撮影:今村拓馬
非営利のNPOであっても、トップに立つ人間に経営能力がなければ、組織を持続させるのは難しい。20年にわたって若者支援に取り組んできたNPO法人「育て上げネット」代表理事の工藤啓(44)は、Learning for All(LFA)代表理事の李炯植(30)について、「李さんは哲学的で造詣も深いのに、経営者の面もきちんと持っている」と評する。
しかしそんな李も、LFA立ち上げ当時、経営の知識はほぼゼロだった。
「現場について語る言葉と、大学院生として学術的に説明する言葉はあっても、ビジネスを語る言葉は持っていない。ビジョン、ミッション、バリューの意味も分からず、『学習支援の価値は何?』と聞かれても、『知らんし』と言いたい気持ちでいっぱいだった」
学生団体から独立。並走したプロボノたち
「プロボノ」としてIBM社員4人が設立をサポート。睡眠時間4時間の日々で李はLFA設立にこぎつけた。
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そんな李の強い味方となったのが、ボランティアでスキルを提供する「プロボノ」として設立をサポートしたIBMの社員たちだ。人事、企業戦略など異なる分野の担当者4人が、3~4カ月集中的に伴走した。「僕にとっての『経営道場』でした」と、李は振り返る。
「1から鍛えてください」という李の依頼の通り、彼らは涼しい顔で、つぎつぎと難題を突き付けた。
「李君、2週間でビジョンとミッションと組織のロードマップを作っておいてね」
当時、李は現場のまとめ役も務めていた。学習支援が終わると、学生ボランティアと深夜までミーティング。その上に設立準備が加わって睡眠4時間の日が続き、ブラック企業どころか「漆黒の」働きぶりだったという。
こうして李は無事2014年、LFA設立にこぎつけた。
「4人に助けてもらったからこそNPOの土台ができ、ビジネススキルやマネジメントの方法も学ぶことができた」
と李。4人はその後も、プロジェクトベースでLFAの活動に参加するなど「細く長く」関わっているという。
自己責任論に対抗するには理論とデータ
大学院時代の李。東大入学から大学院修了までには11年かかった。LFAの活動を率いながら論文を書く、忙殺されるような日々も送った。
提供:李炯植
NPOの立ち上げと運営にこれほどのエネルギーと時間を費やして、学業が滞らない方が不思議だ。李は2015年に大学院を休学、2017年にいったん退学したものの翌年復学し、2020年春に修了した。余談だが、修士論文を提出した1週間後、客船ダイヤモンド・プリンセス号のパンデミックが発覚。李はコロナ禍の対応に忙殺されることになる。
大学入学から大学院修了まで、実に11年。時間をかけても大学院を出たのは、子ども支援の現場で、「実践と理論が遠い」と感じていたからだという。
「理論は確かに重要ですが、実践に返ってこないことに違和感を覚えていました。子ども支援の価値基準などに関する学説も、ほとんどありません」
連載2回目で説明したように、子ども支援は来所者数や進学率といった、定量的ではあっても支援のすべてを網羅したとは言えない数字か、子ども一人ひとりを取り上げた定性的な「ストーリー」かの、両極端で評価されがちだ。
このためLFAは、子どもたちの状況や支援内容などについて定量的な調査を実施し、データを元にした政策提言にも取り組んでいる。
「子どものしんどいストーリーや、笑顔になった写真を見せても『勉強ができないなら、高卒で働いたっていいんじゃない』という反論が必ず出てきます。理論的に説明されたデータを示すことが、子ども支援の存在意義を、社会に納得させるためにも重要なのです」
「ドラゴン桜」的人生と目指す社会の矛盾
李にとって、自分が「ドラゴン桜」的キャラクターになることへのジレンマはある。それでも、伝え手として人前に立つことも役割だと考える。
撮影:今村拓馬
自分と地元の同級生たちの道を分けたのが、「学力」であることを、李は否定しない。
「勉強ができたから、恩師が勧めてくれて私立に入り、猛勉強して東大に進学できた。(逆境を跳ね返して東大を目指す漫画の)『ドラゴン桜』みたいなシナリオです。でも僕のような人間をつくろうとすることは、僕の目指す社会と矛盾している、というジレンマがあります」
「頑張った」李は東大に入れて「頑張らなかった」同級生たちは入れなかった。すべては自己責任じゃないか—— 。自分の存在が、こうした考え方を助長してしまうのではないか、と李は危惧する。
学習支援の現場も、同じようなリスクをはらんでいるという。
連載第1回で登場した、LFAの拠点に通う中学生。数学に必死で取り組む子と、先生の言葉にも生返事でスマホをいじる子なら、つい前者に肩入れするのが人情かもしれない。しかし、分からない子に分かる楽しさを教え、あるいは子どもが関心を寄せる分野を探していくことが、「しんどい子」を引き上げる社会につながる。
「目の前の子を『いい学校』に入れようとするのは、1人への支援としては正しいかもしれません。しかし結果的には、能力のある子だけ引き上げ、そうでない子を評価しない社会を生みかねない。自己責任論と格差構造そのものを、変える力にはならないのです」
もちろん社会構造を変えるには、LFA一団体の取り組みだけでなく「最低賃金の引き上げなどによって所得を底上げすることや、東大を頂点とする『富士山型』の教育システムを、さまざまな分野の頂上を持つ『八ヶ岳型』に変えることも必要」と、李は主張する。
「高専・専門学校など大学以外にもさまざまなルートで職業的な専門性をつける道を拓き、勉強だけでなく得意分野を伸ばす子どもを評価するよう、システムを見直すべきです」
李は、メディアや講演で「ドラゴン桜」的な自分を語ることに、葛藤も抱えている。ただ「困難な境遇からの『サバイバー』である僕が口を開くことで、公平な社会や格差について考える人を増やすことも、役割の一つではないか」と考え、人の前に立っているという。
Z世代は僕らの想像を越えていく
デジタルネイティブのZ世代学生たち。「今の社会のダメな面を変えてほしい」と李は思いを伝える。
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一部のエリート学生が、勝ち組の椅子取りゲームに没頭する一方で、ソーシャルグッドに対する意識の高い若者も増えていると、李は感じている。
「高校生から『LFAでボランティアをさせてほしい』といった問い合わせがあるたびに、自分たちが彼らの年齢だった頃に比べて、意識が高いことに驚かされます」
李はあるプロジェクトで、社会貢献に取り組む若者たちのメンター役を務めている。そこでは10代~20代前半の参加者が、自由な発想でフェアトレードや病児支援など、さまざまな取り組みに挑戦しているという。
「僕の時代はガラケーだったけれど、今の高校生のほとんどはスマホを持ち、情報量と目に映る世界が圧倒的に変わった。彼らは僕らの想像を越えていくでしょう。ぜひ彼らの目線で、今の社会のダメな面を変えてほしい」
子どもの貧困が可視化されるようになり、政府も「子ども庁」の創設に向けて動き始めた。こうした流れの中で、子ども支援を志す若者も、今後増えてくると予想される。後に続くであろう後輩たちに、李は「子どもたちの立場で考えることを、忘れないで」というアドバイスを贈った。
「資金集めも組織運営も大事だけれど、当事者である子どもたちにさえ嘘をつかなければ、人は集まります。またNPOを志すなら、市場の論理が通用しない領域で、NPOだからこそ救える人たちの支援に、きちんと取り組んでほしいとも思います」
(敬称略・完)
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(文・有馬知子、写真・今村拓馬)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。