自分の好きな道を選び、チャレンジし続けている人たちは、どんなパートナーを選んでいるのでしょうか。
パートナーとしての決め手や、リスクをとる決断や心が折れそうなピンチを乗り越える時、どんな言葉が支えになったのかなど、妻と夫にあえて同じ10の質問をすることで掘り下げます。
第8回は、ポピンズホールディングス社長の轟麻衣子さんと夫のゴメス・モレノ・フアン・マニュエルさん。3カ国語が飛び交うご家庭は、どのようにして生まれていったのでしょうか。
撮影:千倉志野
—— 出会いのきっかけと結婚の経緯は?
夫・フアンはコロンビア生まれ、フランス育ちで国籍はイギリスという、多文化のバックグラウンドを持つ男性です。出会いは、私がポピンズ入社前の20代の終わりに、MBAを取得するために入学したINSEAD(欧州経営大学院)で。
INSEADは世界70カ国以上から学生が集まるグローバルな学びの環境で、私はシンガポールキャンパスで1年間のプログラムを選択していました。途中、フランス校からの転入生が部屋を探していると聞き、私たちが生活していた寮の空き部屋を紹介することに。新たなルームメイトとして迎える前に、スカイプで話したのが彼との初対面でした。彼は今でも冗談で「僕たちの初めての会話は“面接”だったね」と言うんです(笑)。
彼の第一印象は「おとなしくて穏やかな人」。コロンビア人と聞いていたので、てっきりラテン系ならではの陽気な人なのかと思ったら、じっくりと熟考して慎重に言葉を選ぶタイプ。友達として付き合いを重ねるうちに、不器用だけれど誠実で、世界のどこでも生きていけるようなタフさを備えた彼の生き方をリスペクトするようになりました。
出会って間もない頃の会話の中で、「常識は自分たちでつくりあげていくもの。出会った人同士が、自分たちにとって何が大切かを感じながら新しい常識をつくることが人生の醍醐味だ」と言っていたのが印象的で、とても共感できました。
—— なぜ「この人」と結婚しようと思ったのですか?
実は彼と出会った当時、私には別のフィアンセがいました。INSEADを修了したら結婚する約束をしていたイタリア人の男性です。その方は家柄も立派で、人としても成熟していて、きっと「王道」な結婚生活を送れるはずでした。でも、心のどこかで何かが引っかかっていたのでしょう。
一方、コロンビアの有名企業から奨学金を得てINSEADに来ていたフアンは、とても頭脳明晰で優秀であることには間違いありませんでしたが、将来の設計図はほぼ白紙。母(ポピンズ創業者で現会長の中村紀子)を含め周囲は「何者?」と不安に思ったかもしれませんが、心から信頼できるフアンと、これからの人生を一緒に作っていく道を私は選びたいと思ったのです。
フアンに信頼を寄せた理由には、おばあちゃんっ子だった私が祖母から繰り返し聞かされていたある教えがあります。それは「麻衣子、自分にとって大切な人を見極めたいときには、3つの視点を持ちなさい」という教え。
「まず、その人が友達に対してどう接しているか。次に、自分の家族に対してどう接しているか。最後に、友達でも家族でもない他人に対してどう接しているか。いい? あなたに対して好意を持つ人が、あなたに対して親切であるのは当たり前。あなた以外の人にどう接しているかを見れば、その人が本当に誠実な人かどうかが分かるはずよ」と。
私はこの言葉を忘れませんでした。フアンはまさに、誰に対しても親切で素晴らしい人間性を備えた人だったのです。人生観について深く語り合ったわけではありませんが、例えば彼が「コロンビアのお母さんがペットを亡くして悲しんでいるから」と、勉強の合間に電話で慰めている姿を見て、「愛情の基盤をしっかりと育んできた人」なのだと分かりました。
国や文化を超えて彼と交際を始めるにあたっては結婚を前提に考えていましたし、「私はいずれ日本に帰って家業を継ぐことになる」と伝えました。彼は事前に決まっていたコロンビア企業との契約を投げ打って、個人で借金を背負って、私のいるロンドンに来てくれました。今考えると、結構ドラマティックですね(笑)。彼の決断には本当に感謝しています。
社長になれる器ではないと思っていた
撮影:千倉志野
—— お互いの自己実現を支援するために、大切にしてきたことは?
