撮影:今村拓馬
再生医療ベンチャー「セルソース」CEOの裙本理人(38)は、社会人になってから趣味でトライアスロンを始めた。起業を意識し始めたのは28歳、住友商事に入社して6年目だった。当初、裙本が所属していたトライアスロンの社会人チームには、多くの経営者がいた。チームの先輩の話を聞くうちに、裙本の中に「いずれ自分も独立を」と挑戦心が芽生える。
「セルソースという会社は、トライアスロンの縁から生まれた稀有な会社」と裙本はにこやかに言う。
法改正を機に退職、トライアスロン仲間と起業
トライアスロン仲間で医師の山川雅之と裙本。山川は自由診療領域の知識や資金面でも裙本を支えた。
提供:セルソース
創業の経緯にも、トライアスロンチームの仲間が深く関わる。医師の山川雅之(57、現筆頭株主、戦略顧問)だ。山川から再生医療の話を聞いた裙本は、事業の拡大と最速の上場にコミットし、山川と資本金を出し合って、2015年に創業する。
転機となった出来事はその前年、2014年の再生医療等安全性確保法(再生医療法)の施行だ。裙本は商社ビジネスの倣いで、「法改正はビジネスが大きく動くチャンス。この機会を逃してはならない」と強く思った。この法改正を機に、商社を退職。徹底して再生医療に関連する技術や市場環境を調べた。
裙本がまずビジネスの対象から外したのは、「細胞治療薬」。これは治験を必要とするため、莫大な初期投資がかかるからだ。一方で、対象としてふさわしそうだと目をつけたのが、患者自身の身体から細胞を抽出し、加工して患者に戻すという細胞加工の受託ビジネス。いわゆる医療機関業務のアウトソースであり、医療機関側のコストダウンにもつながることで、十分なニーズが見込めた。
加工のニーズが高いのが「脂肪由来幹細胞」だろうと裙本はアタリをつけた。美容や整形外科など自由診療領域の医療に詳しい医師の山川が、こう後押しした。
「脂肪由来幹細胞の加工には、細胞の輸送費の問題をはじめ事業化のための課題が山積しているけれど、潜在的な患者さんの数は多く、市場は大きい。原料として容易に手に入る脂肪由来幹細胞からスタートすべきだ」
非日常での達成感が一体感を生む
トライアスロン大会に出場する裙本。ゴールには、自転車だけでも180kmの距離を走破する必要がある。
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そこで裙本は課題解決のために、バイオビジネスを深く知る金島秀人(68、現最高技術顧問)に教えを乞うた。金島もまた、トライアスロン仲間の紹介で知り合った。金島は医学博士を持つ医師であり、シリコンバレーで30年超を過ごし、バイオベンチャーの立ち上げに参画した経験もある。金島のサポートもあり、裙本は再生医療のサービス化を阻む技術上の壁を一つずつクリアしていき、2015年の創業に漕ぎ着けた。
なぜ、トライアスロン人脈は、こんなにも協力的なのか?
そもそもトライアスロンのレースでは、競技に参加する人たちとはライバルというより仲間のような一体感が生まれやすいのだと裙本はいう。自転車を輸送し各地を転戦するだけでも資金がかかり、参戦には時間も体力も要する。開催地は五大陸にまたがり、ハワイや沖縄のような島で開催されることも多い。中でも「アイアンマン」というレースは、水泳が3.8km、自転車が180km、最後がフルマラソンと規定の距離が長い。
裙本は、トライアスロンのコミュニティで業種も年齢の違いも超え、フラットで開放的な関係性が生まれる理由をこう話す。
「レースは観光と違い、国内外の『深い田舎』をめぐる。いってみれば旅であり、非日常なんです。同じゴールを目指し過酷なレースを走り抜くと、達成感は格別で、『一緒の大会でゴールできて、もう最高!』っていうような仲間同士の一体感が生まれるんですよ」
再生医療分野のGoogle目指す
元Google日本法人代表の村上憲郎は、初対面で事業内容を聞くなり、即座に社外取締役のオファーを引き受けた。
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人との出会いや仲間との一体感を大事にする裙本は、「人財の輪」で会社を強くする。セルソース内の組織図に当たる「アロケーションマップ(人財割り当て表)」には、全社員の役割がそれぞれのマス目に一文で記されているのだが、社長である裙本の一番の役割は「未来のセルソースを創る人財集め」と明確だ。
