今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
コロナ禍のさなかに無観客での開催となった東京オリンピック・パラリンピック。招致決定以来「景気浮揚のきっかけになれば」と期待する声も多かっただけに、今回の大会の経済効果の行方が気になるところですが……入山先生にはそれよりも、もっと気になったことがあるようです。
【音声版の試聴はこちら】(再生時間:11分00秒)※クリックすると音声が流れます
「オリンピック=経済効果」は昭和の感覚
こんにちは、入山章栄です。
東京パラリンピックが始まりましたね。そんななか、BIJ編集部の常盤亜由子さんは早くも、オリンピック・パラリンピック後の日本経済が気になるようです。
BIJ編集部・常盤
今回のオリンピック、パラリンピックはコロナで無観客開催になったこともあり、経済効果はむしろマイナスになるのではないかと言われています。オリンピックの目的は経済効果だけではないと思いますが、その期待も大きかっただけに、これから日本経済がどうなるか、みなさん不安なのではないでしょうか。入山先生はどう思われますか?
実はつい先日もまったく同じ「オリンピックの経済効果」について、YouTube番組で取り上げたばかりです。「日経テレ東大学」というYouTubeチャンネルで始まった「ファクトロジカル」という新番組の第1回がまさにこのテーマでした。
この番組の第1回では、経営共創基盤の冨山和彦さんと経済評論家の森永卓郎さんという著名人お2人にご出演いただきました。そしてお2人の意見は揃って、「そもそもオリンピックに経済効果を期待するのが昭和の感覚だ」というもの。これには司会を務めた僕もなるほどと思ったのでした。
ここではオリンピックとパラリンピックの意義を分けて考えましょう。
今回注目したいのは、オリンピックの方です。まず冨山さんは、「オリンピックはマイナースポーツの祭典なんです」とおっしゃっていました。これは、確かに、という感じですよね。水泳の飛び込みやハンドボールなど、普段はなかなか日が当たらないスポーツを世界中の人たちが見られる機会です。つまり本来のオリンピックとは、純粋に「大規模なスポーツの祭典」なのです。
では、なぜオリンピックというとすぐに「経済効果」の話が出てくるのでしょうか。冨山さんによると、それは1964年に東京でオリンピックを開催したときには大きな経済効果が期待されたし、実際にそれがあったからです。
当時の日本は終戦から19年が経過した頃。経済が復興してきて、まさに高度経済成長期の只中にありました。
オリンピックを開催すると土木工事が増えます。当時の東京はまだあまり都市インフラが整備されていなかったので、オリンピックを契機に首都高速道路や国立競技場などが次々に建てられました。このとき整備されたインフラをいまも我々は使っているわけですから、そういう意味では開催する意義が大きかった。
ところが2020年代の日本は超成熟国家であり、むしろ高齢化が進む衰退国家だと言っていい。こういうときに土木工事をしても経済効果はあまり見込めません。もちろんインバウンドなどは多少期待できますが、そもそもオリンピックというものは経済効果のために開かれるものではないのです。
さらに冨山和彦さんが指摘していたのは、今回のオリンピックを誘致し、運営を取り仕切ってきた人たちが、1964年の東京オリンピックの記憶を持つ世代だということです。菅首相も森喜朗さんも、みんな脳裏に1964年の成功体験が強烈に焼き付いている。だから「夢をもう一度」と思ってしまうのだけれど、当時と今とでは状況がまったく違うので、あの時と同じことは残念ながら起こらない、ということなのです。
BIJ編集部・常盤
でも今回のオリンピックは、随所に「あの夢をもう一度」感があふれていましたね。
そうですよね。今回のオリンピックの開会式は当初、演出家のMIKIKOさんが演出するはずでした。一部報道によれば、彼女は1964年のオリンピックを経験していないからこそ、これからの「NEO東京」を見せようというイメージを描いていたそうです。
しかし残念ながら、どういう組織の論理からなのかMIKIKOさんは執行責任者の役職から降ろされ、「NEO東京」が世界の人の目に触れる機会はなくなってしまいました。
仮にですが、例えばもし僕が開会式を演出するとしたら、日本は少子高齢化など世界の課題先進国なのだから、日本がどういう課題を抱えていて、それをどうやって乗り越えていくかをアピールする場にしたと思います。他方で、ポップカルチャーや伝統など日本の魅力も存分に伝える。
「われわれ日本人はこうやって生きていくんですよ」という前向きな未来やビジョンのようなものを、ポップカルチャーやデジタルの力で表現する。オリンピックの年だけでなく、これから10年、20年先まで「日本っていい国だな。また来てみよう」「もっと日本人と仲良くしたい」と思ってもらえることを目指したでしょう。
でも逆に言うと、今回のコロナやオリンピックを契機に日本社会の膿が全部出たので、さすがにみんな「今のままではまずい」と気づいたかもしれませんね。
昭和を追い出せ
BIJ編集部・常盤
これをきっかけに、日本はどんなふうに変わっていったらいいと思われますか?
