創業1954年の熱海の老舗リゾートホテル「ホテルニューアカオ」の代表取締役会長に中野善壽(76)氏が就任することが明らかになった。
撮影:鈴木愛子
熱海を代表する老舗リゾートホテルとして知られるホテルニューアカオ(静岡県熱海市)の代表取締役会長に、2021年8月11日、寺田倉庫で天王洲のブランディングを軸に経営改革を主導したことで知られ、3月からホテルニューアカオ取締役議長を務めていた中野善壽(76)氏が就任することが明らかになった。
創業家3代目の現社長・赤尾宣長氏は現職を続けたまま、中野氏をトップに据え、経営再建を加速させる狙いだ。
経営再建のプロ、熱海へ
中野氏が経営再建を任されるのはこれが初めてではない。
2010年から2019年まで社長職を務めた寺田倉庫では、アート保管事業など、不動産の収益性を高める経営改革を行い、天王洲全体のブランディングに貢献した。さらにその前には、台湾の財閥系グループ・力覇集団で新たに百貨店事業を開発・牽引した経験も持つ。
その実績に期待を寄せたホテルニューアカオの赤尾社長から請われる形で、同社取締役議長に就任したのが2021年3月のこと。熱海に通うにつれ、中野氏が描く再建ビジョンは急速に明確になり、「改革を早めるための代表就任」へと踏み切った。
ホテルニューアカオが最も盛えた時期は、昭和の高度経済成長期に重なる。他の観光ホテルの多くもそうであったように、社員旅行や新婚旅行の受け皿となり、「旅行代理店を介して、団体客で稼ぐビジネスモデル」で発展を遂げた。しかし、時代は変わり、需要は減少。コロナ禍のダメージも追い討ちとなり、2020年12月期の負債額は、107億円まで膨らんでいた。
再建に向けた中野氏のビジョンは驚くべきものだ。
「一言で表現するならば、“ホテルにこだわらない”ということですよ」
ホテルがホテルにこだわらないとは、一体どういうことなのか。
筆者が熱海を訪れた6月初め、中野氏は断崖にそびえ立つホテルならではの景勝の魅力を熱っぽく語りながら、その意図を明らかにした。
熱海は数年後、アジアのモナコになる
着想の手法はいつも、「その場所に立って、土地の声に耳を澄ませること」にこだわるという。
撮影:鈴木愛子
「見てください。岸壁を境に向かい合う、山の緑と海の青の迫力。水平線に浮かぶ島の影、岩肌にかかる波しぶきと陸地から吹き抜ける風。この一帯、約70万平米という広大な土地がホテルニューアカオの資産です。日本各地どこを探しても、これほど力のある土地は2つとない。しかも品川から新幹線で38分というアクセスのよさ。数年後、ここは“アジアのモナコ”になりますよ」
中野氏は、ホテルという業態にとらわれず、ホテルニューアカオが持つ資産そのものの価値を“透明な感性”で見極めようとしていた。着想の手法はいつも、「その場所に立って、土地の声に耳を澄ませること」にこだわる。
「適正や能力に見合った仕事を任せれば、パフォーマンスもあがるし、今の倍の給料を払える自信がある」と語る中野氏。
撮影:鈴木愛子
駐車場として使われてきた平地を指差しながら、中野氏は続けた。「あの平地に面した国道は年間300万台も車が通行するんですよ。活かしようはいくらでもある。人も同じ。適正や能力に見合った仕事を任せれば、パフォーマンスもあがるし、今の倍の給料を払える自信がある」。
コロナ禍前と比較するとホテルの客室は稼働率も28%にまで低迷している。
従来のホテル事業を縮小し、土地の魅力を生かした滞在型宿泊施設(ヴィラ)を数十棟、新たに建設し、国内外の富裕層を呼び込む。敷地内の飲食機能を強化し、早朝や夕方などの稼働を増やす一方で、生産性が極めて低い施設は売却し、単価を上げていく——。
詳細はこれから詰める段階だが、そんなメリハリを利かせたプランを中野氏は準備中だという。
昭和型「いいものをより安く」からの脱却
「その土地が持つポテンシャルを最大化する見せ方は何か?」に、中野氏はまっすぐに向き合う。
撮影:鈴木愛子
改革の一例として、ホテルに隣接するバラ園「アカオハーブ&ローズガーデン」を見てみよう。
従来はコスパのいい観光スポットとして人気を集めていたが、中野氏はサービス内容を見直し、客単価を上げる方向へと舵を切る計画だ。
ガーデンの裏手にある山の敷地も含め、2万歩以上かけて中野氏は自分の足で歩き、この土地の本来の力を嗅ぎ取ったという。
寺田倉庫が所有する天王洲エリアのリバイバル計画を牽引したときも、中野氏は自身の“感性”に忠実に、現代アートを呼び込んだ。「その土地が持つポテンシャルを最大化する見せ方は何か?」と、中野氏はまっすぐに向き合う。
だから、ホテルなのに「ホテルにこだわらない」と発想することに躊躇がないのだ。団体客を前提としたホテル事業は、昭和の時代に最適化していた一つの選択肢でしかない。
「昭和の『いいものを、より安く』から、日本人は早く脱却しないといけない。世界で稼げる国になるには、『よりいいものを、高く』のモデルへと転換する必要がある」
価格に見合ったお金を払う良客を世界から呼び込むことが、経営の安定、そして熱海の地域全体を潤すサステナブル経済につながる。
一過性の観光旅行に頼っていては限界がある
経営再建に留まらず、これからの時代の地方観光都市、引いては日本という国家のリバイバル戦略を示そうとしている。
