インドネシア・スラウェシ島のレアン・パニンゲ洞窟で発見された10代で亡くなったトアレアン人の遺骨。
University of Hasanuddin
- 研究者たちは7200年前の遺骨から得たDNAを分析し、これまで知られていなかった東南アジアの初期の現生人類の存在を明らかにした。
- この発見は、先史時代のトアレアン人に光を当てている。彼らの足取りは、1500年前からわからなくなっている。
約7200年前に17歳あるいは18歳で死亡した少女の遺骨から、これまで学術的には知られていなかった先史時代の人類の系譜が明らかになった。
インドネシア・スラウェシ島のレアン・パニンゲ(Leang Panninge)洞窟で発見されたことにちなんで名付けられた「レアン・パニンゲの遺骨」は、約1500年前に姿を消した狩猟採集民であるトアレアン(Toalean)人のものである可能性が高い。
この研究成果に関する論文が、2021年8月25日に査読付き学術誌「ネイチャー(Nature)」に掲載され、初期の現生人類の地理的な動きについての考察を提供している。
ワラセアを示す地図。黒い枠の拡大部分(右上)にレアン・パニンゲ洞窟の位置が示されている。
Kim Newman
謎に包まれたトアレアン人
トアレアン文化は考古学者にとって「謎に包まれたものだ」と、オーストラリアのグリフィス大学の考古学教授で今回の論文の共著者でもあるアダム・ブラム(Adam Brumm)はInsiderに宛てたメールで述べている。
トアレアン文化は「どこから現れたのかは分かっておらず、同じ島の他の採集文化とはまったく、あるいは限られた範囲でしか接触していなかったようだ」と彼は言う。トアレアン人は、スラウェシ島南西部の半島のごく一部に留まっていたと考えられている。
これは、古生物学者にとって非常に興味深いことだとブラムはニュースリリースで述べている。というのもスラウェシ島はワラセア(インドネシアの島々で構成された、大陸とつながったことが一度もない地域)の一部で、5万年前には初期の現生人類がユーラシアからオセアニアに移動する際の「飛び石」として利用していたからだ。
トアレアン人は、道具や複雑な形の矢じりを残していたが、DNAが採取できるような化石は「レアン・パニンゲの遺骨」の発見以前にはなかった。
「マロス尖頭器」と呼ばれる石製の矢じり。これはスラウェシ島南部に住んでいたトアレアン人の間で発展した典型的な技術複合の産物とされる。
Yinika L Perston
「この集団が何者であったのかは分からない」
7200年前の骨からDNAを抽出するのは骨の折れる作業だったが、それだけの価値はあったと論文の著者は声明で述べている。
遺伝物質の分析により、この遺骨は現代のパプアニューギニア人やオーストラリア先住民と共通の祖先を持っていることが明らかになった。その祖先は5万年前にワラセアに到達していたという。
今回の発見以前の仮説では、アジア系の人々がワラセアに入ってきたのは3500年前だと考えられていたと、ブラムはCNNに語っている。
レアン・パニンゲ遺跡での発掘調査の様子。
Hasanuddin University, Indonesia
しかし、このDNAからは、他の既知の集団とは一致しない遺伝子も検出された。このことから、これまで知られていなかった別の集団が、これまで考えられていたよりも早くワラセアに到達したものの、現代に子孫を残さなかったと考えられるという。
「その集団が何者であったのかは分からない。しかし、この『遺伝子の化石』には、現代や古代の人間には見られない特徴があった」と、エバーハルト・カール大学テュービンゲンの古遺伝学教授で、論文の共著者であるコジモ・ポス(Cosimo Posth)博士はInsiderに宛てたメールで述べている。
また、この遺骨からは絶滅したデニソワ人のDNAの痕跡も発見された。デニソワ人はネアンデルタール人に近い種で、シベリアやチベットでよく発見される古代の人類だ。このことにより、デニソワ人はこれまで考えられていたよりもはるかに遠くまで移動していたことが示唆されている。
ポスによると、トアレアン文化は長期的には発展しなかったという。
「この地域のトアレアン人は、後の人類の移動や混血によって入れ替わったと考えられ、『トアレアン文化の後継者はどうなったのか』という疑問が残る」とポスは述べている。
インドネシア・スラウェシ島南西部の半島にあるレアン・パニンゲ洞窟。
Leang Panninge Research Project
(翻訳:仲田文子、編集:Toshihiko Inoue)