mundissima/Shutterstock
——中国最大の配車サービスDiDi(滴滴出行)がニューヨーク証券取引所に株式上場した直後に、中国当局が国家安全法、サイバーセキュリティ法に基づく審査を行うと発表し、中国国内でのアプリ新規ダウンロードを禁止しました。昨年のアントファイナンシャルに続き、いわば狙い撃ちされた格好ですが、この動きをどうご覧になりますか。
尾原和啓氏(以下、尾原):2つの論点に分けて考えるべきだと思います。
ひとつはDiDiが中国では生活インフラとして、極端に言えば国家や行政を凌ぐほどの存在になっている点。一方、DiDiはすでに15カ国4000都市に展開しており、中国発のサービスがグローバルに展開する際にどのような問題が生じるかという点です。
今回の審査は、中国国内のデータが海外に流出することへの懸念が挙げられていますが、中国当局が本当に懸念しているのは前者の問題ではないかと思います。
DiDiは世界15カ国で5億5000万人が利用するライドシェアサービスであるばかりでなく、公共バスやスマート交通、エネルギーまでカバーする交通プラットフォームです。さらに1500万人のドライバーがアクティブにおり、彼らがギグワーカーとして仕事を得るためのプラットフォームでもある。
配車のみならず移動や雇用全般に大きな影響力を持つDiDiが海外で上場した時、中国当局がコントロールできる範疇を超えてしまうことを懸念しているはずです。
AI企業というより公共インフラを担う存在
DiDi上場資料より
—— DiDiと同時に、満幇集団(フル・トラック・アライアンス)が運営するトラック配車アプリ「運満満」「貨車幇」と人材マッチングアプリの「BOSS直聘」についても同様に審査が入りました。満幇集団も6月にアメリカで上場したばかりですが、物流や雇用など個人情報を持つ国内メガテック企業に対して、海外資本が流入することを中国当局は警戒しているのでしょうか。
尾原:そう思います。交通や物流のインフラ管理は本来、国家の仕事でしたが、いまや企業がコントロールするようになり、かつそこが巨大な労働人口を支える存在になっています。「SoftBank World 2020」でのプレゼンテーションを見ると、それがよくわかります。DiDiを単なるライドシェアの会社と考えると問題の本質を見誤る。
タクシーのような配車サービスだけでなく、公共交通の検索もでき、物流もカバーしている。さらにDiDiの持つデータを活用することで、例えばスマート信号も実現できます。今日はどこで渋滞しているから、この信号で青の時間を何秒長くしよう、すると渋滞が何%緩和できるというように。同様に幹線道路の二車線と三車線を入れ替えることもできます。
最近では、運行状況によって時刻表やバス停留所の位置をリアルタイムで変える取り組みを進めています。DiDiのアプリを見て「今日はここにバスが停まるのね。2分後なら歩いていけるから、DiDiでタクシーを呼ばなくてもいいね」となる。日本でも今は時刻表を持ち歩かずにGoogle Mapで検索して「何分後にバスが来るからあそこの停留所に行こう」となりますよね。そうなると、もはや停留所がひとつの場所に固定されている必要もありません。
これは実験段階で社会実装には至っていませんが、自分のフライトチケットをアプリに入力しておくと、DiDiが「あなたのスケジュールだと、早めに出発しても大丈夫ですよね。DiDiのタクシー料金を割引して、空港のラウンジチケットも無料でプレゼントしますから、早めに出かけてラウンジで仕事でもしませんか?」と提案してくれる。そうやって高速道路の利用者を調整することで、混雑を緩和する取り組みまで行っています。
交通事故の原因も統計分析しているので、ドライバーには運転中に「何時間ごとに休憩しましょう」「最寄りの綺麗なトイレはここですよ」という提案から、保険の勧誘、優良ドライバーに対しては大型自動車を買えるローンの提供など金融サービスも展開しています。
ビッグデータを持つAI企業という存在を超えて、もはや地方行政や国家以上の存在になっています。
資本面での米国依存からの脱却
REUTERS/Stringer
