イラスト:iziz
シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。さっそくお便りを読んでみましょう。
私は塾講師として、中学受験専門の大手の塾に約20年間勤務しています。既婚の40代女性です。生徒のここ数年の傾向として、
・自分より成績の低い子を馬鹿にする
・周りを蹴落とすことに必死になる
・先生を小馬鹿にした態度をとる
というような子が増えつつあります。年々子どもの心が荒んできていると感じます。
このような子どもを作り出しているのは、自分たち塾講師、もっと言うと受験業界のせいだと感じています。子どもから子どもらしさを奪い、大人さながらの競争社会にどっぷり浸かる環境に身を置かせているのは自分のたちのせいなのではないか、と思うと自分の仕事が心底嫌になります。塾なんてものが存在しなければいいのに、と思ってしまいます。
徐々に心が疲れ、仕事を休むことも増えました。もうこのまま辞めてしまいたいという気持ちが強くなっています。とはいえ、潰しのきかない仕事であり、年齢的なことを考えると転職も難しいため、なんとか踏みとどまっているという状況です。
私はこのまま今のくだらない仕事を、心を押し殺してでも続けるべきでしょうか?
(ねこさん、40代前半、女性)
「偏差値」は文字通り、偏っている
シマオ:ねこさん、お便りありがとうございます! 受験競争に疲れているのは、子どもたちだけじゃないようですね。受験指導という仕事が「くだらない」と考えるまでになっているご様子ですが、佐藤さんはどう思われますか?
佐藤さん:ねこさんは大手の塾に20年勤めているということですから、講師としての能力はすばらしい方なのでしょう。受験塾というのは、講師の側も結果を求められる厳しい世界ですからね。
シマオ:だからこそ、自分が教育した子どもたちの心が荒んでしまっていることに、悩んでいるんでしょうね。そもそも、成績の良い子が自分より点数の低い子を馬鹿にしてしまうのは、なぜなんでしょうか?
佐藤さん:点数で競争させられれば、その価値観が支配的になるのは当然です。だから、子どもたちが成績でヒエラルキーを構成したり、教え方の上手さやどこの大学を出たかで講師を判断したりするようになるんです。
シマオ:ある意味、子どもたちは大人の価値観の犠牲者なのかな……。ねこさんは、自分がそれに加担しているのではないかと思っているのかもしれません。
佐藤さん:逆に言えば、子どもたちの心が荒んでしまうのは、ねこさんの責任ばかりではないということです。
シマオ:環境のせい、ということですか?
佐藤さん:はい。考えてもみてください。競争が激しい難関私立中学に合格するような子たちは、全体から見たら1%くらいのものです。上か下かというより、「偏差値」の名称が示す通り、単純に「偏っている」のです。その世界で起きていることは、世の中の「普通」ではないことに気づくべきです。
シマオ:たしかに、受験エリートの世界は普通じゃないですよね……。
佐藤さん:普通じゃないと言うと語弊があるかもしれませんが、結局、ねこさんの悩みは受験指導という競争に関わる限り、解決のしようがありません。受験というのは結果が全てですから、子どもたちを点数で競争させて、叱咤しながら伸ばしていくという側面は避けられません。親たちもそれを求めていますから。
能力主義は本当にいいことなのか?
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シマオ:では、ねこさんが指摘するような、受験競争が子どもたちに与える悪影響自体をどうにかすることはできないのでしょうか?
佐藤さん:そもそも、シマオ君はテストの点数が人の上下感につながってしまうのはなぜだと思いますか?
