撮影:今村拓馬
2019年に東京証券取引所マザーズ市場に上場し、急成長する再生医療ベンチャー「セルソース」CEOの裙本理人(38)は、社長業の傍ら国内外のレースを転戦するトライアスロン競技者でもある。最近は陸上競技、サーフィン、ゴルフにも趣味を広げ、仕事も余暇もとことん楽しむ姿勢を貫く。社外メンターに学んだ「自由な生き方」を、独自に実践している。
趣味で出た陸上大会でいきなり金メダル
2019年にマレーシアで開催された「アジアマスターズ」では、陸上未経験ながら日本代表に選ばれ、アンカーを務めた。
提供:セルソース
「今は1日おきに10kmぐらいの頻度で走ってます。スマホに記録してるんですが……(記録アプリの画面を見せ)ほら、今月ももう、トータルで150kmを突破しました」
これは、裙本のトレーニングの話。ストイックさよりも、人生を楽しんでいる雰囲気が前面に表れている。社内には、「出張先にもシューズ持参で、朝からホテルの周りを走っていた」といった社長の「スポ根逸話」があふれている。
社員たちが最も驚いたのは、裙本が社内チャットで「海外で出た陸上の大会で金メダルを取ってきました!」と報告した時だ。会社が上場して、まだ1カ月ほどのタイミング。広報の髙松美里は、「朝、会社に出社したら、社長がいきなり『海外で金メダル取ってきた』って。嘘みたいな話ですよね」と笑う。
裙本が出場したのは、2019年12月末にマレーシアで開催された「アジアマスターズ」。100メートルずつ4人で走る4×100mリレーの35歳以上のクラスで、裙本は陸上未経験ながら、いきなり金メダルを獲得した。裙本は35歳以上の日本代表チームの1人として出場し、アンカーを務めた。練習時期は、会社を上場させるタイミングと完全に重なっていた。
仕事の手を抜かないが、人生も楽しむのがモットー。
「トライアスロンで出会った人たちの影響が大きいですね。彼らは皆、半端でなく優秀で、伸びやかで。僕にはスポーツを通じて知り合った経営者の社外メンターがたくさんいて、生き方の指針は、そうした方たちから学んできました」
と裙本は言う。
「本気の軸をブラさない」事業の絞り方
裙本もメンバーであるトライアスロンの社会人チーム「ALAPA」。代表を務める本田直之(左から3番目)は裙本に多大なる影響を与えてきたという。
提供:セルソース
裙本が最も影響を受けたのは、トライアスロンチーム「ALAPA」の代表を務める本田直之だ。裙本もこのチームに所属し、本田らと海外レースを転戦してきた。
本田はレバレッジコンサルティングという、経営コンサルティングと投資を行う会社を経営し、東京とハワイの二拠点居住を実践している。商社に10年間勤めた裙本は、「会社」という枠を飛び出す働き方、生き方に触れ、「既成概念をぶち壊された」。本田からは、「主体性を持って生きることの大切さ」を学んだと話す。
「働き方の概念って、組織の中に浸かっていると限定されてくる。私がいた商社(住友商事)も、社内の風通しは良かったんですが、同じ組織だけにいると、その中だけで出世していくというような考え方にどうしてもなってきてしまう。本田さんは、人生は自分でつくるんだと。僕が知らなかったような自由な働き方があるんだよと選択肢を提示してくれたんです」
商社を退職し経営者として船出した裙本は、全力で自分のエネルギーを投下できる仕事にターゲットを絞り、その軸をブラさない本田の姿勢に共鳴したという。
「流行り廃りだけで事業を決めたら、自分の本気度が目減りしてしまう。組織に身を置かず自分で会社を興すなら、社会にとってとことん意味のあることに本気で挑戦しようと思いました。僕にとっては、それが再生医療ビジネスだったんです。ナオさん(本田直之)と出会っていなければ、今の僕は絶対にありません」
営業に元Jリーガー、元フェンシング日本代表
セルソースでは、従来のような「先生」とMRの強い上下関係をつくらないようにしているという(写真はイメージです)。
Michael H / Getty Images
再生医療に軸を据え、「本気の挑戦」が始まった。だが、どんな事業でもゼロイチ段階の苦労はある。同社が一番苦労したのは、医療機関のネットワークの構築だった。
