撮影:MIKIKO
アーティスト、長谷川愛の代表作、「(IM)POSSIBLE BABY (不)可能な子供:朝子とモリガの場合」(2015)。実在する同性カップルの一部の遺伝情報からできうる子どもの容姿や性格を予測して制作した家族写真だ。
立ちはだかる生命倫理の壁に疑問
「(IM)POSSIBLE BABY(不)可能な子供:朝子とモリガの場合」
提供:長谷川愛
この作品を着想した2013年当時、アメリカやヨーロッパでは同性婚を認める動きが出始め、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で学んでいた長谷川も、その議論の盛り上がりを感じていた。だが、その頃一時帰国した日本では、同性婚をめぐる議論は全くと言っていいほどなかった。
どうしたら議論の俎上に載せることができるのか。長谷川がその時考えたのは、結婚の先に、同性間で子どもを持つことは可能なのか、ということだった。
長谷川の問いに、ロンドン時代の友人であるゲイのカップルは、レズビアンの友人に卵子を提供してもらい、子どもをつくりたいと答えたという。その言葉にハッとした。本当に“彼ら自身の”子どもをつくることはできないのだろうかと。
再生医療やiPS細胞に関する本や論文を読み、技術的には可能だと分かったが、どの本にも「生命倫理の壁がそれを許さない」とあった。だが、なぜ倫理的にダメなのかはどこにも書かれていなかった。
レズビアンのカップルの間に子どもをつくるとしたら、女性の体細胞を取り出して、iPS化させた細胞を精子にして受精させることが技術的には想定されるという。この技術はマウスで実験が進められているが、人間への技術としては議論の緒にも就いていない。
背景には、人体を用いた実験への安全性の懸念もさることながら、そもそも「同性間で子どもをつくる」ことそのものに研究者や権力者たちの戸惑いや嫌悪があるのではないか、と長谷川は指摘する。
「文章ではなく、実在する同性カップルの遺伝子情報を使って、どんな子どもが生まれえるのかを『家族写真』として見せたら、その技術の先にある可能性や意味を視覚化したとき、人々の意識はどう変わるんだろうと思ったんです」
遺伝情報を読み解き、研究者も取材
「(IM)POSSIBLE BABY」では、実在の同性カップルの遺伝データを読み解いて、容姿をCGで作成している。
提供:長谷川愛
こうした発想自体も突き抜けているが、長谷川の真骨頂はここからだ。
実際にフランスで同性婚をしたカップルの協力を得て、2人の遺伝情報を共有してもらった。おそらく今のテクノロジーがあれば、2人の写真を使ってCGで「それらしい」ものをつくることは容易い。
しかし、長谷川は徹底してリアリティにこだわる。2人の遺伝データを掛け合わせて、娘の遺伝データを推測し、そこから各ゲノムの個性を読み解き、顔をCGで作成。それだけでなく、2人の性格や生活環境から子どもの好きな食べ物なども推測して写真に反映させた。
さらに、2人の科学者には生命倫理の観点から意見も求めた。1人は当時京都大学iPS細胞研究所で生命倫理を研究していた八代嘉美と、もう1人は東京農業大学で2003年に世界で初めて2匹のメスのマウスの卵子だけで哺乳類を発生させることに成功した河野友宏。
2人の意見は、「人工授精や体外受精と同じ程度の安全レベルになり、十分に議論がなされればOKではないか」(八代)、「技術の安全性が担保されたとしても、人に使うことには絶対NO」(河野)と分かれた。法的な問題については、法と遺伝の問題に詳しい法政大学の和田幹彦にも助言を仰いだ。長谷川はこう話す。
「こうした技術は未来につながるものだから、研究や開発をしている人たちに迷惑がかからないようにと気をつけています。そのために専門書や論文を読むだけでなく、専門家に実際意見も求める。
どれだけ研究開発が進んでも、社会が受け入れなければ、その技術は使われないので、倫理や法律の専門家にも意見を聞き、そちら側を“耕す”ことも心がけています」
長谷川の著書『20XX年の革命家になるには——スペキュラティヴ・デザインの授業』の編集者である塚田有那も、「(IM)POSSIBLE BABY」を初めて見たときの印象を「徹底したリアリティの追求」と語る。
「同性間で子どもを持つことの法的・倫理的な問題をいくら言葉で議論しても、当事者でなければどうしても自分ごととして捉えることができませんでした。
それが実在するかもしれない子どもが写真になり可視化されると、もしかしたら自分の友人にもこういう将来があり得るかも、と圧倒的に想像力の解像度が上がったのです」
スペキュラティヴ・デザインの本場、RCAへ
