「地図はすぐに古くなるけれど、真北を常に指すコンパスさえあれば、どんな変化にも惑わされず、自分の選択に迷うこともない」。そう語る山口周さんとさまざまな分野の識者との対話。
第9回目の対談相手は、京都大学こころの未来研究センター教授の広井良典さん。限りない拡大・成長の後には「定常型社会=持続可能な福祉社会」の時代が来ると一貫して提唱しています。資本主義の転換点を迎えたいま、日本が進むべき道は何でしょうか。
山口周氏(以下、山口):広井さんは最新刊『無と意識の人類史 私たちはどこへ向かうのか』で、死/無を論じておられます。
アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー=ロスは『死ぬ瞬間: 死とその過程について』で、死期を目前にした人の感情を否認・怒り・交渉・抑うつ・受容の5段階に分類しました。
いま我々が目撃している資本主義の終焉を「死」と捉えるなら、ロスのフレームを当てはめて考えることができます。
資本主義の限界を目の当たりにしながらも、「イノベーションによって経済成長の限界は打破できる」「非物質的無形資産を計量していない」といった議論、あるいはSDGsというお題目のもと行われる問題の先送り。
これらはロスの言う交渉に近いのではないでしょうか。つまり死を受け入れたくないために、現実を受け入れまいとする。
広井良典氏(以下、広井):ロスの議論と資本主義の現在を結びつけてとらえる発想は面白いですね。
私の場合、2001年に刊行した『定常型社会 新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書)で、無限の経済成長を追い求めることが却って経済にマイナスになるという議論を行い、経済成長を絶対的な目標とせずとも十分な豊さが実現していく定常型社会へのシフトを提唱しました。
私は1961年生まれで、今や死語ですが、新人類と呼ばれた世代です。仕事よりプライベート、組織より個人、つまり団塊世代のような会社人間とは違うと。高度成長期の後半期にあたり、物質的な豊かさは達成され、潮目が変わってきた頃です。
日本は戦後から高度成長期にかけて、1本の道を集団でひたすら登ってきた。そんな昭和的価値観への違和感が出発点にありました。
『定常型社会』を刊行した2001年にはバブルは崩壊して10年経っていましたが、昭和的な成長志向は根強く残っていました。今でもそうかもしれません。
経済成長を求めない「定常型社会」を支持してくれる人もいましたが、社会全体から見ればマイノリティでした。
新人類が企業の要職に就いたいまは資本主義の転換点
2001年10月に発覚した、アメリカの多角的企業エンロンの不正会計事件は「エンロン・ショック」とも呼ばれる。写真はエンロンの破産後、ダウンタウンの本社を離れる労働者たち。
REUTERS/Richard Carson RJC
山口:2001年というと、アメリカでドットコムバブルが弾けたころですね。1990年代後半から2000年の好況期、アメリカではニューエコノミーという言葉がもてはやされました。
その象徴とされたエネルギー企業、エンロンの不正会計が発覚したのも2001年。日本でも株主資本主義が喧伝され、堀江貴文さんが脚光を浴びていた時代です。
広井:バブルが崩壊し、成長路線の限界を人々がうっすらと感じ始めていたものの、団塊世代が企業の上層部を占めていたので、成長を否定する議論は受け入れ難いという昭和的な価値観がまだ主流だったと思います。
いま私と同世代が企業の要職に就くようになり、昭和的な価値観や行動様式から日本社会が変わる大きな潮目にいると感じます。SDGsやESG投資のような流れも生まれ、日本社会や資本主義が新たな局面に入っていると感じます。
長年ビジネスの世界を経験されてきた山口さんのような方が、成長一辺倒ではまずいと警鐘を鳴らしていることも、その象徴かと。
実は山口さんの『ビジネスの未来』と、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』は私のゼミでも今年の前期に教材にしたのですが、どちらも学生の反応がとても大きかったですね。
市場がすべてを解決するには道徳や倫理が必要
山口:当時、私は新卒で入社した電通で働いていました。広告代理店の仕事は、広告主の商品を売るためのマーケティング戦略を考えることです。
どんな思いを込めて世に出すのか、それによって世界をどう変えたいのかという視点は欠落したまま、ひたすら売る、新商品を出し続けることが目的化している。
このタレントを起用したら売れるんじゃないか、このプレミアムをつけたらどうだと、いい大人が首を揃えて知恵を絞る。その議論自体に空々しさを感じていました。
1990年代後半から「会社は誰のものか」という議論が盛んに行われました。アメリカでは当時、ミルトン・フリードマンに代表されるように、利益を最大化し株主に還元することこそ企業の社会的責任とする、いわゆる株主資本主義が主流でした。
会社は株主のものだと割り切ることは、多くの日本人にとって違和感がありましたが、堀江さんのフジテレビ買収騒動などを通じて「もの言う株主」が注目されるようになったのは2005年ごろです。
「会社は株主のもの」が自明なら、わざわざ議論しません。そもそも会社は一体何のために存在するのか、富の分配はどのように行われるべきか、既存の価値観が揺らぎ始めていたからこそ、そうした議論が行われるようになった。
