「思考のコンパスを手に入れる」ために、山口周さんによるさまざまな知見を持つ人との対話。
前回に引き続き、対談相手は「定常型社会=持続可能な福祉社会」の必要性を20年前から提唱する京都大学こころの未来研究センター教授の広井良典さん。後編では、ポスト資本主義の時代に楽しく生きるための方法を解説します。
山口周氏(以下、山口):定常経済と失敗した成長主義の違いが何をもたらすのか、もう少し踏み込んでみたいのですが、成長を目指しながらも実現できない社会は、ノルマ主義のもとで数字を達成できないのと同じように、人々にストレスをもたらす。
これはひとつあるかもしれません。ほかにはどのようなものがあるでしょうか。
広井良典氏(以下、広井):定常という言葉は、持続可能性と言い換えても良いと思います。
私は定常という言葉を使いますが、地球の有限性の中で、人々が幸福に、一定の平等を保って生きられる社会を実現するという意味では、ほぼ同義だからです。拡大成長ではなく持続可能性に軸足を移した社会は、定常型社会と言えます。
これはとりたてて目新しい考えではなく、実は日本の伝統的な経済や経営の発想にむしろ近いと思うのですよ。
会社の規模拡大か、会社が長く続くこと、そのいずれかを選ぶとしたらどちらかと尋ねたら、日本ではおそらく後者を選ぶ経営者が多いのではないでしょうか。
定常性に軸足を置いた経営は、日本に古くから伝わる「三方よし」や渋沢栄一の『論語と算盤』と通じる。規模拡大よりも持続可能性を重視するDNAは日本の経営に埋め込まれているのではないでしょうか。
山口:上場企業か非上場企業化によって変わるかもしれませんね。
100年後も存続しているけれど株価は100年で2倍にしかならない会社と、10年後に50%の確率で株価5倍になるけれども、10%の確率で倒産するかもしれない会社、どちらの株を買うかと言えば、多くの株主は後者を選ぶのではないでしょうか。
100年後には自分もいないし、金融工学を駆使してリスクを最小化するからリスクを取って急成長を狙ってほしい。そう望む人が多いと思います。
経営者個人、特にオーナー経営者であれば、規模拡大よりも存続を望む人が多いと思いますが、ガバナンスの構造や資本政策によって変わるはずです。
ただアメリカの経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は、株主に対する責任を最優先とするこれまでの方針から、環境など社会公益を優先するステイクホルダー・キャピタリズムへの転換を2019年に表明しましたから、今後、潮目は変わっていくかもしれません。
広井:その通りですね。ESG投資のように中長期視点に立った投資が増えたり、年金基金のようにロングタームで安定性を重視した投資を行う機関投資家が増える一方、ロボアドバイザーが1秒間に数千回の取引を行うようになる。
両者が同時に進行して、今後どのように交差していくのか注目しています。
短期的な利益主義が会社を滅ぼす
山口:名和高司さんの書かれた『パーパス経営 30年先の視点から現在を捉える』では、いわゆるショートターミズム、株主の短期志向に合わせて経営する会社ほど、結果的に利益を上げられていないと分析されていました。
2001年以降、長期視点で経営している会社の経常利益は、2014年時点で平均的な企業の1.8倍、時価総額は1.58倍だそうです。
逆に短期投資家のリターンを最大化することで、中長期的な成長を毀損している可能性が高いと。ROE(株主資本利益率)経営は一時期もてはやされましたが、長期投資家の利益を損なうこともあるそうです。
広井:面白いですね。なぜそういうことになるのでしょうか?