シバタナオキ氏(以下、シバタ):加えて、心情的な問題もあると思います。例えば、民営化したばかりのJR東日本がアメリカで上場して、JR東日本の株主が海外投資家ばかりになったら、当時の日本人は違和感を感じたのではないでしょうか。国を代表する交通インフラ企業が海外で上場して、株主は海外投資家ばかりになる。そう考えると中国の反応が特別というわけではありません。
これまで中国企業の資金調達はアメリカ市場に相当依存していましたが、中国が豊かになったことで、アメリカで上場しなくても、中国や香港の株式市場で巨額の資金調達ができるようになりました。このタイミングで、株主に多くの海外投資家を入れることに違和感を感じ始めてもおかしくはないと思います。
今はDiDiや満幇集団などインフラ系企業がターゲットになっていますが、今後、ほかのソフトウェア会社も同様の措置を取られかねません。そうなると、いよいよ資本面でアメリカ依存からの脱却を図っていると見るべきです。
トランプ退任直前に成立した「外国企業説明責任法」は、アメリカで上場する企業に対して厳格な情報開示を課している。
REUTERS/Carlos Barria
——2020年12月、トランプ退任直前に「外国企業説明責任法」が成立しました。アメリカで上場する外国企業が3年連続して当局の検査を拒んだ場合に上場廃止とする法ですが、これに対して中国は反発しています。こうした米中対立の動きも影響しているのでしょうか。
シバタ:そう思います。米国内で上場した企業には、証券取引所を通じて米政府が情報開示を請求できますから、中国政府が嫌がる可能性は十分あります。ましてやDiDiの扱う情報は、交通インフラや労働に直結する、いわば中国国家そのものです。
民主党に政権交代し、トランプの強行路線からマイルドになったとはいえ、経済力を増す中国への牽制は変わりませんから、中国側は当然反発しますし、相手がトランプではないので(笑)、多少強く出ても大丈夫と踏んでいるのではないでしょうか。
尾原:一言で言うと、バイデン政権が舐められているんです(笑)。中国に限らずOPECなども、相手がトランプではどんな報復を受けるかわからないと様子を窺っていましたが、バイデン政権になった途端に動き始めています。共和党政権時にはおとなしかった国が民主党に交代した途端に動き始めるのはいつものパターンです。
——先ほどシバタさんがおっしゃったように、今後、他のソフトウェア会社も中国政府の標的になる可能性があるのでしょうか。前回の対談でも取り上げたように、昨年はアリババのアントファイナンシャルが狙い撃ちされました。
尾原:ネットビジネスの主戦場はネットの中だけで完結するのではなく、リアルの生活に直結するようになっています。金融というリアルを支えるアントファイナンシャルが最初に標的にされ、次に物流やモビリティ、労働のインフラであるDiDiや満幇集団が標的にされています。
もともと国家の支配下にあった領域で一企業が独占的な力を持ち始める中、抑制と均衡の振り子が大きく振り戻しているとも言えます。
2015年、中国政府は「互聯網+(インターネットプラス)行動計画」を策定しました。インターネットを活用して、金融や物流、電子商取引(EC)、スマートエネルギーや、公共サービスなど11の分野で産業を育成しようとするものです。背景には、テンセント創業者ポニー・マーによる呼びかけがありました。ネットの領域はまだ法整備されていないのだから、時限立法的に自由にやってみよう、副作用が見えてきたところで規制すればいいというものです。
それから6年が経ち、振り子が自由化に振れた分、揺り戻しが来ているのが現状です。ただこの間の自由化によって、アメリカ以上に中国でインターネット企業が進化したのも事実ですから、今後の展開を注意深く見ています。
(聞き手・浜田敬子、構成・渡辺裕子)
尾原和啓:IT批評家。1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー、NTTドコモ、リクルート、グーグル、楽天などを経て現職。主な著書に『ザ・プラットフォーム』『ITビジネスの原理』『アルゴリズムフェアネス』など。最新刊は『プロセスエコノミー』。
シバタナオキ:SearchMan共同創業者。2009年、東京大学工学系研究科博士課程修了。楽天執行役員、東京大学工学系研究科助教、2009年からスタンフォード大学客員研究員。2011年にシリコンバレーでSearchManを創業。noteで「決算が読めるようになるノート」を連載中。