かつてZOZOのテクノロジー部門のトップをつとめ、この6月にZOZOを退任した伊藤正裕氏が、次のチャレンジに起業する。社名は「PowerX(パワーエックス)」。かねてより公言していたとおり、エネルギー産業での起業だが、その構想は極めて野心的だ。
伊藤氏が考えるPowerXの事業の柱は、大きく分けて2つある。
1つは、長期的なビジョンとして描く「電気運搬船」の製造、そしてもう1つは脱炭素時代の需要増が期待される、EV(電気自動車)向けの急速充電用バッテリーや、船舶用の「巨大バッテリー」の製造だ。
洋上風力や遠隔地で発電した電気を「船」で運ぶインフラを目指すという構想は、興味深い。
PowerXを創業した伊藤氏に単独インタビューし、新事業の構想と、そこにかかわる大物メンバーの顔ぶれを聞いた。
「電気を巨大なバッテリーで運ぶ」を日本発のグローバル産業に
PowerXを創業した伊藤正裕氏。ZOZO時代には、「ZOZOスーツ」の開発に携わるなど、テクノロジーを駆使した新規事業を手掛けてきた。
撮影:今村拓馬
「私が社会人をはじめたとき、日本はコンシューマエレクトロニクスで世界トップでした。ただ、この20年間で日本が強かった産業がなくなってしまったように感じています。
自分があと20年働く中で、“非力ながらも日本発の新しい産業を作りたい”と思ったんです」
伊藤氏は、PowerX創業の熱意をこう語る。
日本国内に「巨大バッテリー」製造工場をつくり、電気を送電線ではなく「船」で運ぶ……PowerXの構想は、初めて聞くとあまりに野心的だ。しかし、その構想に共感した取締役(社外取締役含む)には豪華な顔ぶれが並ぶ。
代表取締役社長の伊藤氏のほかに、取締役会長として再生医療ベンチャー「ヘリオス」の代表を務める鍵本忠尚氏が参画。
社外取締役には、2021年3月にフォルクスワーゲンと約1.5兆円規模のEV用電池の供給契約を結んだスウェーデンのバッテリーメーカー・Northvolt(ノースボルト)創設者の1人であるパオロ・セルッティ氏、元Google幹部(バイスプレジデント)のシーザー・セングプタ氏、ゴールドマン・サックス証券の元パートナー、マーク・ターセク氏が就任するなど、世界展開を意識した布陣に見える。
画像:PowerXのHPよりキャプチャ
伊藤氏は、
「日本は造船業が強い。蓄電池も本来強いはず。これを組み合わせることで『電気を船で運ぶ』という新しい産業が生まれる可能性があるのではないかと思ったんです。
それを作れるのであれば、ライフワークとして私の次の20年間をかけてみたいなと」
と同社設立の経緯を語る口調には、熱がこもっていた。
「船で電気を運ぶ」ことは合理的か
PowerXが開発する予定の電気運搬船のイメージ。
提供:PowerX
「船自体を作るのではなく、電気を運べる船のシステムを作ります。巨大な貨物船のコンテナの一部が蓄電池になれば、そのコンテナ船は電気を運搬できるようになるわけです」(伊藤氏)
電気は、基本的に発電所から送電線を通じて配電されている。
既存の電力システムでは、伊藤氏が言う「船で電気を運ぶ」ことにメリットは感じられない。
しかし伊藤氏は、
「海の上に風車を建てまくり、エネルギー密度が高い船であらゆる国に電気を送れば、大きなビジネスになりうる」
と未来を描く。
電池の性能が上がり、再生可能エネルギーの利用が当たり前になった世界では、世界各地の洋上風力発電所で発電された電力が、船によって運ばれ売買されるというわけだ。
地球の7割は海。石油に代わるエネルギー源として再生可能エネルギーに注目したとき、海の上はまさに強風が吹き荒れる資源の宝庫だ。
洋上風力が発達した先の電力網の形とは
浮体式の洋上風力への移行が進めば、発電所の設置可能場所は拡大する
提供:PowerX
国内でも、船で電気を運べるようになるメリットは大きいと伊藤氏は指摘する。
日本では、2020年12月に政府が発表したグリーン成長戦略によって、2050年までに電力の50%〜60%を太陽光や風力などの再生可能エネルギーで発電されたものに切り替える方針を示している。
その主力の1つとして期待されているのが、他ならぬ「洋上風力発電」だ。
洋上風力発電には、海底に打ち込んだ基礎に風車を固定する「着床式」と、海上に風車を浮かべて設置する「浮体式」の2パターンがあるが、浅い海域の少ない日本では浮体式の洋上風力発電の需要が見込まれている。
「沖合に建設された浮体式の風力発電所で発電された電気を船で運ぶのが、ユースケースの1つです。海底ケーブルを敷設する代わりに、船で電気を運ぶんです。
今の計画では、2025年に電気運搬船の初号機『Power ARK 100』を製造し、実証試験を目指す予定です。
2030年以降に着床式から浮体式の風力発電に移行していく時期には、海底ケーブルに対する別のソリューションとしてしっかり提供できるようにしたいと思っています」(伊藤氏)
Power ARK 100は船舶用電池(後述)を100個積載し、220MWh(一般家庭およそ2万2000世帯1日分の電気:10kWh/1世帯・1日で計算)の蓄電能力を保持する計画だ。
イギリス・ブラックプール沖の洋上風力発電所。将来、日本の沖合にもこういった景色が珍しくなくなるかもしれない。
REUTERS/Phil Noble/File Photo
また、船が送電網の代わりになるのであれば、地域間で余剰電力を融通する際にも利用できる可能性がある。
現在、地域間(北海道から本州など)で融通できる電力は、その地域間を結ぶ送電線の容量に依存している。そのため、たとえ首都圏で電力がひっ迫したとしても、他の地域から融通できる電力には限りがある。
