女性だからという理由で、家事育児の中心となる社会に違和感を覚えた。
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私は2021年3月に、20年あまり続けた会社員生活を離れ、現在は兼業主夫として家事を“主体”として、担当しています。
妻が専業主婦だった頃にも、短い期間ながら家事の“主体”になったことが何度かありましたが、今つくづく思うのが、当時の家事体験と、主夫としての現在の家事体験は、全く別ものだということです。
日本の多くの家庭で、女性という理由だけで妻が家事育児の“主体”になってしまう“おかしさ”。これが、なし崩し的に、あるいは無意識的に受け入れられてしまっている状況に、より強く矛盾を感じるようになりました。
仕事の後に病院通い、深夜2時帰宅の「家事」
自分が会社員で妻が専業主婦だった頃、大変だった「家事の記憶」として残っているのが、今から13年前、双子の次男次女が生まれた直後のおよそ1週間です。
母胎で様態が急変し心停止状態になった次女は、一命はとりとめたものの、生まれてすぐ救急車に乗せられ、医療センターのNICUに運ばれました。
当時、私は午後10時前に帰宅することはないほど忙しく働いていましたが、その日から毎晩、車で片道30分以上かかるNICUへの訪問が日課に加わることとなりました。当然、妻は入院中です。
帰宅して食事を済ませると妻の入院先に向かい、そこからさらに車を走らせて次女のいるNICUへ。医師や看護師と話をして帰宅する頃には深夜2時すぎ。それから自分の身の回りのことを終えて就寝し、翌日は通常通り出社です。
深夜の運転中にはしばしば強い眠気に襲われた。自分一人のための家事、それすらも多忙の中では必死だ。
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深夜の運転中にはしばしば強い眠気に襲われました。眠気を振り払うため車の中で必死に大きな声で歌っていたところ、帰宅後のうがいで喉から出血しているのに気づいたこともありました。
就学前だった上の子たちは実家に預けていたので、家事は自分の分だけでしたが、洗濯物を洗ったり干したりするだけでも気が滅入りました。
自身が“主体”として家事に携わった経験は、この1週間以外にも、家族が先に帰省した後に一人自宅に残っていた期間や、大学入学から結婚前までの一人暮らし約8年などがあります。
ただ、これらの時に行っていたのは自分一人分の家事です。“家事”の主体には違いありませんが、自分の許容範囲内であれば好きなようにできます。
部屋が汚れていたとしても、食事が連日インスタントラーメンだったとしても、誰かから文句を言われたりはしません。また、洗濯や食事、食器洗いなども一人分の量で済みます。
次女が入院しているNICUに通うことができたのも、自分一人だけの家事しか必要なかったことが大きな要因です。それですら、当時はとても負担に感じました。
家事、子育て、仕事のハードさを初めて実感
家族の分の家事もするようになった今、家事育児に加え仕事が加わる大変さを実感した。
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しかし今、兼業主夫として行っている家事は、一人暮らしの時に行っていたそれとは全く別物です。
まず、分量が違います。洗濯物も食事も、毎日家族6人分。子どもの部活があった翌日などは、洗濯機を2度、3度回すこともあります。
家族はそれぞれ好き嫌いが異なるので、毎日献立に悩まされます。シャンプーの詰め替えやトイレットペーパーの補充といった“名もなき家事”も日々発生します。“主体”として家事に携わる大変さは、一人暮らしの時の比ではありません。
そうは言っても、私が妻と家事の“主体”を交代したのは子どもたちが大きくなってからです。
子どもが幼少期で何かと手がかかる場合は、さらに育児が加わります。そうなると、大変さが今とは別次元に跳ね上がることは容易に想像できます。
そんな状況で仕事もするとなると、それがたとえ短時間のパートタイムであったとしても、相当の覚悟が必要です。家事と子育てに仕事が加わることの大変さは、兼業主夫として家族全員の家事を“主体”として切り盛りするようになって、初めて実感することができたと思います。
家事育児負担が女性であることへの鈍感さ
「主体」として家族の家事をしたことがない男性と当たり前かのように家事育児の「主体」になる女性。
撮影:今村拓馬
多くの家庭において家事育児の負担が女性に偏っていることは、既に社会的な問題として認識されていることです。しかし、多くの管理職層や夫たちは、その問題に鈍感であり続けてきました。
