1989年に発売された「実験的SF小説」が突然のヒット……。いったいなぜ?
提供:中央公論新社
2021年7月28日、不可解な現象が起こった。
1989年に作家の筒井康隆さんが発表し、1995年に中央公論新社から文庫本が出版された小説『残像に口紅を』が突然、各通販サイトで上位にランクインしたのだ。
『残像に口紅を』(著:筒井康隆 / 中央公論新社)
アマゾンでは、本の売れ筋ランキングの総合で一時は9位となり、日本文学部門などで1位を獲得。反響を受けて、同作は3万5000部の緊急重版が決定したという。
出版から30年以上が経過した日本文学の巨匠作品に、なにが起こったのだろうか?
TikTokの紹介動画が580万回再生
きっかけは、1人のTikTokユーザーによる動画投稿だ。
TikTokで小説を紹介する動画を投稿している「けんご(@けんご 小説紹介)」さんは2020年から動画投稿を行っており、若い世代に人気のTikTokクリエイターだ。
『残像に口紅を』は、話が進むごとに文字が1つ消えていく実験的な小説。使用できる文字が減っていく世界で生きる、一人の小説家の姿を描いている。
けんごさんは7月27日、本著を簡潔にまとめた30秒の動画を公開した。
「もし、この世から“あ”という言葉が消えてしまったら —— どんなことが起きると思いますか?」
そのように章を重ねるごとに文字が消えていく世界の変化を問いかけた。
するとコメント欄には、TikTokユーザーからの書き込みが殺到。ユーザー同士が議論を交わすなどコミュニティのような盛り上がりをみせて、8000件以上のコメントが集まることになる。これには「けんごさん」自身も驚きを隠せない様子であった。
8月10日現在、この投稿動画には53万件以上の「いいね」となり、580万回再生されて、大きな反響を呼んでいる。
同書が7月28日に各通販サイトに突如、ランクインした現象は、この動画が拡散されたことで、興味を抱いたTikTokユーザーが書籍を購入し、売り上げが急増したのが要因だ。
「TikTok売れ」で3.5万部の重版に
出版元である中央公論新社では、7月29日に同書が通販サイトのランキングで上位になっていることからTikTokでの現象に気付いたという。
「弊社の作品で、TikTokでの紹介からここまでの反応があった事例は初めてで、大変驚きました」と、同社販売推進部の瀧澤宣彦さんは話す。
先述の通り、同作は8月12日出来で3万5000部の重版が決定した。
この重版分は発注を受けている書店への納品分となるため、さらなる重版も検討しているという。その際にはTikTokのロゴを入れた帯や店頭拡材もつけるそうだ。
同書はもともとロングセラーの定番商品として長く親しまれてきた作品だった。
しかし主要な書店チェーンで「7月1日~27日の27日間の売上冊数」とけんごさんがTikTokで同書を紹介した翌日からの「7月28日~31日までの4日間の売上冊数」を比較すると、なんと17倍に跳ね上がっていたという。
また同チェーンで7月28日以降に書籍を購入した購買層を調査すると、男女ともに29歳以下がはっきりと増えていることが分かったそうだ。このことから同社では「今までリーチできていなかった層に伝わった」と手応えを感じている。
全国の書店で「棚」から売れた
実は『残像に口紅を』は、2017年にも緊急重版を行っている。
2017年11月に放送されたテレビ番組内で、お笑い芸人のカズレーザーさんが同書を紹介したことで各通販サイトで1位に。3カ月で10万部を超える重版を行った。
瀧澤さんは「今回の現象も同様またはそれ以上の可能性を感じている」と自信をみせる。売れ行きの傾向から、各通販サイトだけでなく、全国で書店に足を運び、書籍を探している読者の姿が感じられるというのだ。
「今回は、書店の目立つ平積みのエリアではなく、通常の棚に並んでいる中から売れているのがはっきりとわかりました。通常の棚というのは、その書籍を能動的に買うという目的を持ったお客様向けです。多くの店舗で1冊程度しか在庫がなく、その場合はそれ以上は売ることができない状態になります」
「全国の書店で『売り上げ1冊』というデータが並んで確認できており、お客様が書籍を探しているのが分かりました。このような売れ方はほとんど経験がないことで、たいへん驚いています」
「TikTok売れ」そのジャンルは多岐に渡る
実は、TikTokのユーザー発信の投稿から書籍が売れる現象は、2020年から起こっていた。