ニューエコノミーという言葉自体、今から考えると示唆的です。それまでの経済はオールドだと考えたからこそ、わざわざニューという言葉をつけて、新たなステージに移行しようとする。
移行する以上、古いものは終焉させなければなりません。これまでの方法や価値観では立ち行かない、死にゆくものだという時代認識を見出すことができます。
日本の広告最大手の電通グループは東京・汐留の本社ビルを2021年中に売却する方針を示している。
REUTERS/KIM KYUNG-HOON
広井:糸井重里さんが「ほしいものが、ほしいわ。」というコピーを書いたのは1988年。本当に欲しいということと、もはや欲しいものがなくなっているという二重の意味がありました。
当時はバブル絶頂期でしたが、欲しいものがわからない、つまり需要の飽和はすでに起こっていたように思います。
私は1980年代の終わりの2年間アメリカに滞在していましたが、すでにアメリカを豊かさのモデルと考えることに違和感がありました。
GDPは世界一でしたが、街の雰囲気や人々の暮らしに触れると、ヨーロッパの方がはるかに成熟社会の豊かさを体現しているなと。
ヨーロッパは環境に配慮した経営にいち早く取り組み、今で言う持続可能性に軸足を置いた社会のあり方を進めてきました。
戦後の日本は、良くも悪くもアメリカモデルをひたすら追い求めてきましたが、経済だけでなく環境や福祉に軸足を置いたヨーロッパモデルに転換していくのが成熟した社会のあり方ではないかと思います。
山口:ジョン・メイナード・ケインズやジョン・スチュアート・ミルなどの古典派経済学者たちも経済成長の限界を認識していました。最近の経済学では、そこにあまり触れません。
市場原理主義を標榜する人々はアダム・スミスの「神の見えざる手」を引用して、市場がすべてを解決するかのように語りますが、アダム・スミスが倫理学者であり、その前提として道徳や倫理の必要性を説いていることはあまり知られていません。
まるでプロパガンダのように言葉が一人歩きし、あたかも経済成長が永遠に続くかのように喧伝されてきたとも言えます。
GDP600兆円目標が経済にマイナスになる理由
山口:そして今、脱成長の模索が本格化しています。脱成長には二種類ある。つまり意図した脱成長、意図せざる結果としての脱成長です。この10年間、日本は実質的にゼロ成長であり、意図せざる脱成長が実現されてしまっている。
広井さんの提唱される定常経済、つまり経済成長を目標としない経済は、意図せざる脱成長、結果としてのゼロ成長とどのように違うのでしょうか。
広井:そこは面白いテーマです。環境経済学者のハーマン・デイリーは、定常経済と失敗した成長主義は違うとしています。失敗した成長主義、これは今の日本です。成長を目指しながら実現できず、失われた30年の中で停滞している。
安倍政権はGDP600兆円を目標に掲げましたが、全く達成できなかった。量的な拡大を目標に掲げることは、却って経済成長の妨げとなる。
ノルマ主義の営業に似ているかもしれません。とにかく100軒訪問しろ、500件電話しろと言うばかりでは売り上げが達成できるはずがない。
つまり昭和の軍隊的な方法では、かえって個人の創造性をつぶしたり、短期的なコスト削減に走るばかりで、中長期的に見れば経済にとってむしろマイナスです。
野球監督だった野村克也さんは「成功は目的ではなく、結果だ」という言葉を残していますね。成功を目的にするのではなく、自分のやりたいことを追求したり、道を極めようとしたりすることが大事で、その結果たまたま成功するのだと。
経済成長も同じだと思います。私は経済成長とかGDP増加を絶対的な目的にすることは反対ですが、結果として経済成長があることは否定しません。
山口:ハーマン・デイリーは、日本が定常経済のモデルケースになり得ると言っていますから、ちょっと混乱しますね。日本は定常経済を目指しているわけではなく、成長を求めた結果、失敗しているわけですから。
(構成・渡辺裕子、山口氏写真・伊藤圭、編集・浜田敬子、小倉宏弥、デザイン・星野美緒)
広井良典:京都大学こころの未来研究センター教授。1961年岡山市生まれ。東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。16年4月より現職。専攻は公共政策及び科学哲学。限りない拡大・成長の後に展望される「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱する。近著に『人口減少社会のデザイン』『無と意識の人類史』(ともに東洋経済新報社)。
山口周:1970年生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。World Economic Forum Global Future Council メンバー。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了後、電通、ボストン・コンサルティング・グループなどで経営戦略策定、組織開発に従事した。著書に『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』『ビジネスの未来』など。