火星の衛星「フォボス」に向かう、MMXのイメージ画像。
出典:宇宙航空研究開発機構
はやぶさ2が小惑星「リュウグウ」から帰還してもうすぐ1年。
日本の太陽系探査計画における次の大きなステップとして、火星の「衛星」への探査計画「MMX(Martian Moons eXploration)」がある。
JAXAは、8月19日、2024年に打ち上げを計画している「MMX」のミッションで着陸を予定している火星の衛星「フォボス」から、火星の物質を採取できる可能性があると発表した。
フォボスのサンプルから火星の物質が発見されれば、NASAとESA(欧州宇宙機関)が共同で実施する2030年代の火星物質サンプルリターンミッション(MSR)に先駆けて、世界で初めて火星の物質を地球へと持ち帰ることになる。
またJAXAは、MMXによって火星の表面物質から「生命が存在した痕跡」を発見する可能性もあるとした。
果たしてMMXは、人類にいったい何をもたらすことになるのだろうか。その計画の全貌を見ていこう。
はやぶさとは異なる手法で挑むMMXの計画とは
2024年に打上げられたあと、1年かけて火星に到達し、その後3年の探査を経て2029年に地球へと帰還を果たす計画だ。
出典:宇宙航空研究開発機構
火星衛星探査機MMXは、JAXA宇宙科学研究所が2024年の打ち上げを目指す探査機で、はやぶさ、はやぶさ2に続く、JAXAの小天体探査戦略の中核を担うミッションだ。
2024年9月に種子島宇宙センターから現在開発中のH3ロケットで打ち上げられ、約1年かけて火星圏に到達する。その後、およそ3年かけて火星の衛星「フォボス」を観測、着陸しサンプルを採取する計画だ。
着陸地点の決定にあたっては、初めて深宇宙でスーパーハイビジョンカメラによる火星の衛星を撮影する見込みとなっている。「はやぶさ2」が撮影した小惑星「リュウグウ」の様子が衝撃的であったように、見たこともない景色を見せてくれる期待が高い。
フォボスからサンプルを採取する方法は、はやぶさや、はやぶさ2とは異なる。
というのも、フォボスは小惑星「イトカワ」や「リュウグウ」よりも大きく(フォボス:直径約27km)、重力も強い。はやぶさやはやぶさ2のように、表面に一瞬舞い降りてすぐに浮上するサンプルリターン(タッチダウン)方式ではなく、しっかりと着陸して時間をかけて採取する方式を取らざるを得ない。
そのため、MMXでは、探査機本体が着陸して地中に筒状の採取装置「コアラー」を打ち込み、サンプルを採取する方式を取る。1カ所あたり10g、2カ所からサンプルを採取する計画で、最大20gのサンプルが採取することになる。
また、JAXAが開発するコアラーとは別に、NASAが提供する窒素ガスを吹き付けるタイプの採取装置を着陸脚の1つに取り付け、表面の物質も採取する予定だ。
「火星の2つの衛星はどうやった誕生したのか?」の真相へ
「巨大衝突説」(左上)と「獲得説」(右下)のイメージ。
出典:宇宙航空研究開発機構
MMXの目標は、火星の2つの衛星フォボスとダイモスの成り立ちを解き明かすこと。
この2つの天体が火星の衛星となった経緯として、2つの可能性が考えられている。
1つは、宇宙のはるか遠くからやってきた小惑星が火星の重力に捉えられて衛星となった「獲得説」。もう1つが火星の表面に他の天体が衝突して大爆発が起き、巻き上げられた岩石が火星の周囲でふたたび集積して衛星になった「巨大衝突説」だ。
MMXがサンプルを無事に持ち帰ることができれば、その真相解明に1歩近づくことになる。
こういった小天体の由来を探っていく行為は、火星や地球へ、太陽系の遠い場所から水や有機物が運ばれてきた過程を解明することともつながっている。MMXは、はやぶさシリーズが打ち出した「生命の起源に迫る」という目標を継承するミッションでもあるのだ。
新たに浮上した「火星の生命の痕跡」発見の可能性
火星のまわりを周回しているNASAの探査機「MRO」が撮影した「フォボス」。
出典:NASA
2019年、JAXAは「仮に現在も火星表面に微生物が存在して、それをMMXミッションで採取したサンプルが持ち帰ってしまう確率」を算出した。
火星の「衛星」を探査するのに、なぜ火星表面に存在する微生物を持ち帰る可能性を計算するのかと、不思議に思う人もいるかも知れない。実は、フォボス、ダイモス、どちらの天体にも、過去に火星に隕石が衝突した際に巻き上げられた物質が届いている可能性があると考えられている。
