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学力試験を重視してきた中国で、いま教育産業を揺るがす事態が起きている。
学校が夏休みに入った7月下旬、中国政府が学習塾の規制を公表したのだ。教育関連株が総崩れになるなど、産業と市場は混乱に陥っている。
その狙いは、「ゆとり教育」に転換し少子化に歯止めをかけること。しかし、科挙の時代から学力試験が非常に重視されてきた中国で、その歴史と文化を変えるのは習近平氏の強権をもってしてでも難しい気もする。
子どもを日中両国の公立小学校に通わせ、自身も両国の大学で教えたことがある立場から、中国の教育の実情と、今抱えている課題を紹介したい。
小学生の宿題は1時間以内、中学生は90分以内と明記
中国共産党弁公庁と国務院弁公庁は7月24日、「小中学生の宿題と塾・習い事の負担を軽減するための意見」を発表。大量の宿題と塾通いが子どもと保護者の負担になっていることを問題視し、地方政府に対応を求めた。
宿題については、「小1、2年は筆記の宿題を出してはいけない。反復練習など知識の定着は学校で行う。小3~6年生の筆記の宿題は1時間以内、中学生は90分で終わる分量を守る」「宿題が終わらなくても、睡眠を優先する」など、具体的な線引きを明示した。学習塾は「新設は認可しない」「上場による資金調達を認めない」と規制を課した。
伏線はあった。習国家主席が6月、唐突に「児童生徒の勉強は基本的に学校内で教師が完結するべきだ」と発言。これを受けて中国教育部が、学習塾・習い事の教室を監督するための部署を新設した。また山東省は同月、小中学生の保護者に夏休み中のスポーツや芸術活動、社会科見学などを推奨し、学習塾に行かないよう求めた。学校側にも補習や集団自習、オンライン授業の自粛を指示した。
2015年に一人っ子政策を撤廃したことで、政府は出生数が2000万人を回復すると見ていたが、実際には2018年以降は出生数が再び減り、近く1000万人を切るとすら危ぶまれている。
国家統計局のデータをもとに作成。
背景には、少子化の進行がある。中国政府は5月31日、第3子の容認を発表した。2015年に一人っ子政策を撤廃したものの、出生数は反転するどころか右肩下がりが続いている。3人目容認についても世論の反応は冷ややかで、「教育費の負担を考えると、1人がやっと」との声がほとんどだ。
大学まで続く暗記・暗唱の日々
筆者の子どもが中国の小学校1年生クラスに在籍していたときの国語の教材(左)と英語のテキスト。
浦上早苗撮影
筆者は2010年に中国に移住し、子どもを現地の学校に通わせながら、自身は博士課程への留学を経て、大学で講師をしていた。そこで見たのは、日本とは比較にならない詰め込み、暗記教育だった。
7歳の子どもが現地生活に慣れるため最初の1年間通った「学前班」は、小学校0年生課程のような保育園で、週に数回「記憶力」という授業があった。ここで子どもたちは円周率を100ケタ以上暗記していた。小学校では毎日、唐詩を暗唱していた。暗記・暗唱文化は大学まで続き、筆者が勤務していた大学では、朝7時から教科書を暗唱するいわゆる「0時限目」があった。
小学校の授業時間そのものは日本とそう変わらないが、進度と内容の多さが半端なく、小1で習う漢字は日本の同学年の4~5倍あった。数学も小1から文章題が出された。また、小学校でも中間試験、期末試験がある。
英語の授業も、小1からがっちりある。子どもは中国で小3の内容まで学んだ後、日本で英検3級に合格した。我が家は家庭では日本語の学習をしていたため、英語は学校で勉強するだけだったが、現地の子どもの多くは学校の授業だけでは足りず、英会話教室や英語塾にも通っていた。
宿題を撮影し正答を検索するアプリが大流行
大学入試に向けて勉強する中国の高校生。
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ゆとり教育による学力の低下が指摘される日本から中国に移り住んだ筆者は、中国の子どもがものすごく勉強するのを見て、「日本は大丈夫か」との思いを強くしたが、当の中国人は教師も含めてほぼ全員が、中国の教育システムに否定的だった。
