撮影:今村拓馬
子どもの学習支援などを展開するNPO法人Learning for All (LFA)代表理事の李炯植(30)は東大在学中、同級生たちから言われた言葉が忘れられない。教育からドロップアウトする子どもたちへの問題意識を話したところ「バカだから仕方ない」と、言い放たれたのだ。
李によれば、子どもたちを「落ちこぼれ」させてしまうのは多くの場合、彼ら彼女らを取り巻く環境が原因であり、いわば大人たちの責任だ。しかし、子どもたちの苦しみに共感できる人は、社会にはまだまだ少ない。
「すべての子どもは力を持っていて、発揮できる環境さえあれば育つ」
そう信じる李は活動を通じて、「バカだから」と子どもたちを切り捨てようとする社会に、立ち向かおうとしている。
「こんなにできなくって泣いちゃう」
LFAでは、大学生のボランティアが学習支援を務めるが、事前に約40時間以上の研修を受講する(2019年撮影)。
提供:Learning for All
7月のある夜、東京都葛飾区内にあるLFAの学習拠点では、5人の小中学生が勉強していた。広いテーブルに、生徒と「先生」の大学生ボランティアが1対1で向き合う。
ひとりの男子は、「こんなにできなくって泣いちゃうよ」と冗談交じりに言いながら数学と格闘していた。
ボランティア先生は、力強く「大丈夫大丈夫、その涙があればゼッタイ解けるようになる」と励ます。その言葉に男子は、再びノートに目を落とした。
「—— 5?」と男子。
先生は大きくうなづいて「正解! 分かってきた?」
「分かってきました」と、生徒から笑顔がこぼれる。先生の方が嬉しそうに、「これ大事だよ!受験に出るよ!」と声を弾ませた。
中にはうつむいたまま、机の下でスマホをいじる子もいる。担当のボランティアは穏やかに、「今日は、漢字やる気にならないかな?」と声を掛けた。
子どもの気分が乗らず、アニメなどの話に終始することもあるという。それでも通い続けてもらえれば、彼らが学びたくなったり、学習以外の困りごとを抱えたりした時、役に立てるかもしれない。そんな気長な付き合いだ。
勉強だけ教えればいいわけじゃない
LFAの「居場所」では、宿題の見守りの他にも、手洗い・うがいや歯磨きといった基礎的な生活習慣を身につけるための支援もする(2019年撮影)。
提供:Learning for All
学習支援は、小学校高学年と中学生を対象に週2回、地域の地区センターなどで開かれている。利用者の中には、生活保護を受けるひとり親家庭や、アフリカやアジアなど、外国にルーツを持つ家庭の子どもも多い。通い始めた時には、中2でアルファベットがおぼつかない、九九が言えない子どももいた。
「彼らは能力がないとか怠けているとかいった理由で『勉強ができない』のではなく、貧困や虐待、親の病気や発達障がい、外国ルーツなど複合的な課題を抱え、学ぶ機会を奪われているのです」
と、李は語気を強めた。
例えば、LFAに通っていたある低学年の男児は、毎日同じ服を着ていて、虫歯が多かった。身なりや虫歯のせいでいじめを受け、不登校になって余計に学習が遅れてしまう悪循環に陥っていた。彼の家庭は、しばしば電気や水道が止められるほど困窮していた。
「生活の苦しい家庭では、親が仕事のため不在がちで、入浴や着替え、歯磨きなどの生活習慣すら、子どもに教えられないことがある。自分の部屋や机がなく、同じ部屋で家族がテレビを見ているなど、物理的に学ぶ場所がない子どもも多いのです」(李)
またある中学生は、病気がちで入退院を繰り返す母親に代わって、幼い弟妹の世話をしていた。弟妹を寝かしつける間に自分も寝てしまい、朝も起こす人がいないので、登校時間に間に合わない。家では勉強したくともできないと、LFAに通うようになった。
李は、
「さまざまな困難を抱えた子どもたちに対しては、勉強だけを教え込めばいいというわけではない。家庭での生活や親の抱える課題も含め、環境全体をサポートしなければ」
と語る。
貧困や言語の壁…親も支える仕組みづくり
李は東大大学院に在学中の2014年にLFAを設立。これまでに支援した子どもは9000人を超える(2019年撮影)。
提供:Learning for All
李が子ども支援に関わるようになったのは、大学3年生だった2010年、NPO法人Teach For Japan(TFJ)の学習支援活動にボランティアとして参加してからだ。2014年、TFJの一事業だった学習支援を独立させる形でLFAを設立し、代表に就任した。
