PayPay:同社HPよりキャプチャ、Google:rvlsoft/Shutterstock
——2021年7月5日、ヤフー株式会社と持株会社であるZホールディングス株式会社が「ヤフージャパン ライセンス契約」を終了すると発表しました。シバタさんの「決算が読めるようになるノート」でも分析されていましたが、この契約終了がどんな意味を持つのか、読者に向けて解説をお願いします。
シバタナオキ氏(以下、シバタ):1994年にアメリカでYahoo,Inc.が設立され、1996年に株式上場しましたが、当時はソフトバンクが筆頭株主でした。Yahoo!ブランドの現地法人はYahoo,Inc.の100%子会社として展開しましたが、日本だけは例外的にYahoo,Inc.とソフトバンクのジョイントベンチャーとして設立されたのは、このためです。
ヤフージャパンは、Yahoo,Inc.の持つYahoo!ブランドやシステム、技術の提供を受ける対価として、売り上げの約3%をロイヤリティとして支払う「ヤフージャパンライセンス契約」がこのとき締結されたのです。当時のYahoo,Inc.は最先端のIT企業でしたから、その技術やノウハウを得られるメリットは大きく、3%のロイヤリティは割安だったはずです。
しかしご存知の通り、アメリカのYahoo,Inc.はモバイル化の波に乗り遅れ、2017年にはアメリカの大手携帯会社ベライゾンに買収され、Yahoo!ブランドは消滅しました。同社のメディア事業は2021年後半にファンドに売却される予定です。
Yahoo,Inc.が業績低迷する一方、ヤフージャパンは堅調に売り上げを伸ばし、この契約を解消するタイミングを図っていたと思います。しかしベライゾンにしてみれば、毎年黙っていてもフィーが入ってくるわけですから、当然解消したくない。今回ファンドへの事業売却のタイミングで、ようやく解消できたのでしょう。
契約終了の対価としてヤフージャパンは1785億円を支払いましたが、計算すると、これは約10年分のロイヤリティに相当しますから、妥当な金額だと思います。ロイヤリティの支払い義務がなくなったヤフージャパンが今後、Yahoo!に加えて、PayPay、LINEという知名度の高い3つのブランドをどう展開していくのか注目しています。
Ken Wolter / Shutterstock.com
——PayPayがスタートした時、「Yahoo!ペイではないのか」と話題になりました。
シバタ:Yahoo!ブランドを使用してロイヤリティを支払うのか、PayPayという新ブランドを立ち上げてマーケティング費用を投下する場合のコストを天秤にかけたはずです。その上で後者を選んだのでしょう。
尾原和啓氏(以下、尾原):そもそもネットの世界でブランドが大事なのは、検索サイトの競争に巻き込まれないためです。Googleの検索ワードランキングにYahoo!が出るのは、Yahoo!のポータルサイトを訪問するためにGoogleで検索しているわけです。
けれども、例えばGoogleでヤフーオークションを検索すると、検索結果には他社のオークションサイトも表示されますから、検索サイトを経由する限り、永遠に競争にさらされます。いかにホーム画面に設定してもらうか、今ならアプリをダウンロードして、検索サイトを経由せずに直接訪問してもらうかが重要です。
かつては検索サイトもYahoo!一強でしたが、今ではYahoo!自身、裏側ではGoogleの検索エンジンを使っています。今後、金融事業はPayPayブランドに統一していくでしょうが、Yahoo!ニュースなどのメディア事業では、圧倒的な認知度を持つYahoo!ブランドを今後も使って、サイトに直接訪問してもらおうと考えるはずですし、その対価として1785億円は安いものだと思います。
グーグルがpring買収で買ったもの
グーグルが買収したpringは、法人から個人に少ない手間、手数料で送金ができるサービスを提供する。
pring公式サイトよりキャプチャ
——日本の決済サービスではPayPayがシェアを伸ばしていますが、この7月、グーグルがスマートフォン決済の国内ベンチャーpringを買収することがわかりました。なぜいまグーグルが決済サービスに参入するのでしょうか。
シバタ:グーグルはアメリカのモバイル決済サービスでペイパルやスクエアに後れをとっているので、巻き返しを図りたいはずです。すでにPayPayのようなベンチマークとなる競合企業がいる日本市場で実験したいというのが本音ではないでしょうか。
尾原:僕はグーグルで新規事業を担当し、楽天ではIT・決済の執行役員をしていた、いわば当事者でしたが、あくまでも退職後に見聞した事実に基づく個人の見解としてお話しします。