元Google日本法人代表の村上憲郎(74)がセルソースの社外取締役に就いた時、IT業界きってのトップ経営者が設立まもないベンチャーの応援団になったことに注目が集まった。
村上は、東京・渋谷区のカフェで初めて対面した際、裙本のオファーを即時に引き受けたのだという。
「事業構想を聞いた時、ものすごくスケールする事業だという印象を持ちましたね。だから、業界の最初のユニコーンになろうという意味で、『再生医療分野のGoogleになろう』とお声がけしたんです。微笑みながら『なりたいですね』と答える裙本さんに、手堅く実績を積み重ねてきたことを踏まえ、着実な見通しの上でビジョンをお持ちなんだなと感じた。私の大風呂敷にも動じないところに、信頼感を感じたんです」(村上)
ソフィアバンク代表取締役の藤沢久美も、応援団の一人だ。初対面は藤沢のラジオ番組だったという。
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裙本は、シンクタンク・ソフィアバンク代表の藤沢久美(54)にも社外取締役に就任を打診した。藤沢は、複数の企業の社外取締役を引き受けていたため、最初は断った。藤沢は、それでも引き受けた理由をこう語る。
「お断りしても、裙本さんがあきらめずにアプローチして下さったからなんですが、初対面の時、とても自然体の人だと感じて、印象が良かったんですよ」
初対面は、藤沢のラジオ番組に裙本が出演した時だ。裙本は番組で「再生医療で財政赤字を削減できる医療モデルをつくる」という大きなビジョンを淡々と語っていた。
「私は『この人、ビッグな経営者になりそう』という期待感を感じました。収録後、等身大の課題や悩みをお聞きし、そのギャップに母性本能をくすぐられました。じゃあ、私がいろんな人を紹介しなきゃと思ったんです」(藤沢)
駆け引きせず、自分をさらけ出す
CFOの雨宮猛(写真左)、最高技術顧問の金島秀人(写真中央左)、メディカルコンプライアンス部長の花木博彦(写真右)らも、裙本に口説かれ、創業間もないベンチャーだったセルソースに入社を決めた。
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特にベンチャーを創業する初期段階において、経営者にとってもっとも重要な仕事が人材獲得だ。会社に招き入れたい相手が浮かんだら、自分より経験豊富で年上の人であっても、裙本は臆さずに体当たりする。
現在セルソースでCFOを務める雨宮猛(59)の時もそうだった。雨宮は、かつて伊藤忠商事から日本オンライン証券(現AUカブコム証券)に転じ、日本にはまだ根づいていなかったネット証券会社を当時最短記録で一部上場させた実績がある。雨宮は、裙本がセルソースCFO就任を自身に打診した折の様子をこう語る。
「私は面接される側ですから、普通なら対面の場で根掘り葉掘り質問されるのかなと思いますよね? なのに裙本は私には何も尋ねず、いきなり自分と自分の会社のプレゼンを始めたんです。『こういう事業をやっていくんだ』という気合いに押されましたよ」
新しい事業の柱として、医療機関の再生医療法規対応にまつわる支援ビジネスを裙本が着想した時、裙本自身がコンサルティングを受けていた花木博彦(52)が豊富な知識を持っていたことから、法規部門のまとめ役に適任だと考えた。花木が住む愛知県の自宅近くに裙本が出向いて居酒屋で熱く会社のビジョンを語る姿に「オジさんはつかまれた」と花木は言う。当時をこう振り返る。
「私はある程度年がいってからの転職ですから、迷いがない訳じゃなかったけれど、彼の夢に賭けてもいいかなと思えた。彼は衒(てら)いもなく、まっすぐ事業の夢を語っていましたから」(花木)
裙本は、「この人だ!」と思った人物には直球でアプローチする。それは社長としての当然のことをしているに過ぎないという。
「妥協なく思いを伝えに行きます。駆け引きとかはしないですよ。一緒に働きたいと思っていることを最初に伝え、自分のビジョンを話す。あとはストレートに全部自分をさらけ出すということ。それだけです」
実は裙本が起業への道を踏み出すきっかけを作ったトライアスロンの「チームのボス」とは、本田直之(レバレッジコンサルティング代表)なのだった。本田との出会いは、裙本にどんな影響を与えたのか?
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(文・古川雅子、写真・今村拓馬)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。