想像してみてほしい。リモートワークを続けて1年5カ月、毎日8時間以上ラップトップを見つめ続け、同僚とは画面越しにやりとりするしかないという状態を。
ここで大金持ちのIT企業CEOが、自信満々で発表する。顔面数センチの距離の画面を見つめる苦役から当社があなたを解放してさしあげます、ついに皆さんは同僚と完全バーチャルの環境で交流できるようになりますよ、と。もし皆がそういう世界を待ち望んでいたら、と想像してみてほしい。
フェイスブック(Facebook)が8月26日に発表したベータ版「Horizon Workrooms(ホライゾン・ワークルームズ)」は、同社のバーチャルリアリティへの取り組みを一歩先へ進めたものだ。マーク・ザッカーバーグCEO(Mark Zuckerberg)の目指す「メタバース」へ向けて、これで一歩前進したことになる。
フェイスブックは8月26日 Horizon Workroomsを公開した。
フェイスブック提供
メタバースとは、セカンドライフやマインクラフトといったゲームのようなデジタルソーシャルワールドを指す用語だ。遠く離れた同僚とテレビ会議をするときの制約は、VRゴーグルをかければ消える。同じWorkroomに入室すれば、リアルに会ったときと同じことができるようになるのだ。唯一の違いは、Workroomに集まるのは人ではなく、アニメ風アバターだという点だ。
ザッカーバーグはCBSのインタビューにこう答えている。「携帯電話やPC画面でインターネットを見るのではなく、参加型インターネットなんです。インターネットの中に入れるようになるんです」
フェイスブックがWorkroomsで解決すると謳う問題は現実に存在する。職場でのストレスは、推定で年間1250億ドル(約13兆7500億円)もアメリカの医療費を押し上げているとされる。
2021年には、慢性的なZoom疲れ、堅苦しい交流、プライベートと仕事の境が曖昧であることなどから、業界を問わずビジネスパーソンの燃え尽き症候群の問題が表面化した。それなのにこれをVRゴーグルで解決するというのは、問題を理解していないうえに事態を余計に複雑にするだけだ。
Workroomsが実現するようなインクルーシブで完全バーチャルな環境にもメリットがある可能性を示す研究はある。しかし専門家によると、かさばるガジェットを使って意図的に人を現実世界と切り離しても、一人寂しく画面ばかり見つめて過重労働する今の社会と何ら変わりはない。変わることなど永遠にないかもしれない。
Insiderはフェイスブックにコメントを求めたが、回答は得られていない。
「VRを新形態のオフィスと捉えて、社員を9時から5時まで在席させるようなことは絶対にあってはならない」と言うのは、バーチャルイベントのプラットフォームを運営するエアミート(Airmeet)のラリット・マンガルCEO(Lalit Mangal)だ。マンガルはこう続ける。
「社員がVRで行われる会議に終日出席しなければならないとなると、社員同士の関係やコラボレーションには有害でしょうね」
テクノロジーで人の問題は解決できない
Horizon Workroomsの発表の中で、フェイスブックは「ブレインストーミングをするにしても、一堂に会するか否かで全然違う」とする。寝室から電話会議に参加したことがある人なら、これは納得できるはずだ。
しかし集団力学に詳しいリーハイ大学のドミニク・パッカー教授(Dominic Packer、社会心理学)によると、人と人がより良く交流するうえでは、テクノロジーを積極的に利用する必要性は必ずしもない。
まず文化レベルを考慮して、物静かな人に発言させ、普段から発言の多い人は聞くように習慣を整え、全員がちゃんと参加できていると感じてもらうことが肝心だ。パッカー教授は言う。
「実際にバーチャル空間で社会生活を営む場合でも、リアルで経験する数々の問題が消えてなくなるわけではありません。バーチャル空間に場所を移して、多少目新しい名前で呼ばれるようになるだけです」
パッカー教授は共著『The Power of Us』(未発売)の中で、チームがより良く協力するにはどうすればよいかを解き明かしている。
教授によれば、効果的なコラボレーションは、テクノロジーではなくリーダーシップの課題と考えればずっと楽になるという。チームの成果を高める鍵は仲間意識にあり、仲間意識を持たせるのは難しいことではない。コインを投げて「あなたは青チーム、あの人たちと一緒ですよ」と伝えるだけで、またはある研究によれば音楽に合わせて一緒に踊ってもらうだけでも仲間意識は育める。
「注意すべきは、ここでテクノロジーに頼らないということです。管理職がリーダーシップを発揮して対応すべきことですから」とパッカー教授は言う。
バランスが大事
確かにテクノロジー好きの間でも、フェイスブックの新プラットフォームの、まるで映画『マトリックス』のようなVRを一日中装着することがあるべき最終形ではないと考える人もいる。
エアミートのマンガルCEOも、活用できたとしてもせいぜい、ただのビデオ会議よりはリモート勤務社員同士がお互いを感じやすくなる程度だと見ている。
しかしマンガルはフェイスブックの新製品に対しては非常に楽観的な立場だ。「リモートワークがニューノーマルとなる中、VRが採用される可能性は広がりました」と言う。
日々の業務にはZoomやGoogle Meetを活用し、四半期に一度の合宿にはWorkroomsのようなメタバースを使うようになるかもしれない。VRで過ごす時間は最小限になるだろう。
しかしこのシナリオでさえ、ほとんどの企業にとって現実味があるとは言えない。Workroomsと互換性のあるヘッドセット「Oculus Quest 2」は300ドルする。つまり数百人規模の企業の場合、1000万円規模の投資になるのだ。さらに眼精疲労、頭痛、イライラ、吐き気など、VRで会議をすることで生じる全体的な不快感もつきまとうので、採否は実用性ではなく倫理の問題になってくるとマンガルは指摘し、こう付け加える。
「VRを使うと、気持ち悪くなったり、歪みを感じたりすることが知られています。コラボレーションの新基準とするなら、VRは人と人との絆、快適性、受容という3項目で基準を満たす必要があります」
(翻訳・カイザー真紀子、編集・常盤亜由子)
[原文:What Mark Zuckerberg doesn't seem to understand about remote work]