「Shared Baby」では、3人以上の親から遺伝的につながった子どもをつくることを技術的・倫理的に追求した。
提供:長谷川愛
長谷川がこうした一見突飛とも思えるアイデアをデザインやアートの形で世の中に問うという姿勢を身につけたのが、2010年から学んだRCAでだった。そこで出合ったのがスペキュラティヴ・デザインという1つの思考法だ。
長谷川は2010年から2年間、RCAのデザイン・インタラクションズというコースで、ダン&レイビーのユニット名で知られていた2人の教授、アンソニー・ダンとフィオナ・レイビーの元で学んだ。1年目には5つの課題を出され、それに基づいて作品を制作した。
1つ目の課題は「未来の映像」。長谷川は、人工子宮が登場し、細胞が培養できるようになった未来にはどんなメロドラマができるのかという発想から、未来のソープオペラを制作した。「社会と科学」の課題では、遺伝子工学から新たな家族の形を提案する作品「Shared Baby」を考案する。
3人以上の親から遺伝的につながった子どもをつくるという技術を元にした作品だが、根底には、なぜ夫婦だけで子どもを育てるのか、もっと大勢で育てたほうが子どもにとっては経済や愛情のリソースが増え、親は出産や育児に関するさまざまなコストが軽減されるのではないかという問題意識があった。
「どんなにバカバカしいと思えるようなことでも、作品として頭の外に出してみると意外と世界に見せうるものになるかもしれない。
人間や世界を簡素化しない、多様で複雑なもので、『今ある世界じゃないあり方』が可能かもしれないと提示する。スペキュラティヴ・デザインとは手法というより、むしろそうした態度、姿勢が大事なのだと教わりました」(長谷川)
長谷川は今でもはっきり覚えているシーンがある。RCAの授業で、自分の中にあった「イルカを産んでみたい」という想いを口に出した時。恥ずかしそうに言葉にする長谷川に、フィオナ・レイビーは「それよ!」と満面の笑みで肯定してくれたという。
いま子どもを産み育てることは倫理的なのか
撮影:MIKIKO
当時、長谷川の中には、本当に自分は子どもを出産したいのか、という思いがあった。女性であれば、産むのか産まないのかという選択肢を突きつけられる。単純に自分は子どもが欲しいのかどうかだけでなく、環境破壊や食糧危機など地球規模の問題が起きている中で、果たして子どもを産み育てることが倫理的なのかと考え込んでしまったという。
「自分の中にある痛みや悩みと、地球規模の問題をどうしたら自分も幸せに解決できるのか。その時に自分が好きなイルカを産めたら、と思ったんです」
絶滅の危機に瀕している海の動物の代理母になることで、自分が出産という行為を通じて、種の保存に貢献できるのではないかと考えた。胎盤の研究者の元も訪ね、技術的なヒントを教えてもらった。
「I WANNA DELIVER A DOLPHIN…(わたしはイルカを産みたい…)」
提供:長谷川愛
そして生まれた作品が「I WANNA DELIVER A DOLPHIN…(わたしはイルカを産みたい…)」だ。実際イルカが女性の足の間から出現し、プールが真っ赤に血で染まっていく映像は、東京のラブホテルにあるプールを使って撮影した。
先の塚田は本の中の、「もし産んだ子(イルカ)が死んだらその遺体を食べても良いし、先に自分が死んだらその子に食べてもらってもいいかもしれない」と書かれた文章にドキッとした。
「海の生き物と自分との間に境目がなく、憧れている一方で自分の中に取り込みたいという感覚に驚きました。一方で、こうした表現は炎上や批判が起きやすい。
スペキュラティヴ・デザイン自体が夢物語だ、倫理的にどうなのかと批判されやすいのですが、愛さんは炎上や批判が起きることを前提にしているからこそ、技術的、法的、倫理的なことを徹底して調べて、批判されても答えられる文脈をつくった上で発表している。
企業もアーティストも、何かを発信するときに、彼女のアプローチや姿勢には学ぶところが大きいと思います」
長谷川はよく「夢想する」という言葉を使う。私たちは子どもの頃、未来がこうだったらいいなと、よく空想していなかっただろうか。でも大人になるにつれ、空想をやめてしまう。社会の「こうあるべき」に縛られ、現実しか見なくなってしまう中で、いつしか空想することを諦めてしまう。長谷川は「夢想する」ことが未来を変えることにつながる一歩になると信じている。
長谷川はなぜ夢想する力を持ち続けられたのか。その原点は、生まれ育った環境にあった。
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(文・浜田敬子、写真・MIKIKO)