まずは2016年に、膝関節に炎症を起こす病気である「変形性膝関節症」、いわゆる「ひざ痛」の患者向けに整形外科領域での細胞等加工サービスから事業を始めた。これだけでも、国内の自覚症状がある患者が約780万人。画像診断などで疑いが認められる潜在的な患者数は約2530万人と推定されている。
だが、会社の名は医療業界に全く知られておらず、初めは裙本が単独で1件ずつ医療機関を訪ね、地道に契約を取り付けていった。翌年になると、1カ月あたりの医療機関の契約件数は、3件、5件と徐々に増え始めた。営業担当者を採用するにあたり、裙本は医療業界の常識にとらわれず、医師とのコミュニケーションを「丁寧だが自然体で」できる人財を採用した。つまり、製薬会社でいう「MR」的ではない人財を求めたのだ。
「僕は医師に情報を提供する従来からのMRは、いわゆる『先生』との関係性が不自然だと考えました。必要以上に『偉い人』に迎合するような関係性は、長続きしないと思うのです。人と人とのコミュニケーションという原点に立ち返って、僕らは素直に、自分たちが持つサービスの価値を自信を持ってお伝えする営業活動でありたいと考えています」
裙本は、営業を採用する際は、医療・製薬業界での経験は問わない。これまでに採用した営業担当者は、商社出身者、元Jリーガー、元フェンシングの日本代表……と、広いビジネスに携わってきた人やスポーツ選手の比率が高めだ。特に、事業の入り口が整形外科周りだったこともあり、怪我と向き合うスポーツ選手は、医師との会話に共通点もあった。
「僕らのビジョンに共感して、セルソースそのものを気に入ってくださる応援団の医療機関を増やしていったんです。先生方が『ファン』になると、その先生方が患者さんへも治療法を勧めてくれるようになります。僕らはこうした営業スタイルを『ファン・マーケティング』と呼んでいます」
「本当に大切なことは、実は少ない」
同社は2020年に、不妊治療を目的とした血液由来細胞の加工サービスを開始。また2021年からは、順天堂大学と脳梗塞後遺症やパーキンソン病の治療についての共同研究を開始している。大阪大学の呼吸器内科とも肺の生活習慣病とも言われている「COPD」(慢性閉塞性肺疾患)を対象とする共同研究を開始した。同社が対象とする診療領域は、整形外科、形成外科、産科婦人科、脳神経外内科、呼吸器内科……と広がりつつある。
狙うのは、みんなのお金で賄う保険診療制度の外側の「自由診療」の領域だと裙本は明言している。医療費高騰を放置すれば、相互扶助で支える保険診療制度はいずれ財政赤字を悪化させ限界が来ると、裙本は危惧している。
自由診療領域の価値向上やコストの適正化が、大きな社会課題を解決する鍵になる—— 。裙本はそこに社会的意義を見出している。だからこそ、患者の生活の質を上げる医療に関しては、民間の保険も絡めながら「妥当なコストで、患者が納得する価格の自由診療」を推し進めていくのだという。
撮影:今村拓馬
「みんなの助け合いで患者さんの命を支える国民皆保険制度は、ものすごい大事。国の根幹となる制度で、絶対になくしちゃいけないものです。国力を保つためにも、本当に命に関わる病気になった人は、国が助けていくべきです。
一方で、膝の動きをよくするようなQOL(生活の質)の向上にまつわる領域では、自由診療を充実させることで、私たちの健康を長く保つことができる。ひいては医療費の膨張を抑えることにもつながると思うんです。
国の医療を支えるために、今重要なことは、保険診療と自由診療の両輪でハイブリットな医療を推進することです」
ビジョンを語る裙本の言葉は、まっすぐだ。
こうした大きな考えのもと、自分が定めた「ここだけは、絶対」というテーマに、日々最善を尽くす。裙本は常に明確な目的意識のもと、入念に思考を研ぎ澄まし、軽やかに走り続ける。
「人間は大切なものはたくさんあると思いがちですよね。でも、僕はこう思っています。『本当に大切なものは、実は少ない』と」
(敬称略・完)
(文・古川雅子、写真・今村拓馬)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。