こうしてフォボスやダイモスに渡った微生物が、万が一MMXによって採取され、地球に持ち込まれるようなことがあり得るのなら、探査機全体を完全に滅菌するなり、完全に封じ込めて地球上のものと接触しないようにするなりの対策が必要になる。
こういった対策はあまりにも厳格であり、ミッションの実施可能性にも大きく影響を及ぼしてしまう。
JAXAの計算の結果、生きている微生物を持ち込む可能性はまずないだろう、ということが分かった。しかしその一方、「死んだ微生物」であれば1個以上、採集する可能性が残された。
これは火星に生命が存在する可能性をかなり高めに見積もった(未知の微生物汚染への対策を厳しく考えた)結果であるため、MMXが火星の微生物を持ち帰るという保証があるわけではない。
ただし、この計算結果によって、MMXのミッションに新たな価値が生まれた。
「火星の衛星」だけでなく、「火星そのもの」の物質を同時に採取できる可能性だ。
0.01gのサンプルに残される生命の痕跡
MMXのミッションイメージの動画。
出典:宇宙航空研究開発機構
2021年8月13日付けの米科学誌Scienceに、「Searching for life on Mars and its moons(火星とその衛星での生命探査)」という論文が掲載された。
著者の一人は、はやぶさ2のサンプルのキュレーションチームとしても活躍するJAXA宇宙科学研究所の臼井寛裕教授だ。
臼井教授らは、MMXのサンプルから、火星の微生物、または生命の痕跡が発見される可能性を提唱している。
火星への隕石衝突でフォボス表面に運ばれた物質は、フォボス表面の物質の約0.1%と見積もられている。MMXの採取サンプル量に当てはめれば、10g中火星由来の物質は0.01g。数にすると、粒径0.3mmほどの粒子が30粒子ほど含まれる計算となる。
残念ながら、この30粒子に、死んだ微生物「そのもの」が含まれる期待は薄い。
そもそも火星表面は、地球で言えば南極のように寒冷で、生物が繁殖しにくく、乾燥した環境だ。そこから隕石衝突のような極端な現象でフォボスまで吹き飛ばされ、フォボス本来の表土と混ざった物質をスプーン一杯程度すくいとった中に、微生物そのものが見つかるというのは幸運すぎる。
ただし、過去の「生命の痕跡」ならば、もう少し期待ができる。
生命の痕跡(バイオシグネチャー)とは、例えば「生命に特徴的な有機分子」「DNAの破片」などがある。ただし、DNAといっても、目で見えるような明確なものではない。JAXA宇宙科学研究所の菅原春菜特任助教によれば、「DNAを構成していた糖などの物質の一部」といったものだという。
火星の生命の痕跡「SHIGAI」を持ち帰れるか
2021年2月に火星に着陸し、今まさに探査を進めているパーサヴィアランス。パーサヴィアランスが採取した火星のサンプルは、2030年代にESAとの共同プロジェクトで地球へと持ち帰られる予定だ。
出典:NASA/JPL-Caltech/MSSS
臼井教授らは、MMXサンプルから検出される可能性のある、火星の生命の痕跡を「SHIGAI(Sterilized and Harshly Irradiated Genes, and Ancient Imprints)」と名付けた。「シガイ」という言葉から死んだ微生物そのものを想像してしまうが、どちらかといえばその「痕跡」のほうに力点が置かれているようだ。
実際にSHIGAIを見出すには、MMXがサンプルを持ち帰る予定のサンプルから、量にして1000分の1ほどしかない火星由来の粒子を見つけ出し、さらにそれが生命と関連するかどうかを調べ尽くすという難易度の高い作業が必要になる。
少なくとも、微細な粒子を判別し、分析する技術を現在よりもさらに発展させておく必要があることは間違いないだろう。
地球の大気に触れていない、フレッシュな火星の物質がMMXサンプルから見つかれば、それだけでも大きな発見。そこからさらに生命との関連する物質まで発見できれば、素晴らしい成果となる。
火星の生命の痕跡の探査といえば、現在NASAの火星探査車「パーサヴィアランス」が取り組んでいる太陽系探査の大命題だ。
パーサヴィアランスが採取する火星表面のサンプルは、ESAの協力の元で2030年代に帰還する計画だ。それに先駆けてMMXが生命と関連する物質をフォボスのサンプルから発見できれば、日米サンプルの比較など多角的な分析が可能になる。
これまではやぶさ、はやぶさ2と小惑星サンプルリターンというオリジナリティを追求してきた日本の太陽系探査が、火星の生命という太陽系探査のメインストリームにつながってくることになる。MMXの新たな目標は、その可能性を持っているのだ。
(文・秋山文野)