私は2012年に帰国してポピンズに入社、2018年に社長に就任しましたが、実は母の後を継ぐ覚悟を決めるまでには長い時間がかかりました。単純に、自信がなく、不安だったのです。カリスマ的なリーダーシップで組織を引っ張ってきた母とはまるでタイプが違う私は、社長になれる器ではないと思っていて……。これは決して謙遜ではなく、子どもの頃から私に関わってくださった方々からも、「麻衣子ちゃんには無理よね」という意見が大半だったんですよ。
ところが唯一彼だけが「あなたならできる」と言い切ってくれました。「絶対にできるし、なれる。ただし、あなた自身がなりたいのかが大事だと思うよ」と。大袈裟ではなく、もしフアンがいなければ、社長になることも、その後の挑戦も全て実現できなかったことだと思います。理屈抜きに「あなたならできる」と信じ切ってくれる人の存在が、人の可能性をどこまでも伸ばすのだという確信を、私は実体験から得られました。
そして、この「あなたならできる」という言葉を私にかけてくれた人がもう一人。12歳の私が単身でイギリスへ留学すると決めたとき、母がかけてくれた言葉も同じだったのです。私を後押ししてくれた“相手の可能性を信じる力”を、私自身の子育てや組織づくりにも生かしていこうと心がけています。
—— パートナーから言われて、一番うれしかった言葉は?
「あなただったらできる」と並んで嬉しかったのは、「あなたはあなたらしく」。誰かと比べず、自分の持ち味を生かせばいいのだと、一番近くにいるパートナーから言ってもらえたことで、私の肩の力は随分と抜けました。創業者の母を超えなくてもいいし、周りの素晴らしい経営者たちの真似をする必要もない。私は強い言葉で皆を引っ張るより、相手の話を聞き、それぞれの強みを生かせる環境づくりやサポートをすることで役割を果たせるのだと思えるようになりました。
息子の受験に伴走したときに、「私は頑張る誰かを応援することにやりがいを感じるんだ」と発見できたことも大きかったですね。
「忘れ物をした時にどうするか」を学べる子に
撮影:千倉志野
—— 日頃の家事や育児の分担ルールは?
特にルールは決めず、それぞれが得意なことを優先して分担するようにしています。子どもたちに宿題を教えるときも、私は国語担当、彼は算数担当というふうに。彼は私に対して「母親なのだから」「女性なのだから」と性別を理由に役割を押し付けるようなことはしません。彼は金融業界の新規事業開発に携わっていて、忙しい時期が重なって家事や子育てに手が回らないことも。そのときはもちろん、プロの力もうまく頼っています。
—— 子育てで大切にしているこだわりは?
やっぱり「愛情の基盤」を育むことですね。子どもたちがかけがえのない大切な存在であることを、繰り返し表現しています。もう一つは、「世界という軸」を与えること。常識や価値観は一つではなく多様なのだから、「世界」や「地球」というスケールで物事を見られる人間に育ってほしいですね。大切なのは、「目の前に見えている世界」の外にある世界を想像できる力だと考え、そんな感性が育つ声かけを積極的にしてきたつもりです。
大好きなサッカーの練習が雨で中止になったとき、「残念だけれど、アフリカの子どもたちは助かっているかもね」と息子が言ったと聞き、嬉しかったです。またある政治家が嫌われているという会話を私たち夫婦がしていたときに、横で聞いていた彼が「その人がどういう人かは、会ってみないと分からないよ」と言ったことも(笑)。
加えてもう一つ、失敗を避けるよりも、失敗を乗り越える力を身につけてほしいと思っています。忘れ物をしないように念入りに登校準備をするのも大事ですが、「忘れ物をしちゃったときにどうするのか」という対応力はもっと大事。友達に頼み込んでみるのか、次は絶対に忘れないように何か工夫をするのか。人生は準備万端にしたつもりでも、うまくいかないことのほうが多いですよね。そのときに臨機応変に対応できる力を育てたいと思っています。
家庭内の会話は「3カ国語」
撮影:千倉志野
—— 夫婦にとって最もハードだった体験は? それをどう乗り越えましたか?