山口:『ビジネスの未来』では、問題の普遍性と難易度のマトリクスを紹介しました。
ビジネスの本質的役割を「社会が抱える問題の解決」とした場合、より普遍性が高く、かつ難易度の低い問題、つまり費用対効果の高い問題から取り組むはずです。その結果、普遍性が相対的に低く、難しい問題ばかりが残されます。
残された問題を経済合理性の枠組の中で解くためにはイノベーションが必要ですが、一朝一夕に実現できるものではない。
短期的に利益を出そうとすると、売り上げを伸ばすよりも、R&Dの縮小や従業員のアウトソーシングを通じてコストを削減しがちです。未来を食べてキャッシュにするようもので、イノベーションは生まれなくなります。
市場が有限である以上、時間が経つほど、イノベーションを生むには忍耐力が必要になってくる。そんなことが要因ではないかと思います。
今後の問題を解決するのは「小規模でローカルな組織」
出光興業は2021年4月、GSの新ブランド「アポロステーション」を立ち上げた。地域の人々の暮らしにフォーカスし、EVの貸し出しや託児所などの併設も目指している。
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広井:京都大学では2016年から京大と日立の共同研究部門「日立京大ラボ」を設立し、私はそことの共同研究で、AIを活用した日本社会の未来に関するシミュレーションなどを行ってきましたが、従来型の重厚長大なビジネスではなく、再生エネルギーや医療福祉など、小規模でローカルな事業領域に注目しています。
出光興産も、脱炭素の流れや人口減少でガソリンスタンド(GS)が不要になる中、GSを介護や保育の地域コミュニティの拠点にする新しい取り組みを進めているそうです。しかし従来の収益モデルではなかなか採算が合わないのが難しいところです。
AIを活用した分析でも、今後は分散型社会という方向が基本になるというシミュレーション結果が出たのですが、小規模な事業がローカルに分散する中、どのようなビジネスモデルで対応していくのか、企業レベルでも発想の転換が求められています。
山口:日立グループ全体では35万人の従業員がいます。1万人以上の従業員を雇用したのは1870年創業のスタンダード・オイルが初めてと言われます。企業が市場の地理的拡大に活路を見出す以上、規模が重要な競争要因になるからです。
35万人の集団が成長という命題を背負い続ける。売り上げにせよ時価総額にせよ、仮に10%成長を続けるなら、どこかで限界が来るはずです。
ヨーロッパを起点に考えれば、かつて地球上には未開の大地が残されていて、航海に出て新大陸に活路を見出すことができました。イギリスのビジネスをアメリカやアジアに展開すれば、成長し続けることができたし、スケールメリットのある事業なら規模が大きいほど有利だった。
しかしグローバルは「閉じた球体」ですから、いまや残された大陸は南極だけ、あとは宇宙空間に出ていくしかない。
今後は普遍性の低い、すなわち希少な問題を個別に解決できるような小規模の集団や組織が必要とされると思います。
「1日3時間労働」は教養があれば実現する?
余暇を有意義に過ごすためには、社会的な文化資本の蓄積が問われてくる。
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山口:経済学者ジョン・メイナード・ケインズが「100年後、1日に3時間働けば十分に生きていける社会がやってくるだろう」と書いたのは1930年のことでした。それから100年近く経った現在、我々は昔と変わらず1日8時間働いています。
哲学者バートランド・ラッセルも『怠惰への賛歌』で1日4時間の労働で十分であるとしています。では、なぜそれが実現できないのか。「それは教養が足りないからだ」と彼は書いています。
広井さんは『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』で、定常型社会とは退屈でつまらないものではなく、文化や芸術、スポーツなどのレジャーを楽しむようになると書いておられます。けれども、これはなかなかハードルが高い。ラッセルの言う「教養の足りない」人間にとって、余暇を有意義に過ごすのは難しいことです。暇であることが社会問題になってしまう。
労働時間が減り、自由と閑暇を有意義に使うには、社会に蓄積された文化資本の多寡が問われます。かつてイギリスの裕福な貴族の子弟は、学業を修めるとグランドツアーという長い旅に出ました。
アダム・スミスやホッブスのような知識人が家庭教師として同行し、各国を周遊して見聞を深める。圧倒的な文化資本の蓄積があってこそ、閑暇を味わうことが悦楽になります。
その点、アメリカはずいぶん不利です。消費を悦楽とする、あるいはビジネスやスポーツで勝ち負けを楽しむ、そんな刺激を追求することになる。
みんなが会社というものをつくって働いているのは、ゲームのような楽しさを見出している側面もあると思います。売り上げが伸びる、株価が伸びるのは楽しいと。
そう考えると、脱成長を実現した定常社会で閑暇を持て余さずに過ごすには、教育や教養が求められるのではないでしょうか。