これを増やすには、新たに送電線を敷設しなければならない。
「例えば、北海道の再生可能エネルギーで発電した電気を船で新潟県柏崎市まで運ぶ。柏崎には原子力発電所があるので、巨大な系統がそのまま関東につながっています。そこに船をつなげば、簡単に電力を供給できるはずです」(伊藤氏)
再生可能エネルギーの資源量が多い地域では、発電のしすぎで販売価格が低下するなどの弊害も出ている。作った電力を簡単にほかの地域に送ることができるようになれば、再生可能エネルギーの導入も加速することになる。
伊藤氏が描くこれらの構想は、全国の電力網に関係することだ。ベンチャー企業1社が掲げるだけで、簡単に実現できるようなものではない。
その実現可能性を伊藤氏に率直に聞くと、この先予定しているPowerXの資金調達では、「出資者や業務提携のような形で、大手企業が加わる予定です」(伊藤氏)と、水面下では政府や電力事業者などの関係者と具体化に向けた交渉を進めているとする。
国内に半自動製造の巨大バッテリー工場を建設
伊藤氏は半自動化したバッテリー工場の建設にあたり、技術的にはそこまで難しくはないと自信を見せる。
撮影:今村拓馬
もっとも、「船で電気を運ぶ」という野心的なコンセプトは、PowerXの長期的な展望だ。
伊藤氏は、PowerX事業の足がかりとしてバッテリー製造工場に着手し、これを当初のビジネスとすることを計画している。
「まずは電池サプライチェーンの大手を目指したいと思います。日本国内に電池を大量供給することによって、日本の再生可能エネルギー市場が大きく活性化します。さまざまな産業においてカタリスト(産業を動かすきっかけ)になりえるものだと思います」(伊藤氏)
リチウムイオン電池のようなバッテリーは、「セル」と呼ばれるパーツが複数組み合わされることで、1つの製品となる。
PowerXは、自社でこの「セル」を開発するのではなく、大手メーカーから仕入れたセルを、新設する自社の国内工場でパッケージングして「製品としての電池」にする。
バッテリー製造は既存技術によるオートメーション化を前提としており、数十億から百億規模の資金を調達した上で、2022年には工場の建設を開始し、2024年には本格稼働する計画だ。
工場の建設予定地の選定も進めており、すでに複数の候補地がしぼられている。
バッテリー工場で製造に着手するバッテリーは主に2つ。
電気運搬船でも使用できる「船舶用電池」、そして「EV急速充電器用電池」だ。
「日本は造船業の世界シェアが20%ほどあります。この先、電気船やハイブリッド船など環境に良い船の開発競争が加熱していきます。そのとき、日本に国内の造船業向けの電池サプライチェーンがあるということは極めて重要になると思います。
また、EV急速充電器用電池は、非常に日本向けです」(伊藤氏)
移動できる急速充電器用電池は、国内のEV化を加速するか?
PowerXが製造する予定のEV急速充電器用電池のイメージ。
提供:PowerX
この先、EVの普及が加速することが確実視される中で、ガソリンスタンド代わりとなる充電設備の需要が高まることは間違いない。
経済産業省の資料によると、2018年の段階で日本国内でEVやPHVなどの充電に対応できる公共の設備は約3万台。ただし、その多くがフル充電までに数時間かかる「普通充電」だ。
EVメーカーのテスラをはじめ、海外では数百kWの出力での急速充電が当たり前になりつつある。しかし、国内にある数少ない急速充電の設備でも、100kW級の出力が出せる急速充電設備はまだ少数派。その出力は50kW程度と及ばない(一部90kWにも対応)。
EV普及が進めば、充電時間の短縮のためにこれらの設備の刷新(大出力化)需要が盛り上がることは間違いない。新設も必要になる。その際は当然、大がかりな工事が伴うだろう。
伊藤氏は、この充電インフラの刷新需要を「PowerXの初期のビジネスチャンス」とみている。充電設備の刷新の代わりに、「EV急速充電器用電池」を急速充電ステーションとして次々と設置しようという構想だ。
「例えば、EVの充電用の電池をコンビニや飲食店、スーパーの駐車場など、身近なところに設置しておく。QRか何かをアプリでかざせばその電気自動車に対応した急速充電方式で充電できるようにしておくと、(充電設備を設置しづらいマンションが多い都市圏ではさらに)EVに乗りやすくなるはずです」(伊藤氏)
PowerXの構想では、製造されたバッテリーは設置するだけで利用できる上、空になれば200Vの一般的な電源で再充電することが可能。つまり、場所さえあれば、工事などもなく設置していけると説明する。
そのため、たとえば休日に高速道路のパーキングエリアなどの需要が高い場所に電池を集めるなど、需給状況に応じて設置場所を最適化することもたやすい。
伊藤氏は、2024年の工場本格稼働時には、船舶用電池とEV急速充電器用電池を合わせて1GWh、その後毎年1GWhずつ製造規模を増強し、2028年には5GWhの生産規模を目指すとしている(内訳は検討中)。
当然、需要があればその規模はどんどん増えていく。
「ベンチャーを過去に立ち上げた身として、最初から規模の大きな話をしてもピンとこないことが多いんです。ですので、まずは1GWh、そして5GWhと進めていきます。
ですが、1歩ずつ歩んでいくと同じビジョンが共有できるようになってくる。我々が1社やってみると、ビジネスになるんだと思っておそらく2社目、3社目が出てくるようになると思います」(伊藤氏)
(文・三ツ村崇志)