シマオ:いい中高一貫校に入れれば、いい大学に入れて、いい就職ができて、いいお給料をもらえるから……でしょうか。
佐藤さん:そう考えている親が多いから、こうした受験競争は生まれるのでしょう。ただ、少し考えれば分かるように、テストで点数が取れることと社会で活躍できることには、直接の関係はありません。
シマオ:そうですよね。それなのに、学歴のあるなしで可能性が左右されてしまうじゃないですか。だからこそ、学歴社会は現代社会の弊害だと言われますよね。
佐藤さん:ただ、学歴社会は必ずしも最近のことではないんですよ。例えば、戦前の海軍なら「ハンモックナンバー」、すなわち海軍兵学校での席次が昇進を大きく左右したように、昔から学歴というのは大きな力を持っていました。
シマオ:じゃあ、やっぱり学力のある人は、それなりに仕事もできたということですか。
佐藤さん:まさに「それなりに」というところがミソなんです。学力があれば誰でも出世のチャンスをつかむことができる、いわゆる「能力主義」は近代になって生まれたものです。それまで—— 日本で言えば江戸時代など—— は、身分社会でしたから。
シマオ:そういう意味では、平等になったと言える訳ですね。
佐藤さん:そうです。しかし、教育社会学者の中村高康さんは『暴走する能力主義』(ちくま新書)という本の中で、近代社会では〈能力不安〉が生まれたと述べています。
シマオ:能力不安?
佐藤さん:身分から解放された半面、人々は自分のアイデンティティを別のものに求めるようになります。それが「能力」です。ですから、自分がどの程度の能力を持っているか確かめずにはいられなくなる。
シマオ:「自分とは何か」イコール「何ができるか」という問いが生まれてしまう訳ですね。
佐藤さん:とはいえ、能力というものを定量的に測るのは難しい。そのために不安が生まれやすくなるのです。だからこそ、その能力を端的に示してくれるような偏差値や学歴にすがってしまいがちだということです。
シマオ:なるほど……。でも、学力による能力主義だって平等じゃなくて、生まれた家の経済力に左右されると批判されていますよね。
佐藤さん:最近だと、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授がそう主張していますね。「能力主義が平等であるというのは幻想だ」というサンデルのような主張は、決して新しいものではありませんが、その通りだと思います。格差の再生産が、これからの日本社会でもますます強まるでしょう。
シマオ:すると、これからは学力だけじゃない「新しい能力」が必要になってくるんでしょうか。
佐藤さん:実はその話題こそが、問題点をよく示しています。前述の中村さんによれば、最近もてはやされる「コミュニケーション能力」のような「新しい能力」は、実はちっとも新しくない陳腐なものです。こうした安易な新しさに飛びついてしまうのが、むしろ現代社会の問題なのです。つまり、学歴社会を批判しただけでは問題は解決しない、ということです。
シマオ:なかなか、難しいですね……。
心が疲れているなら、競争から離れる
シマオ:では、相談者のねこさんのお悩みはどう解決していくべきなのでしょうか?
佐藤さん:ねこさんのお悩みは非常によく理解できますが、受験競争や能力主義の弊害は社会全体の問題です。残念ながら、一朝一夕に解決するものではありません。なので、ねこさんには受験指導から一度離れてみることをお勧めします。
シマオ:転職するということですか?
佐藤さん:はい。ただ、まったく畑違いの業界に行くということではなく、中学生の個別指導塾や補習塾など、見える世界を変えてみる。あるいは、ねこさんほどのキャリアがあるなら、自分で小さな塾を開業することを考えてもいいでしょう。
シマオ:競争から離れるなら、中学生を対象とするのがいいのですか?
佐藤さん:小学生向けの中学受験や、高校生向けの大学受験は、どうしても入学試験対策を重視しなければなりません。情報戦でもあるので、大手の塾が有利です。一方で、公立高校受験は一部のトップ校を除いて、内申点を上げるための日々の授業のキャッチアップなどが重視されます。その中学で出やすい問題など、地域独自の対策もあって、大手ではない小さな塾が生き残りやすい環境でもあります。
シマオ:なるほど、受験に向けて生徒を追い込むのではなく、日々コツコツと積み上げるサポートをする訳ですね。
佐藤さん:そうです。それに、多様な子どもたちが集まる場で教えてみると、新たなやりがいも見つけられるように思います。学校の授業についていけない子の補習をしてもいいし、もちろん、できる子がいれば受験の手助けをしてもいい。そうした中で、教えることの意味を見直すことができるのではないでしょうか。
シマオ:ねこさん、いかがでしたでしょうか? ご参考になれば幸いです。
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回の相談は8月25日(水)に公開予定です。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、イラスト・iziz、編集・野田翔)