実はそれについても、そのYouTube番組で話題になりました。冨山和彦さんは、「昭和組を追い出せば日本は変わる」、といったことをおっしゃっていました。
僕も、今は変化が激しい時代なので、若い人がどんどん新しいことをやっていくべきだと思います。
ただし問題は、僕も含めた中高年世代が、自分の活躍の場がなくなるのを恐れて抵抗すること。オリンピックの開会式準備ではそれが起きたわけですよね。人口構成的にも今の40代後半から70代が一番のボリューム層であり、ここが“昭和”を引きずっているわけですから、自分も含めてこの人たちをどうするかが最大の課題ですね。
BIJ編集部・小倉
なんだか停滞する大企業にも通じるような話ですね。
まったく同じです。しかも企業ならば本当に困ればリストラという手がありますが、国民をクビにするわけにはいきませんからね。
もちろん僕たち中高年の世代も一生懸命頑張っているので、すべての中高年が悪いわけじゃない。でもこれからは中高年層が若者の邪魔をせず、彼ら彼女らのサポートをする側に回り、なおかつ自分たちもいきいきと働かなければいけない。
例えばスノーピークの山井太さんが、まだ30代前半の娘・梨沙さんに社長の座を譲ったのは象徴的ですよね。潔く後進に道を開けながら、自分なりに楽しく活躍できることができれば理想的なのかもしれませんね。
「自分はもうオワコンだと思うことにする」
実は、僕はこの前Twitterで「これから僕は自分のことをオワコンだと思うことにします」とつぶやいたら、結構な数のリツイートをされたんです。
テレビの前でオリンピックを観戦して活躍する若者を見た時、「今の10〜30代がすごいのは明らかだ。問題は選手ではなく、開幕式や閉会式を運営した50~70代の側だ」と思った。そこで僕はもうすぐ50歳なので、「もう自分はオワコンだと思うことにする」と書いたのです。
ただしオワコンではあるけれど、人生100年時代なので、ここから先まだあと40年、50年ある。だとしたら、日本で課題なのは、やはり50代以降が若者に社会の運営を譲りながらも、自分たちは迷惑をかけずに、でもいまを楽しく生きられる「ポジティブオワコン」になっていくことなのかもしれない。
ただそれは言うのは簡単で、実行は難しい。この「ポジティブオワコン化」をどうやって促していくかが日本全体の課題かな、とも考えています。
BIJ編集部・常盤
「まだまだやれる」という気持ちを抑えて、次の世代に活躍の機会を譲ってもらうにはどうしたらいいのか。これは今の日本にとっては重要な課題かもしれません。また別の機会に、改めて考えてみたいテーマですね。
【音声フルバージョンの試聴はこちら】(再生時間:18分44秒)※クリックすると音声が流れます
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。