2019年5月に福州市で開かれたデジタルイベントでも、顔データによる来場者の認証が行われた。
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中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会が8月20日に個人情報保護法を可決した。2021年11月1日に施行される。
中国は日本に比べると個人情報の保護意識が緩く、かつてIT大手バイドゥ(百度)のトップが「中国人はオープンで、プライバシーよりも利便性を優先する傾向がある」と発言したこともある。
だが、電話番号や住所と違って簡単に変えられない顔認証技術が普及したことで、国民の意識は大きく変わった。法施行を前に司法当局や地方政府も違法と合法の線引きを明確にしている。
個人情報保護法で使用条件を規定
「IT技術、とりわけビッグデータと人工知能(AI)技術の進展によって、公共の場所で顔から個人情報を取得しやすくなり、懸念が高まっている。人に対する顔認証は厳格に規制する」
清華大学法学部の程啸教授が8月31日に発表した個人情報保護法の解説によると、同法は第26条で「公共の場所で顔認証システムを導入する際は、政府当局の規定を満たした上でシステムの存在をはっきりと示し、集めた個人情報は公共安全を維持する目的以外に使用してはならない(本人の同意が得られた場合は、この限りではない)」と定めた。
第62条第2項では、「国家インターネット情報弁公室が他部門を統括し、顔認証、AIなど新技術の応用について専用の規則やルールを整備する」ことも要求している。国政助言機関である全国政治協商会議(政協)の政協委員で弁護士の皮剣龍氏も今年3月、「顔の情報は変更ができない個人の『パスワード』のようなもので、ハッカー攻撃などで流出したら甚大な損害が発生する」と、個人情報保護法以外に顔認証システムのデータ管理専門の法律を整備するよう提言しており、今後、生体認証に特化したルール整備が加速しそうだ。
監視カメラ装い店舗に設置
北京のIT企業で顔認証システムの開発に取り組むエンジニア。
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日本はあらゆる領域で既に規制があり、新技術や新サービスを広げるには規制緩和から始めなければならないことが多い。中国は逆で、何もないとろに新技術が急激に普及し、消費者の権利侵害が顕在化してから規制論議が始まる。
2010年代前半に社会実装が始まった顔認証も例外ではない。当初はロック解除や入退室の手続きなどを効率化するスマートツールともてはやされたが、民間企業が手軽に導入できるようになると、知らない間に個人情報が丸裸にされる「濫用」が横行した。
企業の吊るし上げで有名な中国国営テレビの名物番組「315晩会」は今年3月、高級車のBMW、アメリカの水回り製品メーカーKOHLER(コーラー)、アパレル大手のMax Mara(マックスマーラ)の店舗が、来店者の同意を得ずに顔認証カメラを設置していることを暴露した。
番組放送から数日後には、江蘇省で消費者保護を管轄する検査官が、中国最大の雑貨チェーン「名創優品(メイソウ)」店舗で、一部がテープで目隠しされた防犯カメラを見つけた。不審に思った検査官がテープをはがすと、番組で糾弾された顔認証システム「万店掌」のロゴが現れた。
店舗責任者のスマホにはカメラと連携したアプリがインストールされ、来店者の性別、大まかな年齢だけでなく、「初来店」「11回目の来店」「会員」など各顧客の“忠誠度”も表示されていたという。責任者は検査官に会社からの指示でロゴを目隠ししていたと説明した。
中国初の「顔認証裁判」も
中国ではパンダの顔を認証する技術の開発も進んでいる。
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店舗で来店者の顔データを無断収集するのはプライバシーの侵害だと分かりやすいが、中国では以前から、団地やビル、施設が顔認証システムを使用して人の出入りを管理する是非を巡っても賛否両論あった。防犯、非接触など明確なメリットがあるため、施設管理者が強制的に顔認証システムを導入する動きも加速していた。
そんな中で「中国初の顔認証訴訟」として注目されたのが、2019年に浙江省杭州市在住の男性が、顔認証による入園システムを導入した同市内の動物園を訴えた案件だ。
判決によると男性は2019年4月、1360元(約2万3000円)で夫婦2人分の年間パスポートを購入。指紋認証による入園に同意した上で、夫婦の姓名、身分証の番号、電話番号、指紋を登録し、写真も撮影した。その後、動物園は入園方法を顔認証に変更し、年間パス保有者に携帯電話のショートメッセージで「顔認証以外の方法では入園できなくなる」と通知した。
男性の「動物園は情報収集・使用にあたって目的や方法、範囲を十分に説明せず顔認証システムを導入した」という主張に対し、判決は「消費分野で個人情報収集・使用を禁止する法律はないが、『合法、正当、必要』の原則の下、当事者の同意を得なければならない」と指摘。年間パス購入時に指紋認証での入園で合意しているのを、有効期間中に一方的に他の方法に変更するのは法的効力を持たず、正当性がないと判断し、動物園側に1038元(約1万7700円)を支払うよう命じた。
ちなみに、訴訟を起こした男性は法学博士号を持つ大学の研究者で、判決には専門家が多数傍聴に訪れ、ライブ配信もされた。
「公共の安全」は民事責任の対象外
顔認証システムは交通違反の取り締まりや行方不明者の発見にも使われている。
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同訴訟は2021年4月に二審の判決が出され、動物園側の敗訴が確定。この訴訟や店舗での無断データ収集で社会の関心が高まったことを受け、最高裁に相当する最高人民法院は今年7月末、顔認証を巡る法的解釈について以下の見解を発表した。
- ホテル、商業施設、銀行、駅、空港、スポーツ施設、遊戯施設、公共施設で、消費者に無断で顔情報を収集・分析するのは人格権の侵害。
- 住宅やビルの管理会社などが施設の出入りに顔認証を使う際も強制はできず、施設利用者が他の認証方法を求めたら応じなければならない。
- 14歳未満の顔データ収集には保護者の同意が必要で、保護者から要求があれば個人情報の修正、削除に応じなければならない。未成年の顔データ収集・利用に関する違法行為の法的責任はより重くなる。
- アプリ、ミニプログラムで個人情報を収集する際にも、包括的に告知して同意を得るのではなく、顔認証単独で同意を得なければならない。また、「同意しないとサービスを提供しない」などと、顔認証の利用を強制してはならない。
IT企業のハブである深セン市も8月末、公共スペースのカメラ設置に関する条例の改正案を発表。顔認証システムとカメラを違法に設置した場合、個人は最高5万元(約85万円)、組織には同20万元(約340万円)の罰金を科すことなどを盛り込んだ。
個人情報やデータの安全を保護する法律が整備され、規制が本格化したことで、消費者の個人情報が勝手に吸い取られるリスクは大幅に低減するだろう。
一方で、最高人民法院は、
- 突発した公共衛生事件への対応、あるいは緊急時に人の生命、健康、財産保護のために顔データを収集・分析する
- 公共の安全を守るため、政府がルールに則って公共スペースに設置した顔認証システム
- 公共の利益を目的とした報道や世論の監督のために合理的な範囲内での顔データ収集
- 本人もしくは保護監督者の同意を得た範囲内での顔の情報収集・利用
- 法律、行政法規に則ったその他の活動
に該当する場合は、民事的責任を負わないとも説明した。「公共の安全のため」の顔データ収集・使用を司法が明確に容認したことで、データの国への一極集中はさらに進みそうだ。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。