自分の好きな道を選び、自分たちの夢を実現しようと奮闘する夫婦のパートナーシップを探る「だから、夫婦やってます」。7回目の後編は、アメリカ・オレゴン州出身のテレサ・スティーガーさん。
日本での離婚をきっかけに自身のセクシュアリティと向き合い、坂田麻智さんとのお付き合いを始めたテレサさんから見たパートナーシップのあり方とは。
撮影:千倉志野
—— 出会いのきっかけと結婚の経緯は?
私はアメリカで生まれ育ち、高校の同級生だった男性のパートナーと結婚し、2006年に来日しました。元夫が日本で仕事を探すことを希望して、彼に付き添う形で日本で暮らし始めたのですが、だんだんと夫婦関係がうまくいかなくなり、離婚することに。そのとき、自分のセクシャリティについて初めてきちんと向き合って考え、私は同性愛者なのだと自覚したんです。
カトリックを信仰する家に生まれ育ち、異性婚こそが正統だとずっと教えられてきたので、自分も「間違ってはいけない」と思い込んでいた。女性が好きな自分を認めてからは、ずっと抱えていたモヤモヤが晴れるような開放感がありました。
離婚後にすぐに帰国する勇気も持てず、しばらくは流れに身を委ねてみようという気持ちになっていました。麻智と出会ったのはその頃、2008年の夏です。きっかけは、共通の友達からの紹介。当時の私は日本語をほとんど話せず、アメリカ留学経験のある麻智と英語で会話ができることがうれしかったですね。
当時、私は別の女性と付き合っていたので、すぐに麻智を恋愛対象とは思わなかったのですが、友達グループで何度か会ううちに、だんだんと麻智に惹かれていきました。なんでも話しやすくて、一緒にいて楽しくて、自然に「また会いたい」と思える人。「恋心ってこういうものなんだ」と。私にとって麻智は本当の意味での“初恋の人”です。
—— なぜ「この人」と結婚しようと思ったのですか?
撮影:千倉志野
無理をせずに、ありのままの自分でいられるから。お互いに、今感じていることを素直に伝えられる。「こんなこと言ったら、不機嫌になってしまうかな……」と心配せずに、本音を話せるパートナーは麻智が初めてでした。
2009年から一緒に暮らし始めて、2015年に全米で同性婚できるようになったタイミングで結婚式を挙げました。交際が始まって7年が経っていました。もしも同性愛者がいつでも結婚できる社会だったら、挙式はもっと早かったかもしれないですね。「アメリカで夫婦として認めてもらう」というオプションができたから、「だったら、するよね」と合意するのが自然で、明確なプロポーズや決意があった訳ではありません。
むしろ私にとって転機だったのは、2010年に「麻智と一緒に、日本でずっと暮らしていこう」と覚悟を決めたこと。それまで中途半端だった日本語をマスターするために、英会話講師の仕事をフルタイムからアルバイトに切り替え、日本語学校に9カ月間、みっちりと通いました。このときから、私にとって麻智は“生涯のパートナー”なのだと思っていました。
裁判でも日本語で話せたのは麻智のおかげ
撮影:千倉志野
—— お互いの自己実現を支援するために、大切にしてきたことは?
裁判などを通じて日本でも同性婚ができる社会に変えていくことが、私たちが共通して向き合い、支え合っている活動です。
当事者として表に出ていくことについては、二人で話し合って決めたのですが、お互いにポジティブな意見だったので方針が決まるのは早かったです。いろいろな事情でカミングアウトできない同性愛者はたくさんいるけれど、私たちはたまたま周りの人たちに恵まれて公表できる立場にある。ならばこのポジションで二人ができることをやっていこうと。「同じ方向を見ている」とお互いに実感できることで、私たちの結束は強くなったと思うし、それを確かめ合うための会話を日頃から大切にしています。
何を大切に考えているかを理解し、どちらかがくじけそうになったらサポートし合うような会話です。この活動以外でも、例えば仕事でしんどいことがあったときに支えてくれる人がいると思えるだけで、すごく心強いんですよね。期待をかけ過ぎずに、そのときにできるサポートをする。小さな支え合いが日常からできていたら、それが信頼のベースになりますよね。ベースがしっかりしていれば、二人とも同時に倒れそうになったときでも乗り越えられると思います。
—— パートナーから言われて、一番うれしかった言葉は?