一般論としては、決済サービスには2つのフェーズがあります。例えばレストランで割り勘した時などに使われる個人間の送金サービス、いわゆるCtoCのフェーズ。それから個人がお店で使ったり、個人と企業がやり取りするBtoCのフェーズです。
グーグルの決済サービス事業はアメリカ市場ではまだこれからですが、インドでは、PayPayの基になったと言われる技術を開発したペイティーエムという先行プレイヤーをすでに抜いています。
インドにおいてグーグルはモバイル決済で存在感を示している。
CtoCフェーズからBtoCフェーズに移行して、金融機関との調整が発生するようになると、やはりグーグルの底力が効いてきます。今回のpring買収は、資金移動業の登録が目的と言う人もいますが、グーグルの規模になれば、それはさほど難しくありません。ではグーグルは何を買ったのか。それは時間だと思います。
こうした決済サービスで最も面倒なのは、アカウント・アグリゲーション、つまり複数の金融機関の口座情報をひとつのサービスで連携するための調整です。すでに金融機関との提携を進めていたpringを買収することによって、グーグルは時間を買ったのでしょう。ここのボトルネックが解消されると、お金の流れが情報のやり取りのようにスムーズに回り始めます。すべての産業がFintech化していく世界を見据えているのだと思います。
——日本国内では、すでにPayPayやLINE Pay、メルペイなどが乱立する中、後発となるグーグルの狙いはどこにあるのでしょうか。すでにPayPayなどの決済アプリをダウンロードして利用している人も多いと思いますが、グーグルはどこまでシェアを伸ばせるのでしょうか。
尾原:いまみなさん、メッセンジャーアプリは複数使ってますよね。それと同じことが起こるのではないでしょうか。相手によってLINEやFacebookメッセンジャーを使い分けているように、個人間の送金や少額決済はこのアプリ、金融機関との取引はこのアプリとなるはずです。10年前もSMSやSkypeがあったのに、みんながLINEを使うようになったのは、初期登録が簡単だったからです。
これまでの金融サービスは、最初に銀行口座やクレジットカードを登録したり本人確認するのに膨大な手間がかかりましたが、eKYC(electronic Know Your Customer:オンライン上での本人確認)が容易になっています。顧客が買い物や決済する手間やストレスをなくしていくことをフリクションレス化と言いますが、そこが進むと、複数の決済アプリを使い分けるのが当たり前になる。
ただ、いくらハードルが下がっても5つも6つもダウンロードしないでしょうから、せいぜい2つか3つでしょう。そこを巡って、これから各社がしのぎを削ることになります。
決済サービスが普及すると、CtoC、BtoC、あるいはBtoB(企業間)の境界線は希薄化していきます。PayPayも当然それはわかっていますから、企業間の送金市場も取りにくるでしょう。逆にグーグルはBtoCサービスから始めて、個人間の送金サービスにも進出するはずです。
シバタ:日本の銀行送金システムは優れていて、ほぼリアルタイムで入金できますが、手数料が高い。アメリカ国内では、主に2種類の送金方法があります。日本のようにほぼ即時で送金できて手数料の高いWire Transferと呼ばれるサービスと、もうひとつはACHと呼ばれる小切手決済の電子版で、送金に2、3日要しますが、手数料はほとんどかかりません。通常の国内送金、給与振込や公共料金の支払いは、ほとんどこちらです。
日本の決済サービス市場を活性化するには、手数料がネックになります。グーグルが思い切った値下げをしてくる可能性は十分にあると思います。競争によって手数料がゼロに近づくのではないかと個人的な願望を込めて予測しています。
(聞き手・浜田敬子、構成・渡辺裕子)
尾原和啓:IT批評家。1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー、NTTドコモ、リクルート、グーグル、楽天などを経て現職。主な著書に『ザ・プラットフォーム』『ITビジネスの原理』『アフターデジタル』(藤井保文氏との共著)『アルゴリズムフェアネス』など。最新刊は『プロセスエコノミー』。
シバタナオキ:SearchMan共同創業者。2009年、東京大学工学系研究科博士課程修了。楽天執行役員、東京大学工学系研究科助教、2009年からスタンフォード大学客員研究員。2011年にシリコンバレーでSearchManを創業。noteで「決算が読めるようになるノート」を連載中。