今年の夏休みの宿題には、例年のドリルや自由研究に加え、PCを使ったグループワークが追加された。
出典:PAKUTASO
「テレビ消して!もう宿題やる時間でしょ。何回同じこと言わせるの!!」
母の怒鳴り声は全く届かない、小5息子の夏休みも大詰めだ。
コロナ禍の夏で、気軽に外遊びもできずにちょっと気の毒だが、彼には夏休みの宿題という最大ミッションが、まだたっぷり残っている。
私は在宅勤務中のため、日中の不測の事態に備えて毎朝、午前4時起床で始業開始を前倒している。仕事の合間にサポートした読書感想文を、親子で白目になりながらようやく完成させたところだ。
そして2021年、夏休みの宿題には、例年のドリルや自由研究に加え、パソコン(PC)を使ったグループワークが追加された。
文科省が主導するICT教育プロジェクト、GIGAスクール構想の元、息子の通う小学校でも1人1台PCが配布されてから約3カ月。
未来をつくる子どもへの投資でもあるICT教育の重要性は理解する一方、突然始まった感も強い。今後子どもたちの学びがどのように変わっていくのか。保護者としては正直、見えづらい点も多く、不安が否めない。
コロナ禍で3年前倒しのGIGAスクール構想
文科省が主導するGIGAスクール構想は、「子どもたち一人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育ICT環境の実現」を目指し、2019年にスタートした取り組みだ。
当初は2023年度中の達成を目指していたが、コロナ禍による臨時休校を受け、緊急時でも学びを継続させるインフラを早期確立させるべく、「1人1台端末」構想の実現が2020年度内へと3年前倒された。
管理は現場に丸投げ、現場教員の残業時間も増加
GIGAスクール構想の前倒しにより、大量のPCが届いた学校側も困惑の声を隠せない。
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GIGAスクール構想の前倒し。現場の教員もこの余波を大いに受けたのではないだろうか。都内の区立小学校教員のAさんに話を聞いた。
「GIGAスクール構想、最悪ですよ」
怒りともあきらめともつかぬ声で、Aさんは大量のPCが届いた学校側の困惑をこう例える。
「ある日突然、毎日の生活に何も困っていない家庭に、使い方も性能もわからない巨大なオーブンレンジが届いたとします。高価なものだから大事にしなさい。でも設置は自分たちでやってね、と」
オーブンレンジがGIGAスクール構想でいえば1人1台の端末というわけだ。
「使い方は家庭の代表が学びに来なさい、そしてそれを他の家族にも教えるんだよ。ちゃんと毎日使って、その効果は必ず報告してね。絶対に役に立つはずだから!と、送り主から言われても困りますよね。今の学校の現場って、こんな感じです」
教員の気苦労は日常業務にも及んでいる。どっさりと届いた端末に、生徒ごとの管理番号を付与するのは全てICTを担当する教員の仕事だ。さらに担任クラスを持つ教員たちは、子どもたちに使い方を説明できるよう、遅くまで残って自主的に使い方を教え合っているそうだ。
これらはすべて、勤務時間外の午後5時以降にやっているという。
「みんな、毎日5時間ぐらい授業をして、クラブ活動や三者面談も行い、放課後補充授業もやりながら、明日の授業の準備をしている中ですよ。もう、毎日くたくたです」(Aさん)
教育の中身についての議論が現場でも全く進んでいないため、教員もどう指導してよいか理解していないという(写真はイメージです)。
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「今年度の計画を、今年度作ってください」
一人一台、パソコンを配布したはいいけれど、では肝心の教育の「中身の議論」は進んでいるのだろうか。
法政大学講師で、GIGAスクール構想の研究も進める児玉洋介氏はその実態の心許なさを説明する。
「肝心の中身にあたる部分は、文科省ではなく、経産省の別プロジェクトで検討されています。しかし、そのプロジェクトの実証事業に参加を予定している学校は全国の約1割。残りの学校は、どんな授業をするとどんなことが可能になるのかが見えず、教育計画を作るのもすべて手探り状態というのが実情です」
前出のAさんの小学校でも、教育委員会から提出を求められた「情報教育年間計画」の締め切りは7月末で、4月下旬のPC一斉配布の後だった。
通常、教育計画は前年度末の3月までに教育委員会に届け出て、新年度の4月からはその計画にのっとった教育活動が実施される。「今年度の計画を今年度作ってください」というのは、異例だという。
先述の小学校教員・Aさんも、こう悲痛な声を上げる。
「正直、私たちが聞きたいですよね。子どもたちにどんな力をつけたいのか、肝心な教育の中身について現場での議論も全く進んでいないのに、最初からPCを使うことありきで話が進んでいる。PCを使うためだけの課題を夏休みの宿題として出された家庭が、困惑するのも当たり前ですよ」
ICT教育が進むオーストラリア、ロックダウン中の小学生は?