麻智は、普段から私のことをよく褒めてくれるんです。日本語の勉強を頑張っているときも、「すごいね、テレサ! よくできたね!」と褒めてくれたり、練習相手になってくれたり。その応援のおかげで、同性婚についての自分の考えを日本語で説明できるくらいに上達しました。
大阪地裁での公判の後に弁護士や関係する皆さんと意見交換する場でも、私の意見を日本語で伝えられたのは嬉しかったです。LGBT法案が自民党内で却下されたという報道があったばかりの時期で、その件に関する感想も、私の言葉で表現できた。そのことを麻智もすごく喜んでくれて。アメリカで育って日本で暮らす当事者として、自分の意見を日本語で説明できる人はすごく限られると思うから、これからも頑張って発信していきたいです。
自分ひとりでも立てることが大事
撮影:千倉志野
—— 日頃の家事や育児の分担ルールは?
家事の分担ルールは、なんとなく話し合いながら決まった感じですね。「得意なほうがやる」のが基本で、私が掃除やお風呂の準備の係で、麻智は洗濯をやることが多いです。朝の出勤時刻は私のほうが遅いので、朝食作りも担当。夕食は余裕がある方が作ります。「今日は私が作るよ。お昼には何を食べた?」とか連絡を取って献立を決めます。女同士の私たちは「料理は妻で、力仕事は夫」のような性別による固定観念がないから、フラットに協力し合えている気がします。
「余裕がある方がやりましょう」と決めた後に、どちらかに偏ってしまうと、きっと喧嘩になりますよね。幸い、私たちは程よいバランスで平等に分担できています。
—— 夫婦にとって最もハードだった体験は? それをどう乗り越えましたか?
パートナーシップの危機は、今のところありません。そうなる前によく話をしているからだと思います。
同じ時期に仕事がハードになって、二人とも落ち込んでコミュニケーションがうまくいかないときはありましたが、相手も余裕がないことを察して、過度な期待はしないように。支え合いつつも、自分ひとりでも立てる状態であることが大事だと思います。
一番の夢は、麻智と毎日をハッピーに過ごすこと
鴨川沿いを愛犬と散歩しながら、テレサさんが「この子は知らない人にも尻尾振っちゃうの」と言うと、麻智さんがすかさず「飼い主に似るって言いますから」とからかう。テレサさんは「えー!どっちー!?」と笑いながら返していた。
撮影:千倉志野
—— これからの夫婦の夢は?
何年か前から、子どもができたらいいねと話していて、何度か試してはいますが、まだ実現できていません。私たちに子どもができるかは分かりませんが、一番の夢は、これからも変わらずに毎日をハッピーに過ごせること。麻智といい関係が続けば、どんなことが起きても幸せに生きていけると思います。突然、麻智が何かやりたいことを思いついて、想像もしていない未来がやってくるかもしれませんね。それも全部、楽しみたいです。
そして、もう一つの夢は、社会の風景が変わること。裁判に勝って、日本で同性婚できる日を実現したいです。私たちは、古い町屋を自分たちの好みでリノベーションして、とても心地良く暮らしています。同じように、自分が生きたい人生を自分でつくっていきたい。
—— あなたにとって「夫婦」とは?
チームです。チームであるためには、いつも同じ方向を向いていることが大切。そして、お互いに支え合う気持ち。チームになれるパートナーと出会えたことがうれしいです。
もし間違えても軌道修正すればいい
撮影:千倉志野
—— 日本の夫婦関係がよりよくなるための提言を。
柔軟であることが大事だと思います。「こうであるべき」と考えを狭めずに、「今のふたりにとって何が大切か」をフレッシュに考えて、変化を受け入れていくこと。
二人の関係も時の流れで変わるので、出会ったときの関係にとらわれずに、常に方向性をすり合わせていく努力が大事ですね。変化を受け入れながら、何がしたいか、どんな関係でありたいかを考える。一度決めたことや過去の体験にとらわれないで、柔軟に“新しいふたり”を受け入れていくといいと思います。私自身も、自分の生き方を見つめ直し、“新しい自分”を受け入れてきました。
どこへ進めばいいか分からなかったら、まず流されてもいいと思います。それでもし間違っていたら、軌道修正すればいい。それでいいんだって、私は自分の人生から学びました。
(敬称略・完)