2017年に出版された宇山佳佑さんの小説『桜のような僕の恋人』(発行部数59万部)や、2016年の汐見夏衛さんの小説『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(発行部数19万部)も、いずれも一人の読者が投稿した紹介動画から大重版となったのは既報の通りだ。
しかし2020年まではそうした紹介動画は、テキストベースで想いをつづる動画がメイン。ジャンルも恋愛小説やライトノベルといった若い世代に人気のものが中心だった。
それが今年に入ると「けんごさん」に代表されるように、テキストでは伝わりづらい部分を話しながら紹介する動画も増え「TikTok売れ」するジャンルが多岐に渡っている。
ブロガー・作家のはあちゅうさんによる『大切なあなたノート』もその1冊。こちらは「名前の由来は?」「好きな季節は?」などの100問が収められ、家族やパートナーなどにプレゼントして、記入できるようになっているものだ。
7月に1人の読者が「毎日会えないカップルにオススメ」と題して、カップルで交換日記をするような動画を投稿。お互いをより深く知るためのコミュニケーションとして同書を活用する内容に共感が集まった。投稿直後から各通販サイトで品切れとなり、重版が決定したという。
さらに今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』は、2019年に第161回芥川賞を受賞した文芸小説だが、2021年3月に読者が「なにもおこらない、それなのに寒気が止まらない小説。」として紹介。
“近所に住む、紫のスカートの女の日常を主人公が見守ります。(中略)ただ、この2人は友達でもなんでもないんです。(中略)小説は淡々と進んでいくので、主人公がやっていることがちょっと異常では?と思うのは読者だけ —— 。”(ほんやのなす@小説紹介より)
このホラーテイストな紹介動画が人気となり、売上が急増。こちらも重版が決定し、帯のキャッチコピーも「TikTokで話題再燃!」に変更された。
夏休み読書に「TikTokで話題の本」
こうした動きに全国の書店も積極的に反応するようになっている。
『残像に口紅を』が各通販サイトなどで上位にランクインした7月29日には「TikTokで話題!」と書かれた販促ポップを掲示している書店がSNSで確認できた。
一部の書店では、夏休みの読書に向けて「TikTokで紹介された本を集めたコーナー」を設けるなど、TikTokが、書籍の売上に影響を与えることを、書店側も認識している様子が伺える。
世界でも「TikTok売れ」が急増
米NBCニュースの報道によるとアメリカでも書籍を紹介する動画が、売り上げに大きな影響を与えているという。
アダム・シルヴェラさん(Adam Silvera)が2017年に出版した『They Both Die at the End』という小説は、2020年8月にTikTokの影響で売り上げが急増。2021年4月には、ニューヨークタイムズのヤングアダルト小説部門で1位を獲得したという。同書は現在も同ランキングで首位をキープしている。
さらにオススメの本の紹介や、レビューなど、書籍に関する投稿が全世界から集まる「#BookTok(ブックトック)」というハッシュタグは総再生回数は158億回以上と、驚異的な人気となっている。
【左】オススメの本などが紹介される「#BookTok(ブックトック)」の動画。【右】(左から)jennaさん、pauline (she/her)さん等は、本を紹介するTikTokクリエイターで「BookToker(ブックトッカー)」と呼ばれる。
出版社「TikTokの活用を加速したい」
TikTokの活用に出版社も意気込みを見せる。
出典:TikTokより
前出の中央公論新社・瀧澤さんは「今回の経験を受けてTikTokでの取り組みを加速する」と意気込む。
同社からは同じく筒井康隆さんの実験的小説『虚人たち』も出版されており、こちらもロングセラーだ。こうした小説を若い読者にも届けられるように、TikTokの活用も検討していきたいという。
「(『残像に口紅を』は)究極の実験小説として長くご紹介してきましたが、今回のことで、まだまだ手にとっていただける余地があったことがわかりました。いまや日本文学のレジェンドである筒井先生の作品が持つ普遍的な魅力を、これからもお伝えしていければと思います」(瀧澤さん)