子どもたちが寝静まった火曜夜、時間と空間を超越して、親たちが集まるコミュニティ空間がある。
コミュニティ主催者提供
少子高齢化や過疎化により、子育て層の孤立は深刻な社会問題だ。解決の糸口になっていたコミュニティスペースやイベントも、近年はコロナ感染症対策のため、閉鎖・中断を余儀なくされている。
そんな中、行き場を無くした親たちを支えるため、VR(仮想現実)にその活路を見出したコミュニティがある。
小さな部屋からたくましくも飛び出て、広大なバーチャル空間の中に居場所を見出そうとする、最先端の子育てとは。
集まったのは、猫耳の少女、アルパカ、ロボット……
「こんばんは〜。今日は子供が全然寝なくて、間に合わないかと思いました」
にこやかに話しながら、二足歩行の犬がリビングに入ってくる。
口々に「おつかれさま」と声をかけて労うのは、すでにリビングで立ち話をしていた面々だ。猫耳の少女、アルパカ、ロボット、その数およそ十数人。みな尋常ではない見た目だが、気にする者は誰もいない。
現実世界ではないからだ。
ここはアメリカ発の「VRChat」というサービスの中に存在するバーチャル空間。集まっている人たちの共通点は「子育て」。
コミュニティ主催者からの提供画像
ここはアメリカ発の「VRChat」というサービスの中に存在するバーチャル空間。VR(Virtual Reality)は日本語でいう仮想現実のことで、視界を覆う専用ヘッドセットを介して360度のバーチャル空間に没入すると、まるで自分が本当にそこに存在するかのような、不思議な感覚に陥る。
先述の奇妙な姿は「アバター」と呼ばれる仮の姿で、服を着用するような気軽さで性別を変えたり、動物や無機物になることができる。
一見すると統一感のない面々だが、実は一つの共通点があるのだ。
それは「子育てに関心があること」——。
奇妙な姿をした参加者の大半は、子供を持つ父親・母親たちである。毎週火曜日の深夜、子供たちが寝静まった頃に、バーチャル上のコミュニティスペースに父母達が集まって交流する。
それが「子育てパパママゆるふわ交流会」と題されたこのイベントだ。
きっかけは主催者の子育て経験から
Twitterでの実際の告知。
「きっかけはTwitterでの会話だったんです。VRって、なかなか外出できない子育て中のママやパパと相性がいいんじゃないかと思って」
そう話すのは、主催者のみとちょんさん。
最初にイベントを始めたのは2021年の6月。コロナ禍で気軽な交流が制限されていること、そもそも乳幼児を連れた外出のハードルの高さなどに課題感を抱く中、元々趣味で楽しんでいたVRChatに可能性を見出したのだと言う。
「交流会といっても、話す内容は本当に雑談です。子育てに関連しないことも多いですね。それが気晴らしになるというか。私自身が一人で育児をしていた頃、ほとんど赤ちゃんとしか話せない日が続いた時に、『大人と話したい!』って感じたんです」
ただし乳児を連れての外出は、重労働だ。
「ミルクの準備をして、着替えを持って、自分もお化粧をして……と、すごく労力がかかるので、腰が上がらなくて。VRなら子供が寝た瞬間にヘッドセットを被ればいいし、もし子供が起きてもすぐに泣き声に気付けて、安全ですから」
チラシに書かれた「子フラOK」という記載は、TV放送ややオンライン会議中に子どもが映り込む現象「子フラ」にちなんだもの。子供の声が入ったり、突然ログアウトしたり、無言になっても問題ないという意味だ。
自らも子育て中の主催者らしい配慮である。
理想の南国の別荘も圧倒的な低コスト
Unityという開発環境の操作に慣れていれば、2日程度で理想的な南国の別荘を手に入れることができる。
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バーチャルコミュニティの利点は他にもある。
物理的なコミュニティと比較すると、圧倒的に費用が少なく済むことだ。物理的な土地を必要とする場合、賃料や維持費などの継続的なコストに苦慮して閉鎖することは珍しくない。
その点、VRChat上のイベントはほぼ元手要らずだ。
利用は基本的に無料であり、デフォルト標準で用意されたワールドと呼ばれるVR空間を使用することもできるし、知見のあるユーザーは自分で好みのワールドを作成することもできる。