中国の教育は大学入試が明確なゴールで、また、入試が知識を競うものであるため、「子どもたちは暗記ロボットになり、とても疲れている。かわいそう」というのが中国人の考えだ。
旅行用のキャリーバッグで登校する小学生は珍しくなく、授業の進度の速さは、膨大な宿題でカバーされる。小学校高学年になると宿題をこなすのに22~23時までかかり、指導や添削は保護者の役目だ。だからこの数年は、問題を撮影すれば正解を検索して表示できるアプリが大流行し、政府は今回の意見で、そのようなアプリの提供を禁止した。
また、経済成長と教育熱の高まりで、小学生の多くは英語、芸術、スポーツを組み合わせて4~5つの習い事をしている。平日は学校の勉強で時間がない分、土日に4つの習い事を詰め込む家庭も普通で、親は送り迎えで、子どもたちは勉強と習い事でたしかに疲れきっている。
勤務先の大学で学生たちからしばしば聞いたのが「勉強していい大学に行けば、自由になれるから今は我慢しなさい。そう言われて灰色の生活を受け入れてきたが、大学に行っても暗記ばかりで高校の延長だ」という不満だった。
学生たちの専攻が語学系だったのもあるだろうが、それ以上に教員が暗記・暗唱教育で育ってきたため、他の術を知らない。教員たちもよく、そう自嘲していた。
思考力重視の米国、のびのび教育の日本に憧れ
子どもをのびのび育てたいと日本に移住する中国人も少なくない。
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多くのテキストや問題を暗記した子どもがいい大学に行き、社会的地位や高給を手にするシステムに、中国人も辟易としてきた。
だから、思考力や論理力、人間力を重視するアメリカの教育への憧れが大きいし、ノーベル賞受賞者を多く輩出する日本の教育システムも、高く評価している(中国では毎年のように、「なぜ中国からは理系分野でノーベル賞受賞者が出ないのか」という議論が起きる)。
結果、教育熱の高い知識層や高所得者層は、子どもを留学させる傾向が強くなる。日本で子どもを育てている中国人は口をそろえて、「小学生のうちはのびのび育てたいから日本にいる」と言う。
ただ、子どもを留学させるためには語学を勉強させないといけない。ということで、今度は留学ビジネス、語学ビジネスにがんじがらめになる。
筆者が勤務していた大学で、英語学部のアメリカ人教師は家庭教師や塾講師の副業で稼ぎまくり、ついに入国管理局に摘発されてしまった。本人いわく、ライバル塾による告発だったそうだが、副業の稼ぎは大学教員の給料の3倍ほどあったという。
知り合いの朝鮮族女性は子どもに対し、家庭内では韓国語で話し、小中は中国の学校、高校は欧米法人が経営するインターナショナルスクールに通わせた。その後、子どもは英語入試で日本の有名国立大学に進学し、4カ国語を話せるようになっている。1990年代に購入した家が住宅バブルで値上がりし、それを売却して教育費に充てたとのことだった。
少子化対策としての大改革、そして大混乱
中国の子どもはとても疲れている。そして教育には大変なお金と労力がかかるので、親も疲れて、2人目を持つ余裕はない。
というのが、今の中国人の雰囲気だ。だから中国政府は国民の声を受けて、「2つの減」と銘打ち、宿題と学校外教育の軽減に動いたわけだ。
だが、そもそも中国人の多くは日本人のように「産みたくても産めない」と考えているわけではなく、一人っ子社会に慣れて「子どもは1人でいい」と思っているわけで、「一人っ子政策を緩和すれば子どもが増える」と考える政府の価値観とは大きな隔たりがある。特に今の30代以下の世代は一人っ子に対して上の世代のような「かわいそう」「甘やかされている」というネガティブな感情もない。
そして今回の改革は何十年もかけてつくられた教育のエコシステムを崩壊させる極端な内容となっており、少子化問題の解決以前に、簡単にマインドを変えられない教育現場や保護者、そして教育産業を早くも混乱に陥れている。その改革の詳細と、中国経済や教育への影響については、次回考察していきたい。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。