東京大学とPwCジャパングループが東大の学生向けに実施している「AI経営寄付講座」。コロナが長引く中でオンライン講座となったが応募者400人超の人気講座になっている。
写真提供:PwC Japanグループ
東京大学とPwCジャパングループが、6月から同大学院工学系研究科で学生向けに実施している「AI経営寄付講座」が、最終応募者438名を集めるなど、東大生から注目を集めている。秋には一般社会人向けの講座も開講を予定する。
AI分野研究の第一人者のひとりとして知られる東大大学院の松尾豊教授らとともに、同講座の特別講師を務めているのが、PwCコンサルティング マネージングディレクターの馬渕邦美氏だ。
馬渕氏は、かつて米国ソーシャルメディアプラットフォーマーの日本法人の幹部として、テックジャイアントのビジネスを内側から見てきたという異色の経歴を持つ。
馬渕氏は今、日本企業が世界で勝っていくには、AI経営の視点が必要だ、と訴える。そもそも「AI経営」とは何か。そして、世界のトップ企業はテクノロジーをどう活用しているのか。「DXの先」の姿を聞く。
世界の「時価総額のトップ級」テックジャイアントのAI経営
PwCコンサルティング マネージングディレクターの馬渕邦美氏。
撮影:竹井俊晴
—— 今、多くのビジネスパーソンが日本の大企業が地盤沈下している、という感覚を持っています。PwCジャパングループが提唱している「AI経営」の背景にも同じ危機感があるのでしょうか。
馬渕:そうです。ご承知のように今、世界の時価総額のトップに君臨するのはいずれも、テックジャイアントと呼ばれるアメリカ企業です。
彼らはこの新型コロナ感染症拡大が進む社会で、むしろ業績を伸ばし、成長を続けている。私自身も前職はそのテックジャイアントに在籍していたことがありますので、彼らがどれだけAIを使い倒しているのか、肌身に感じています。
(技術力だけではなく)AIの活用が、彼らのエクスポネンシャル(指数関数的)な成長を支えているんです。
この約30年での時価総額トップ企業の変遷。
出典:PwC Japanグループ資料より
馬渕:例えば、テックジャイアントでは、(広告などの)売り上げ予測も、ダッシュボードを見ながら立てていきます。今どれぐらいマーケティングに投資しているのか、売り上げ状況に関するどのようなデータが共有されているのか。
テンプレートをもとに、かなり正確な分析数字が出せるようになっている。
ボードミーティング(経営幹部の会議)も、経営企画の人たちが、長々とパワーポイントで説明して、そこから経営幹部が話し合う —— というようなことは、しません。
全員がダッシュボードを見て、今後のシミュレーションもした上で会議に臨むので、すぐに具体的なアクションプランを話し合えます。
このようにAIを適切に使っていくことで業務効率が上がり、仕事のやり方も変わる。「データドリブンな企業経営」を、息を吸うように取り入れている企業はスピード感が全く違います。
多くの企業が「バックミラーを見て運転する」状況に陥っている
Shutterstock
馬渕:こう言うとよく「データだけじゃだめなんですか?」と聞かれます。
経営データに、さらにAIを掛け合わせることで、シミュレーションができる。これが大事です。
過去のデータの積み重ねだけを見るのは、「バックミラーだけを見て操縦するようなもの」です。データをもとに、将来予測をすることで初めて、前を向いて計器を見ながら操縦できる。
事前にシミュレーションをしていれば、かじ取りもラクにできます。
今は経済のあり方もすごく変わってきている。
撮影:竹井俊晴
大きくスケールするような新しい産業は簡単には生まれません。
テックジャイアントはイノベーションを起こし、全く新しいものを創造しているように見えますが、(一部の企業は)言ってみれば「既存メディアの広告費をデジタルに変換」しているようなものです。つまり、既存の(伝統的な)ビジネスを壊した先に、新しいビジネスを見い出している。
ただしそこでは、すべてがデータドリブンであり、AIドリブンです。
日本の産業を復興させるには、まさにそういう領域を、(日本企業が)やっていかなければならない。DX(デジタルトランスフォーメーション)の本質は、単にアナログをデジタルに置き換えるということではなく、世界で成長できるビジネスモデルにも作り変えられるということです。
馬渕氏が提唱する「AI経営」の全体像。事業からバックオフィスまで、それぞれの領域で、それぞれ個別のAIサービスを使って分析と効率化を進める。(当たり前だが)全体像として「巨大な賢いAIがある」というわけではない、とも説明する。
出典:PwC Japanグループ資料より
—— 日本企業の経営におけるAI活用は今、どのくらい進んでいるのでしょうか?
