど、実はいま地方のイベントなどに毎日のように営業出演して、めちゃめちゃ成功して稼いでいる。この本によると、実は彼らは「なんでだろう」のネタを始めてわずか半年で売れてしまったのだそうです。だから、我々が知らないだけで、ある意味で実は「ずっと売れ続けている芸人」なのです。
それと対照的にコウメ太夫やジョイマンは、一発当てたあとはパッとせず、売れていたころとの落差が激しい。しかし僕は、そんなうまくいかないときにこそどう立ち振る舞うかが、人は一番重要だと思うのです。
先日、某メディアの企画で、イチローの名言をなぜか僕が解説するという企画がありました。「モチベーションをどう保っているんですか?」という質問に対して、イチローは、
「モチベーションを上げる方法はまったくなかった。ただ、状態が悪いときにモチベーションを下げないことを考えていた」
と答えています。僕はけだし名言だと思いました。
そういう意味では、一発屋芸人の生き様は実に示唆に富んでいます。一時は華々しく売れたけれど、少なくともテレビのようなメディアには取り上げられなくなった人たちが、その後の人生をどう生きるか。それぞれの生き方を考えるという意味では、この本はたいへん参考になります。
人生だって、ビジネスだって、本当はたいへんな時、辛い時の方が長いことも多いわけです。でもそこでどう振る舞うか、どう楽しむか、この本はその大切さを教えてくれると思います。
というわけで、今回ご紹介した本の面白さは僕が保証しますので、ぜひ読んでみてください。どれも経営学とも、『世界標準の経営理論』ともまったく関係ありませんが(笑)。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。