緊急ロックダウン中のブリスベンでは臨時休校中の課題が保護者宛てにメールで送られてくる。
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ちなみに、海外のICT教育の現状はどうなのだろうか。
小学生2人の母であり、子どもの教育を目的に2020年1月からオーストラリアに「教育移住」しているBさん(40代)に話を聞いてみた。
「ちょうどいま、ブリスベンは緊急ロックダウン(※)で学校も臨時休校中。休校中の課題は、担任の先生から保護者宛にメールで送られてきます。学校からは、小2まではiPad、小3以上はPCが一人一台支給されていますが、基本的に持ち帰りはNGです」
「でも、高学年になると自分のPCを持っている子がほとんどなので、親から転送された宿題を自分のPCでやっていますね。宿題の形式は、教科ごとのオンラインソフトを使ったものや、PDFに直接書き込むものなど、まちまちです」
※取材当日の8月6日、ブリスベンを含む南東部クイーンズランド州11地方行政区において、デルタ株クラスター発生による緊急ロックダウンが実施されていた。期間は7月31日から8月8日。
特別なことをやっているわけではない、オーストラリアのICT教育
「小6で日本の新卒1年目程度のPCスキルは持っていますね」とBさんは語る(写真はイメージです)。
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オーストラリアはICT教育先進国として知られる。OECDの「PISA2015年調査」によると、生徒用のコンピュータ1台あたりの生徒数を各国で比較したところ、オーストラリアは0.57人/1台と47カ国中でもっとも少なく、コンピュータ普及率がもっとも高いという結果となっている。
ちなみに日本は2.87人/1台でOECD平均の3.8人/1台よりは普及している程度の結果だ。
たしかにオーストラリア政府の公式HPでは、世界トップ100大学に6校が選出、小学校にも高度なテクノロジー環境が備わっていると紹介されていている。
実際の学校教育の現場はどうなのだろう?
「公立小学校においては、すごく進んでいる、取り立ててすばらしいことをやっている、とは感じていません。例えばPCを使う、メールでコミュニケーションするというのは、決して特別なことではないですよね。それが、学校教育の中にも自然な流れで組み込まれて、子どもも教員も親も普通に使っている」
ただし「小6で日本の新卒1年目に求められる程度のPCスキルは持っているのではないでしょうか」と、スキル自体はそれなりに身についているようだ。
「自分の好きな絵本を紹介する課題であれば、絵本を開きながらではなく、パワポを使って紹介したり。プレゼンテーションにしても、特別なITスキルが必要なわけでもないんですよ」
大きな教育構想を打ち上げ、みんなで足並みをそろえて、一斉にICT教育をはじめる、という取り組み方ではない点が日本とは大きく違う、とBさんは分析する。
「日本の公教育が停滞していた時期に、便利なツールやテクノロジーが少しずつ組み込まれて教育が進化した結果、日本より一歩先にいるという感じでしょうか」
ITは便利だから使う。シンプルで合理的な思考
ITは便利だから使うという、極めてシンプルな発想。少数派に合わせてITを使わないという選択肢がないという。
「家での課題は各家庭で準備したPCを使う前提ですが、PCを持っていない家庭へのフォローはあっても、持っていない家庭に合わせてクラス全員の宿題をすべて紙ベースにする、ということはない。
『PC持ってないの?あ、でもお母さんスマホは持っているのね、じゃあそれでできるよね』という感じなので、ものごとが停滞することが少ないですね」
子どもの欠席連絡は連絡帳のみ。宿題やお知らせは大量のプリント、一斉購入教材の支払いはいまだ現金が主流。そもそもICT教育以前に、数十年変わらずこのようなやり方が続く日本の小学校の「停滞」は相当だ。
この状況を脱してICT教育先進国と肩を並べるには、大きな教育構想を打ち上げることも必要なのかもしれない。
しかし、そもそも日常のちょっとした作業、やりとりに柔軟にICT化を取り入れる、豪州に見るような小さな変化の積み重ねこそが大きな結果につながっていく気がしてならない。
今日も息子が声を張り上げる。
「ねえママ!これどうやってやるの?分かんないから、とりあえず紙に書いておけばいい?」
いずれにしてもこの夏明確なことは1つ。一斉配布されたPCを前に、仕事の手を止めて、親がサポートしないと終えられない宿題が、また1つ増えたことだ。
(文・中西真弓)
※こちらの記事は、2021年7〜8月にBusiness Insider Japanが開講したスクール「編集ライター・プロ養成講座」の受講者が、編集部のディレクションのもとに取材・執筆したものです。