今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
盛り上がりを見せる仮想通貨。先日は「VISAが50社以上の暗号資産関連企業と提携」というニュースが話題になりました。これによって私たちの生活はどう変わるのでしょうか? 暗号資産を支えるブロックチェーン技術の本質的な意味合いとは? 入山先生が経営理論を使って解説します。
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暗号資産の便利さを説明する経営理論とは?
こんにちは、入山章栄です。
Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんは最近、こんなニュースが気になっているようです。
BIJ編集部・常盤
先日、クレジットカードのVISAが、なんと50社以上の暗号資産関連企業と提携したという報道がありました。ということは、VISAが使えるお店ではこれから普通のお金と同じように暗号資産で決済ができるようになるわけで、これはすごいことですよね。入山先生は暗号資産をお持ちですか?
僕は暗号資産を持っていませんが、経営学者としてはもちろん興味があります。同じくBusiness Insider Japan編集部の小倉宏弥さんはどうですか?
BIJ編集部・小倉
実は、出始めのころにビットコインを買ったんです。ところがどんどん値下がりして、100万円くらい損をする羽目に……。そこから少し盛り返したものの、結局マイナス20~30万円のあたりで手放してしまいました。
いまビットコインはめちゃくちゃ値上がりしているようですから、残念でしたね。
先ほども言ったように、僕自身は暗号資産とか暗号通貨と呼ばれるものを所有していませんが、暗号通貨やそれを支えるしくみであるブロックチェーン技術にはすごく期待しています。
ご存じのように暗号資産は、ブロックチェーンという技術によって記録・管理されています。つまり取引記録を暗号技術によって一本のチェーン(鎖)のようにつないでいるので、誰かがデータを改ざんしたり破壊したりすると、その記録が絶対に残ってしまう。だから不正が起きにくく、信用できるわけです。
最新のコンピューター技術がこのようなことを可能にしたわけですが、とはいえ「すべての取引をもれなく記録することで、誰かが不正に変更を加えるのを抑制する」というアイデア自体は、実はかなり昔から存在します。そしてなぜそれが可能になるのかは、経営学では「ソーシャルキャピタル理論」という昔からある理論で説明できるのです。
人間関係から得られる資本とは
「ソーシャルキャピタル理論」のソーシャルキャピタル(社会資本)とは、人と人とがつながって関係性を持つことで得られる便益のこと。ファイナンシャルキャピタル(金融資本)、ヒューマンキャピタル(人的資本)に次ぐ「第三の資本」と言われています。
詳しくは拙著『世界標準の経営理論』をお読みいただきたいのですが、現代の経営学ではソーシャルキャピタルを、「ブリッジング型」と「ボンディング型」の2つに分けて理解します。
「ブリッジング型」とは、離れた人と人とがどんどんつながっていくことで、自分の認知の範囲を超えた外部のさまざまな人たちが発信する情報が得られたり、離れた人同士で新しいシナジーが生まれたりすることです。まさにブリッジング(橋渡し)ですね。
それに対してブロックチェーンを考えるときに重要になるのが、「ボンディング型」です。これはシカゴ大学のジェームス・コールマンという社会学者が提唱した考え方で、今でも経営学や社会学における非常に重要な視点です。
そのエッセンスを簡単に説明しましょう。
例えばここにA、B、Cという3人がつながっていたとします。3人はお互い密なつながりの関係にあるとすると、逆に言えば「常に互いを監視できる」状態にある。このような状況下では、AもBもCも他の2人を出し抜くようなことをしなくなります。例えばAが自分だけ抜け駆けをしようとしたら、つながっているBとCから制裁を受けるからです。
例えばコールマンはボンディング型のソーシャルキャピタルの実例として、ユダヤ人の宝石商を挙げています。彼らが宝石の取引をするときは、品物の真贋を鑑定してもらうために、宝石を相手に預ける習慣がある。
普通は相手に宝石を預けたら、それを持ち逃げされたり、偽物とすり替えられたりする可能性、すなわち「出し抜かれたり、抜け駆けされる可能性」を心配するでしょう。しかしユダヤ人の宝石商の間では、そんなことは起こりません。
ユダヤ人の宝石商のコミュニティは互いが深くつながっているので、いわば相互監視の状態にあります。ですから一度でも抜け駆けしたら、そのコミュニティから追放されて2度と商売ができないからです。だから普通の市場取引だったら考えられないような、「宝石を一時的に他者に貸す」ことが可能になるのです。
似た例は他にもあります。例えば、ご近所付き合いが活発な地域では、常に周囲の目が光っているので、幼い子どもを外で遊ばせても安心です。一方で、そのコミュニティで自分勝手なことをすると「村八分」になる。
他にも分かりやすいのが、マフィアです。マフィアは互いに相互監視が効いているから通常はお互いをかばい合う。一方でマフィアコミュニティを出し抜くようなことをすると、相互監視が効いているので、死という制裁が待っているわけです。これらもボンディング型のソーシャルキャピタルの例です。