撮影:鈴木愛子
「コロナ禍で突きつけられたのは、世界の中でわが国がこれからどう生きるかという命題だったのではないでしょうか」
中野氏が挑もうとしているのは、経営再建に留まらない。これからの時代の地方観光都市、ひいては日本という国家のリバイバル戦略を示そうとしているのだ。
「訪日外国人の消費(インバウンド)を、一過性の観光旅行に頼って宿泊料や土産代で稼ぐ発想では限界がある。表面的なプロモーションが行き過ぎて、本来の日本の伝統文化が損なわれるリスクもあるでしょう」
より注力すべきインバウンドは、精神性の高い文化教養を好む外国人に来てもらい、長期間暮らしてもらうことなのだと中野氏は語気を強める。
「国内生産にこだわった食事や空間を提供し、日本でしか味わえない生活文化をアピールすれば、自然と単価も上がる。単価が上がれば、(政府が目標に掲げる)年間6000万人もの外国人を呼び込む必要もなくなり、2000万人でも十分に稼げるでしょう。あくせくする必要はない。世界の人々と穏やかに共生できる、多様性ある社会が実現するでしょう」
香港、ニューヨーク、パリ、台湾と海外生活が長かった中野氏には、「日本の風土や生活文化こそ、世界が真似できない価値になる」という確信がある。そして、その拠点となり得るのが、全国の観光地だという。
イメージするのは、江戸時代の“出島”だ。
「鎖国の時代に海外に向けてユニークな日本文化を発信し、外貨を稼いだのが長崎の出島でした。“暮らす”に値する魅力を発揮する観光都市を日本各地に100生み出すことができれば、日本のインバウンドは大成功を収めるはずです。熱海をその最初のモデルにする。そのために、ホテルニューアカオの持つ資産を存分に活かしたリブランディングが不可欠なのです」
隔週で続けてきた「熱海の市民と語る会」の意味
3000人、つまり熱海市民の10人に1人と会えるまで対話を続けていくという。
撮影:鈴木愛子
しかしながら、気になる点がある。大胆な改革には“反発”がつきまとうものではないだろうか。
そんな心配について率直に尋ねると、中野氏はパッと表情を明るくさせ、「結構、地道にやっているんですよ」と、ある取り組みについて教えてくれた。
取締役に就任することが決まった今年2月以降、中野氏が隔週で欠かさず続けている「熱海の市民と語る会」。毎回メンバーを入れ替えて30人ほど、商工会やマンション自治会、神社の宮職など、地域住民と直接対話しながら、熱海の課題や未来像を共有する場をつくっているという。
「エリアリバイバルを進めるには、地元の人たちとの信頼関係が一番大事。天王洲でも地元企業や舟宿さんと話したり、地域との合意形成に時間をかけたんですよ。地域の人たちと足並みが揃えば、行政との連携もしやすくなる。熱海でも、3000人と直接会って対話できるまで続けるつもりです」
3000人といえば、熱海市民の10人に1人に相当する。「小さな都市だからできる土台づくり」に余念がない。
7月3日に発生した土砂災害にいち早く動いた支援活動も、地域からの信頼を高めるのに大きく貢献したはずだ。
「“地域に捨てられないニューアカオ”になるために、積み上げるべきはお金の数字ではない。どんなコト(出来事)を成し遂げるか。一連の災害支援は、ニューアカオが地域で存続し続けるためにも必要な行動でした」
モチベーションは稼ぎではない。いかに自分が成長できるか
創業家の外から会長として就任することに対しては、「本当に私でいいのか、という思いもよぎった」が、引き受ける動機が優った。
「私が赤尾社長に伴走することで経営が安定し、より強くなったニューアカオを創業家の次世代に渡せるのであれば精一杯貢献したいと考えました」
「それに何よりも」と、会長就任を決めた理由について中野氏は続けた。
「僕がこの熱海の土地の迫力に感動し、心底惚れてしまった(笑)。大変な毎日になるぞと覚悟しつつ、新しい挑戦を楽しもうとする自分を止めらなかった」
70代であることを忘れさせる、生命力溢れる表情でこう続けた。
「この歳になって新しい仕事を始めるモチベーションは、稼ぎではないですよ。いかに自分自身が成長できるか。より難しい課題に挑んで、ステップアップできるか。死ぬまでワクワクしながら生きるために働いているようなものです」
中野氏がその可能性に期待をかけ、価値を最大化しようと向き合っているのは、ホテルニューアカオという老舗ホテルだけではない。
観光都市に生きる人々の生活であり、世界の中の日本であり、そして自分自身なのだ。
(文・宮本恵理子)
中野善壽(なかの・よしひさ):ホテルニューアカオ(静岡県熱海市)の代表取締役会長。1944年生まれ。弘前高校、千葉商科大学卒業後、伊勢丹に入社。1973年鈴屋に転職。1991年、台湾で力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問及び亜東百貨COOを勤める。2010年に、寺田倉庫のオーナー寺田保信氏からの声掛けで寺田倉庫入社。1年後の2011年、社長兼CEO。会社の事業再編と本社周辺の天王洲エリアの再開発を手掛けてきた。2019年6月、寺田倉庫退社、2019年8月、東方文化支援財団を設立し代表理事を務める。