設立以降、李は子どもの生活に丸ごと関われるよう、さまざまな事業を立ち上げた。
低学年の子どもたちに、歯みがきや片付けなどの生活習慣や、毎日少しでも勉強するという学習習慣を身に着けてもらいたい。せっかく入った高校になじめず、悩む子どもたちが安心して相談できる場もつくりたい。貧困や育児ストレスを抱える親や、言語の壁を抱える外国籍の親も、支える必要がある……。
こうした考えから、2016年には小学校低学年の子どもたちを受け入れ、生活習慣を身に着ける機会や遊びなどを提供する「居場所」と子ども食堂、さらに2019年からは中高生のための「居場所」を開いた。
保護者に対しても団体設立当初からメールや電話、対面を通じた相談支援などを始め、6~18歳の子どもとその親を、切れ目なく支える仕組みをつくった。2020年からはコロナ禍をきっかけに、保護者がアクセスしやすいLINEでの情報発信などにも積極的に取り組んでいる。
現在の拠点は都内と埼玉県、つくば市の計20カ所(2021年6月時点)。2021年までに支援した子どもは、のべ9000人を超える。
支援通じ「地域」を再構築したい
コロナ禍以降に始めたフードパントリーでは、LFAの支援拠点で野菜などの食料を無償配布。地域の人々との交流もオープンに行なっている。
提供:Learning for All
学習支援と同じ日、葛飾区内の低学年の居場所兼子ども食堂で出された夕食のメニューは、ラーメン。ラーメン店に勤めているボランティアの女性が、腕を振るった本格派だ。「おかわりする人~」と職員が声を掛けると、子どもたちが争うように手を挙げた。この拠点では、地域ボランティアの女性3人が、日替わりで調理を担当しているという。
「支援を閉じたものにはしたくない」と、李は言う。
「活動を閉じると、子どもたちと地域とのつながりが断ち切られてしまう。そうなると地域の人たちは『よく分からない横文字のNPOに通う子がいる』程度の認識しか持てず、子どもの貧困も、存在しないかのように思われてしまう」
このためLFAは、町内会や学校、地元住民などと、子どもたちとの接点を増やす努力を続けてきた。学校などからは「メンバーが若いせいもあり、最初はなかなか信頼してもらえなかった」(LFA広報)というが、今では教師が、気になる子どもを見つけてスクールソーシャルワーカー(SSW)に相談し、SSWがLFAに子どもを連れてくる、といったケースもある。
さらにコロナ禍以降は、中高生の居場所で定期的にフードパントリーを開き、物資を受け取る人たちや寄付をする地元の住民も、しばしば出入りするようになった。町内会の高齢者たちが「寄り合いが全然なくなってしまったので、久しぶりに集まれて楽しい」と、明るい表情で話す姿も見られたという。
中高生たちも運営を手伝い、
「支援を受けている子どもたちが、自分も支える側に回れるのだと認識できる機会は、とても貴重。LFAの拠点を、高齢者や母親、子どもたちなど地元住民の集まる場にすることで、地域を再構築していきたい」
と、李は語った。
僕たちは「自転車の補助輪」に過ぎない
撮影:今村拓馬
学習支援に通う子の中には、家計が苦しい中でも大学への進学を希望し、意欲的に勉強する子もいる。進学を渋る親に、LFAの職員が「○○さんには、こんな夢があるようですよ」などと伝え、親子の橋渡し役を務めることもある。
LFAの「卒業生」である1人の女の子は生活保護家庭で育ったが、学習支援を通じて好きだった英語の力を伸ばし、大学に進学、留学も果たした。しかし李は、「大学に行けたのも、留学できたのも彼女自身の努力。LFAのおかげでここまで来れた、助けてもらったとは思ってほしくない」ときっぱり言う。
「彼女が陥っていた環境は大人と社会の責任で、彼女の責任ではない。学ぶことは彼女が持つ当然の権利で、本来は当たり前に提供されるべきものです。彼女には、自分の人生の主人公として『私が頑張った』物語を持ってほしい」
李はLFAを「自転車の補助輪」に例える。
「補助輪って、ごく小さい子どもの頃に使うだけで、いつ取れたかも覚えていないし、大人になると、補助輪という存在すら忘れてしまうでしょう。僕たちも、単なる通過点として忘れられていい。子どもは本来、自分の力で走る力があるのだから」
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(文・有馬知子、写真・今村拓馬、デザイン・星野美緒)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。