ムハマド・ユヌス氏(写真右)が設立したグラミン銀行もボンディング型のソーシャルキャピタルを活用した好例だ。
REUTERS/Bjoern Sigurdsoen/Scanpix
実は、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏が設立したグラミン銀行も、このボンディング型のソーシャルキャピタルをうまく利用しています。グラミン銀行はこのメカニズムを利用して、貧しい途上国の農村部に小口の融資をするマイクロファイナンスというしくみをつくったのです。
通常は貧しい人にお金を貸すと、返ってこないことも多いはずです。それに対してグラミン銀行は、お金を個人に貸すのではなく、必ず「5~6人の人たち」に共同責任で貸します。そしてその全員に返済任務を持たせる。もしそのうちの一人が借金を踏み倒そうとしても、相互監視の心理が働くので、もし返さないと村八分になります。この相互監視のしくみがあるから、返済の確率が高くなるのです。
ブロックチェーンへの信頼が暗号資産の価値を保証する
従来、このボンディング型のソーシャルキャピタルのしくみは、せいぜい20人くらいの小さな規模でないと成り立ちませんでした。なぜならあまり人数が増えると、相互監視ができなくなるからです。
一方で現代に台頭するブロックチェーン技術は、何万人、何十万人という規模で相互監視を可能にしました。ボンディング型のソーシャルキャピタルをとてつもない規模で実現するのがブロックチェーンなのです。
ブロックチェーンでは分散基本台帳というものに、すべての取引が一つひとつ記録されていきます。だから誰かが不正を働いたら、その人をすぐに締め出すことができる。すなわち相互監視ができるのです。しかしその根本のしくみは、ボンディング型のソーシャルキャピタルそのものです。ブロックチェーンとは、グラミン銀行の融資や、頼母子講や、ご近所付き合いなど、従来は数人やせいぜい20人程度まででしかできなかったものを、圧倒的な大人数に拡張した技術と理解できるのです。
一般的なお金、つまり国が発行する法定通貨は、人々の「国に対する信頼」によって成立しています。だからもしその国が政情不安定になって国に対する信頼が失墜すれば、その国の通貨も暴落します。
一方、暗号資産は「取引記録の正確さへの信頼」で成立しています。すべての取引が記録されていて、それを改ざんしたり、破棄したりするとそれがすぐに露見するということは、ものすごく公正で信用できる。
しかもビットコインなどの暗号通貨は、「貯蔵量」が限られている。政府はその気になればお金をいくらでも刷ることが可能なので、逆に言えば政府がお金を乱発すると思われたら、お金の価値の信用性が弱まるおそれがあります。しかしビットコインなどの暗号通貨には、それがない。その希少性も信頼性を高める一因です。
このように暗号通貨には「お金」としての条件が揃っていました。一方でこの技術はまだできたばかりなので、一般に流通するまでには時間がかかるだろうと言われていました。しかしここへ来て、ついにクレジットカードのVISAが決済手段として採用し始めたというわけです。
国家でなくても通貨を発行できる
BIJ編集部・常盤
ということは、今まで国家が力を持っていた大きな理由の一つである通貨発行権が、国家特有のものではなくなるということですよね。これから暗号資産がさらに普及すると、相対的に国の重要性が薄まってくるのでは?
おっしゃる通りで、歴史上、国にとって大きな権力の一つは、通貨を発行できることでした。でもこれからは、暗号資産のように民間企業が通貨を発行できるようになる。すると、国家は力を失うかもしれません。
逆に言えば、中国はそれが怖いから、暗号通貨を禁止する代わりに政府主導の暗号通貨であるデジタル人民元を発行しようとしているわけです。でもそれ以外の民主主義諸国は暗号通貨にそこまで強い規制をしていないから、今回のVISAのような動きが見られるようになってきた。
私の推測ですが、今後このような状況が加速して、例えばVISAが独自に「VISAコイン」のような暗号通貨をつくってそれがドルの強さをおびやかすようになれば、当然規制が入る可能性があると思います。
実際、フェイスブックがリブラという仮想通貨をつくろうとして、米国政府に止められましたよね。でもVISAの場合、同社が目指しているのはおそらくそういうものではなく、「もっと便利なお金の使い方」を提示しようとしている程度かなと思います。
僕としては、暗号資産も使い方によっては新しいメリットが享受できるようになるかもしれないので、それに期待しています。
BIJ編集部・常盤
先日、エルサルバドルがビットコインを法定通貨化すると発表しましたが、このように中国とは逆を行く国も出てきていますね。暗号通貨に対する国ごとの見解もかなり分かれていて、私たちはちょうど歴史の分岐点にいるんだなという感じがします。
そうですね。ビットコインは何度か分裂していますし、暗号資産自体がまだまだ不安定です。ただ僕自身は、こういうチャレンジは世界を変える可能性があるので、面白いと思っています。あくまで個人的な見解ですが。
BIJ編集部・常盤
そうですね。使えるお金の選択肢が増えるというのは、長い目で見ればいいことかもしれません。
BIJ編集部・小倉
僕はまたビットコインを買おうと思いました(笑)。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。