馬渕:データアナリティクスからAIを活用していく段階のグラデーションでいうと、ものすごく活用している企業もあるし、全然できていないところもあります。
二極化しているのは日本も米国も同じですが、日本企業の多くがまだ「データを整える段階」にある一方で、米国企業は早くも「データからビジネスインサイトを獲得していくこと」に注力し始めていると感じます。
言い換えれば、米国の経営者は、「AIで自分たちのビジネスをどう変えていくか」という発想になっている。
いかにビジネスモデルを作っていくのか、AIドリブンでROI(Return On Investment、投資収益率)を策定していくかというところにまで、軸足が置かれています。
日米の企業の、「何のためにAIを使うのか」という目的意識の違いが、ここに端的に表れていると思います。
「2020年AI予測」レポートで、「AI活用におけるデータに関連する2020年の優先課題はどれか?」を尋ねた設問から、日米企業のAI活用の差が読み取れる。
出典:PwC Japanグループ資料より
—— 日本でAI活用が進んでいる産業はどんなものがありますか?
馬渕:日本で比較的進んでいるのが、製造現場でのAIの活用です。いわゆる匠(たくみ)の技をいかにデータ化して伝承するか。その膨大なデータ量を処理するのにAIが用いられています。
今まで人が持っていた経験や勘と呼ばれていたものを、AIに置き換えていくことはもちろん大切です。
が、一方で産業そのものが基盤から変わってくることもある。そうした部分については、AIで将来的な予測(シミュレーション)をしていくことも大切です。
経営を考える上では、両軸が必要だと思います。
経団連の「AI-Ready化ガイドライン」に照らすと、日本企業の多くが該当するのは1や2という。一方、テックジャイアントはレベル5、そのほかグローバル大手企業もレベル4水準が増えている、と馬渕氏。
出典:日本経済団体連合会の資料「AI-Ready化ガイドライン」より
——「AI経営」には、既存のビジネスを効率化し、AIを前提としたビジネスの作り方を取り入れていくという側面と、経営判断にAIの分析を用いる側面の両面があると。
馬渕:経営判断になぜAIが必要になってきているのかというと、こういう話があります。
たとえば今、ファイナンスだけをとっても、損益計算書や貸借対照表をリアルタイムに作っていくところから、キャッシュフローや、M&A(事業買収)のバリュエーション(企業価値の評価)の予測まで、AIの活用範囲は本当に広くなっています。
以前は中長期的に先を見通せる事業領域だったものが、短いビジネスサイクルに変わってきていたり、M&Aが加速していたりもします。
近年では、事業の中にSDGsの視点をどう位置づけて数値化するか、複数存在するステイクホルダーそれぞれに配慮する(マルチステイクホルダー)にはどう対応するかなどもあります。
経営判断のための情報量が圧倒的に増えて、さらに複雑化しているのです。
CFOを取り巻く前提の変化をまとめた馬渕氏の資料。こうした話も、東大の寄附講座では扱っている。
出典:PwC Japanグループ資料より
これらをCFO(最高財務責任者)がひとりで担うのは、すでに難しい。データ量が増えすぎて、「人間が数字を把握できる限界にきている」ということです。
とはいえ多くの企業では、何からどうやってAIを取り入れていけばいいかわからない。そこで我々が伴走する際は、デザイン思考を取り入れ、今後のロードマップを決めていくところから始めます。
ビジョンもないまま、いきなりデータ基盤を作ってはいけません。失敗するDXの典型になってしまいます。
(文・太田百合子、聞き手・伊藤有、撮影・竹井俊晴)
馬渕邦美(まぶちくによし):PwCコンサルティング合同会社マネージングディレクター。大学卒業後、米国のエージェンシー勤務を経て、デジタルエージェンシーのスタートアップを起業。事業を拡大しバイアウトした後、米国のメガ・エージェンシー・グループの日本代表に転身。米国ソーシャルプラットフォーマーのシニアマネージメント職を経て現職。経営、マーケティング、エマージングテクノロジーを専門とする。