広井:人間は多様な生き物で、欲求もそれぞれですから、文化や芸術を楽しむ人もいれば、ビジネスやスポーツの勝ち負けを楽しむ人もいると思います。
山口さんは本の中でコンサマトリー(自己充足的)と表現されていますが、ゆるやかに今を楽しむ感覚が徐々に広がっているのではないかという感覚は、私たちの上の世代と比べても実感としてあります。
日本人が「もともと勤労」は大間違いである
蹴鞠は、参加者で鞠をパスし合い、できるだけ地面につかないように蹴り続ける遊びで、勝敗がつかない。この伝統的なスポーツには、昔の日本人の性質が表れている。
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山口:以前、京都に行った時、宮中で受け継がれてきた雅な遊びや習慣を教えていただく機会がありました。中でも印象的だった話があります。
現在のオリンピック・パラリンピックで行われている種目のほとんどは日本の伝統文化の中に類型を見出すことができる。アーチェリーは弓道、サッカーは蹴鞠というように。
けれども弓道や蹴鞠では、かつては勝敗の白黒をつけたり、点数をつけて順位を争うことをしない、それが大きな違いだと。そもそもレクリエーションというものが、いかに優雅にやったかが大事で、勝敗を決めるなどは無粋だとされてきたそうです。
江戸時代までそんな価値観で暮らしてきた日本人が、富国強兵・文明開化で追いつけ追い越せとグローバル・プロトコルを身につけて今に至るわけです。
いまやフィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングといった競技を見ても、優美さを楽しむだけでは足らず、点数をつけて勝ち負けをはっきりさせてほしいと思ってしまう。
国民性などと言いますが、150年も経つと人の性質も変わってしまうのでしょうか。それとも日本らしさというものが今後の定常型社会における資源となり得るのでしょうか。
広井:意外な事実ですが、江戸時代末期から明治時代初頭、日本を訪れた外国人は「これほどのんびりした人々を見たことがない」「ヨーロッパの基準に照らしてなんと怠惰な人々か」と口を揃えて言ったそうです。
現代の日本人がヨーロッパに行くと、時間の流れがゆったりとして人々がゆとりある生活をしている、日本は何をあくせくしているのかと言いますが、これと逆ですね。
つまり日本人がもともと勤労だったりワーカホリックだったわけではなく、時代が人々の行動様式や意識をつくっていくということです。
私はよく人口グラフを使いますが、江戸時代は300年間、人口グラフはほぼ定常状態でした。ところが明治時代以降に急激な増加の一途を辿り、2008年をピークに、急下降が始まります。
150年続いた上りのエスカレーターの中で育まれたのが、会社人間の価値観やワーカホリックの習性だったわけです。
時代が人をつくり、価値観をつくる。いまや完全に人口減少に転じましたから、再び行動パターンも変わっていくと思います。昭和のやり方では、もはや立ち行かない。まさにターニングポイントに置かれています。
人口や経済成長の上昇カーブも他国に比べて急激でしたし、下降線も鋭いカーブを描いています。変化スピードが速いので、70〜80代の人々は昭和的な価値観の中で生きているでしょうし、若い世代はまったく別の価値観の中で生きている。
その変化スピードの速さが難題ですが、ここを乗り切ればポジティブな未来が開けてくるのではないでしょうか。
山口:日本人は決して変化を避けてきたわけではなく、歴史を見れば、むしろ恐るべき変容を遂げてきた。時代の急激な変化に合わせて、価値観やライフスタイルを変化させてきたということですね。
そう考えると、今後の大きな変化にも希望が見えるように思います。今日は本当にありがとうございました。
(構成・渡辺裕子、山口氏写真・伊藤圭、編集・浜田敬子、小倉宏弥、デザイン・星野美緒)
広井良典:京都大学こころの未来研究センター教授。1961年岡山市生まれ。東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。16年4月より現職。専攻は公共政策及び科学哲学。限りない拡大・成長の後に展望される「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱する。近著に『人口減少社会のデザイン』『無と意識の人類史』(ともに東洋経済新報社)。
山口周:1970年生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。World Economic Forum Global Future Council メンバー。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了後、電通、ボストン・コンサルティング・グループなどで経営戦略策定、組織開発に従事した。著書に『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』『ビジネスの未来』など。