みとちょんさん主催の「子育てパパママゆるふわ交流会」のワールドは、BOOTHというデータ販売サイトで、家の3Dモデルを数千円で購入し、Unityという開発環境でデータを軽量化したのち、VRChatにアップロードしたものだという。
Unityの操作に慣れていれば、2日程度で理想的な南国の別荘を手に入れることができる。
ユーザーリテラシーとある程度の語学力は必要だけど‥‥
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一方、課題もある。
最大の難点は、ユーザー側のITリテラシーとVRゴーグルなどの端末機器だ。交流会で使われているVRChatは、2017年2月1日にアメリカ米国のVRChat Inc.がリリースした、ソーシャルVRプラットフォームである。
アクティブユーザー数は2万人を超えるものの、「早期アクセス」と位置付けられた開発途上のアプリケーションであり、一般家庭にも馴染み深いPlayStation(ソニー)やSwitch(任天堂)などの家庭用ゲームソフトと比較すると、操作には一定のITリテラシーが求められる。
また、日本語対応をしていないため、簡単な文章を理解できる程度の英語力が必要だ。端末も課題となる。VRソフトは膨大なグラフィックを演算する都合上、要求されるマシンスペックが高い。
完全に没入するためには、VRヘッドセット、モーションセンサーなどの付属機器も必要となる。比較的高性能なパソコンが必要なことも、多くの一般家庭にとっては高めのハードルだ。
とはいえ光明もある。2020年10月に発売された「Oculus Quest 2」は、PCなどの周辺機器が不要で起動するオールインワン・スタンドアローン型のVR端末だ。
つまりこれ1台さえ買えば、即座にVR世界を楽しめるという代物である。価格も3万円台と手頃なため、発売以降、VRの入門機として多くのユーザーをVR世界に招いてきた。
今後VRの需要が高まるにつれ、こうしたリテラシーや端末の課題は徐々に解消されていくはずだ。今や誰もが持つようになった携帯電話ですら、ほんの30年ほど前までは一部の愛好家だけが利用していたことを思えば、その未来は近いだろう。
コロナ禍以降のVRコミュニティ動向は?
もしもあなたが今、身動きが取れないことに苦しんだり、不自由を感じたりしているとしたら、こうしたバーチャル空間のことを頭の片隅に入れておいてほしい
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コロナ禍に伴う外出制限により、自宅で楽しめるVR業界は大きな盛り上がりを見せている。
これを一過性のブームとする指摘もあるが、私見を言えば杞憂だと思う。バーチャル空間とインターネットの最大の力は、時間と空間を超越できることである。簡単に言えば「いつでも、どこにでも行ける」ことだ。
これはコロナ禍に限った話ではない。私たちが「いつでも、どこにでも行ける健康な成人」である時、その真価はわかりにくいかもしれない。しかしいつか、自分や身近な人が何らかの事情で身動きがとりにくくなった時——。
例えばそれは育児かもしれないし、介護かもしれないし、病気かもしれないし、その他の理由かもしれない。ただ、そうした時になって初めてはじめて、私たちはどれだけそれが得難いものだったか気付くのだ。
主催者のみとちょんさんは語る。
「まだVRChatを知らず、コロナ禍でもんもんと一人で子育てされている方に、このイベントを知って欲しいなと思ってるんです。参加者の方に地元の公民館にチラシを貼ってもらおうかとか、どうやってバーチャルの外に発信していこうか、というところは悩みどころですね」
もしもあなたが今、身動きが取れないことに苦しんだり、不自由を感じたりしているとしたら、こうしたバーチャル空間のことを頭の片隅に入れておいてほしい。
広大な世界と多くのつながりが、そこであなたを待っているはずだ。
(文・伊美沙智穂)
伊美沙智穂:1993年生まれ。立教大学卒業、株式会社NTTドコモの法人営業部を経て、現在は株式会社CasterのUIデザイナー、Business Insider Japanライターのほか、個人でもWEBメディアを運営するフルリモート・パラレルワーカー。1児の母。新しい仕組みやテクノロジーが大好きで、育児や家事、仕事など、積極的に生活に取り入れている実体験を元に記事を書きます。