別れの危機というのはありませんが、お互いにとっての「常識」を擦り合わせるために真剣に議論を重ねる時間は何度かありましたね。彼が日本に来て間もない頃に、「どうしてこんなに差別が多いの?」と疑問を持ったことに対して、私の考えを述べてみたり。納得のいくまで話をして、「私たちにとっての新しい常識」をつくろうという姿勢はいつも大切にしてきました。
例えば、子どもたちをどの言語で育てるかについても、私の母は「日本語と英語でいいじゃない」という意見だったのですが、彼は「子どもたちに話しかける言葉は、母国語のスペイン語にこだわりたい」と主張。すり合わせに少し時間を要しましたが、自分たちの意思を通しました。結果、家庭内の会話は、彼は子どもたちにスペイン語で話し、私は日本語で、家族一緒に話すときは英語でという3カ国語スタイルになりました。子どもたちの上達ぶりを見て、母も「これで良かったわね」なんて言っています(笑)。
—— これからの夫婦の夢は?
目の前の日常を乗り切るのに精一杯で、将来プランはあまり考える余裕がないのが正直なところです(笑)。これから成長する子どもたちと一緒に、どこで暮らし、どんな夢に向かっていくか。あれこれと計画するのが楽しみです。
神話から解放される選択肢つくりたい
撮影:千倉志野
—— あなたにとって「夫婦」とは?
ソウルメイトという言葉がしっくりときます。人生の岐路を一緒に乗り越えていく、魂の友。人生には星の数ほどの出会いがあり、別れがあります。フアンとの出会いは偶然の恵みですが、愛情の基盤でつながることができました。きっと別れることはないのだろうなと信じられます。
けれど、関係性はお互いに成長することで持続できるもの。当たり前に続くと過信せずに、私自身が成長していかなければと思います。
—— 日本の夫婦関係がよりよくなるための提言を。
10〜20代まで世界の多様な価値観の中で育った私は、「幸せは人それぞれで、一つの形に定義できるものではない」と肌で感じながら育ちました。今の日本でも、一人ひとりの価値観を押し込めず、正直に生きられる社会や関係性をつくっていきたいと強く願っています。
見渡せば、社会的な役割に閉じ込められて、苦しんでいる女性はとても多いですよね。「母親はこうあるべき」「女性はこうあらねば」という“神話”にがんじがらめになっている。神話に苦しんでいる人に対して、解放される選択肢が届けられるように、私たちができることを提供していきたいと思っています。
息子が2歳のとき、言葉の発達の遅れが分かり、「母親の愛情不足よ」などと心ない言葉をかけられ、深く傷ついたことがありました。しかし、海外の素晴らしい先生に出会ったことで、私の考え方は180度変わり、彼のとんがりは強みとなり、言語能力はむしろ伸びていったんです。思考や行動の選択肢を増やすこと、そして、量だけではなく質も上げていくこと。これが社会にとって必要ですし、私が事業で果たしたい使命です。そしてその使命をフアンも応援してくれています。
「保育園に入れるなんて子どもがかわいそう」と言われていた社会から、「こんな素晴らしい保育園ならぜひ入れたい」と希望を生む社会へ。今年は卵子凍結を主軸にした不妊予防の事業にも新たに踏み出しました。女性の人生の選択肢を増やして、誰もが幸せを感じられる社会をつくっていきたい。経営者として、そして、一つの家族を成す女性として邁進していきたいと思います。
(▼敬称略・夫編に続く)