管理職層や夫たちの中には一人暮らしの経験者もいると思います。ある程度は、家事や育児の補佐をしたこともあるかもしれません。しかし、自らが家族全員の家事や育児の“主体”となる経験をしている人は、決して多くないはずです。
一方で妻たちも、小さいころから性別役割分業が当たり前の家庭環境で育ってきた人が、少なくありません。そのため、自らが家族全員の家事育児の“主体”となることに疑問を感じることなく、自然と引き受ける流れが出来上がっています。
女性という理由だけで妻が家事育児の“主体”になってしまう“おかしさ”が、なし崩し的に、あるいは無意識的に受け入れられてしまっている状況が、今も日本中の家庭で見られます。
見える圧力、見えない圧力
見えない圧力によって、無意識のうちに自らのキャリアプランを選択する女性たちも多い。
撮影:今村拓馬
日本社会は、既に3分の2が共働き世帯です。しかしその大方の家庭では、妻だけが仕事と家事育児のバランスを取っています。
妻のスケジュールは、かなりの部分が既に家事や育児で埋まっており、仕事は空いた時間でしなければなりません。それは顕在化している、目に“見える圧力”です。
そんな“見える圧力”の存在が、これまで人々の中に刷り込まれてきた性別役割分業意識によって、まるで空気のように違和感なく、当たり前に受け入れられてしまっています。
そして、さらに厄介なのは、目に“見えない圧力”の存在です。それは、真摯に自らの置かれている状況を受け入れようと努めている人ほど、無意識に影響を受けてしまっている圧力です。
家事育児を“主体”として引き受けることを刷り込まれてきた妻は、自分自身のキャリアプランにおいて、無意識のうちに、家事育児に相応の工数と労力が取られることを前提に選択しています。
そのため第一線でのキャリアをあきらめたり、雇用形態をパートタイマーに変更したり、管理職のような、より責任や業務負荷のかかる職務とは距離を取ろうとしがちです。
もちろん、中には心から家事育児の“主体”となることを望んでいる人もいますし、管理職のような責任の重い役割は担いたくないと思っている人もいます。
それらの意志もまた、当然に尊重されるべきです。しかし、小さいころから性別役割分業が当たり前として刷り込まれてきたことで、自分でも気づかないうちに、家事育児の“主体”となることを前提としたキャリア選択をしてしまっている人も少なからず存在するのです。
見えない圧力がかける「心のブレーキ」に気づこう
夫婦互いに背負う「見えない圧力」を知ることが大切だ。
撮影:今村拓馬
統計などで妻の多くが短時間勤務の仕事を望んでいる、あるいは管理職を望まないという結果を見ることがありますが、心からそう望んでいるケースもあれば、家事や育児などの負担を前提に、無意識のうちに本来の希望をあきらめて選択してしまっているケースもあります。
そういう意味で、妻たちが望む働き方は顕在的ニーズと潜在的ニーズの二重構造になっていると言えます。
一方、同様の“見えない圧力”は、夫側にもあります。妻が家事育児の“主体”となることを刷り込まれて育ってきたように、夫は“主体”として家計収入を稼がなければならないという性別役割分業意識を刷り込まれてきました。
男性だからという理由だけで、家計収入の“主体”であるべき、大黒柱であるべき、という家族や世間から向けられる視線が“見えない圧力”になると、体を壊してしまうほど仕事で頑張りすぎてしまったり、家事育児への意欲にブレーキをかけてしまったりする一因になりえます。
ただ、賃金の伸び悩みが指摘される中、夫だけでは家計収入を賄いきれず、家計を支えるために妻が働きに出ざるを得なくなっている家庭は少なくありません。
それらの家庭においては、家事育児の“主体”である妻が、家計収入の獲得においても“主体”として一翼を担っています。
お互いの見えない圧力は何か
収入の多寡が、家事育児の負担度合いと比例する訳ではないことは、『「年収低い方が家事をやるべき」論が、根本から間違っている理由 』にて指摘した通りです。
大切なのは、夫婦が互いに背負っている“見えない圧力”の存在を理解した上で、お互いが最適だと納得できるバランスポイントを見つけることなのだと思います。
その結果導き出された結論が、共働きであったり、専業主婦や専業主夫であったりと、違いが出てくるのは当然のことです。夫婦が互いに納得できる形なのであれば、それぞれに尊重されるべきなのだと思います。
(文・川上敬太郎)
川上敬太郎: ワークスタイル研究家。愛知大学文学部卒業後、大手人材サービス企業の事業責任者を経て転職。広報・マーケティング・経営企画・人事等の役員・管理職を歴任し、厚生労働省委託事業検討会委員等も務める。調査機関『しゅふJOB総研』では所長として、延べ3万5000人以上の主婦層の声を調査。現在は『人材サービスの公益的発展を考える会』主宰、『ヒトラボ』編集長の他、執筆・講演等を行う。NHK「あさイチ」他メディア出演多数。