撮影:MIKIKO
アーティスト・長谷川愛の作品には結婚や家族、生殖をテーマにしたものが目立つ。
これまでの回で触れた「(IM)POSSIBLE BABY(不)可能な子供:朝子とモリガの場合」(2015)では同性間で子どもをつくることを提起し、「Shared Baby」(2011/2019)では3人以上の親から遺伝的につながった子どもをつくることを技術的・倫理的に追求しただけでなく、実際子育てに複数の親(大人)たちが関わることによる子どもへの影響や、親と子どもを結びつけているものは何かということを問いかけた。
家庭内ピラミッドで最底辺
長谷川がこうした家族や結婚における私たちの“常識”をグラグラ揺さぶってくるのは、高校卒業まで過ごした生家での体験が大きく影響している。
静岡県内の実家には祖父母と父母、姉弟と7人で暮らしていた。元来男尊女卑の考え方が根深く残る地域だったため、入浴の順番など生活全てにおいて、家長である祖父が一番、長谷川や姉は弟よりも下に位置するという厳然たる家庭内ヒエラルキーが家を支配していた。
今でも仲はいい家族だが、「小さい頃からこの家庭内ピラミッドで私は最底辺なんだと思って生きてきた」(長谷川)という環境に加え、祖母が信じていた新興宗教の教えもピラミッドをより強固にしていた。
家には毎月「先生」と言われる人が来て、子どもの頃から「一緒に祈りなさい」と言われてきた。大学進学と同時に家を出た後も、帰省の際に「ちょっと悩み事がある」と家族にこぼすと、「じゃ、1カ月ぐらい先生のところに修行に行ったら?」と言われるような家だった。
全ては「神様」が司っていることに疑問を抱き始めたのは、阪神・淡路大震災の時だった。「うちの宗教の信者には被害者は出ていないので、良かった」と言われたことに対して、「この人たちが言う神様ってそんなものなのか」と矛盾と憤りを感じた。そして、こう思ったのだ。
「この宗教の世界で生きるのはもう無理だな」
フィクションが培った「夢想する力」
長谷川がさまざまな未来の可能性を想像するようになった原点には、影響を受けたさまざまなフィクションがあった(写真はイメージです)。
MagicBones / Shutterstock.com
長谷川の著書『20XX年の革命家になるには——スペキュラティヴ・デザインの授業』の編集者である塚田有那は、こう話す。
「あまりにその世界が強固だからこそ、このルールを破ることにこそ、生きていく意味があるじゃないかと、愛さんは思ってきたんじゃないでしょうか」
閉じ込められ、抑圧された世界で長谷川を救ってくれたものはSFやファンタジー小説や漫画だった。その世界に浸っている時だけが、ここではないどこかにいられた。長谷川の作品の出発点が「夢想」することにあるのは、この時の経験が大きい。
「愛さんがあの突き抜け方を育み、妄想する力を保っていたのは、漫画やファンタジーの力。私たち2人とも漫画オタクで、よく私たちにはこれがあって良かったね、と話しています。家庭環境がどうであろうと、社会にどんな違和感を抱いていようと、少女漫画やBL漫画が自分たちを救ってくれたという共通の思いがあるんです」(塚田)
前出の長谷川の著書の巻末には何ページにもわたって、「革命の手引きー推薦図書&作品リスト」が収められている。小説ならアイザック・アシモフらの『20世紀SFシリーズ』やジョージ・オーウェルの『一九八四年』、村田沙耶香の『消滅世界』、漫画では『風の谷のナウシカ』『イムリ』『機械仕掛けの愛』など、映像化された作品も並ぶ。
宗教という便利なものを捨てた
長谷川が卒業した岐阜県にあるIAMASは、「科学的知性と芸術的感性の融合」を建学の理念として掲げている。
IAMAS公式サイトよりキャプチャ
岐阜県にあるIAMAS(当時:岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー、現:情報科学芸術大学院大学)に進学したのは、県立大学で学費が安いという理由だった。高校時代に進路の話になった時に、女性が4年制大学に進むには明確な意思と目的が必要とされた。
「学費は弟のために取っておかなくては」という意識と、それでも何か手に職をつけなければという思い。IAMASに行けばプログラミングが学べるだろうぐらいの気持ちだった。
だが2000年代初頭からIAMASにはVRの機材などが揃っていた。プログラミングは苦手だったが、アニメーションやCGアートを制作するのは楽しかった。1枚1枚アニメを描いたり、当時はまだ処理能力が低かったコンピュータでの作業は忍耐強さを求められたりもしたが、長谷川はそこで一つの確信を得る。
「テクノロジーや科学技術って、現代のファンタジーなんだ」
2021年5月に開かれた展覧会には、長谷川が学んだIAMAS時代に制作した「an example01」も展示されていた。この作品は家族が信仰していた宗教に対する反発から生まれたものだという。
「神様はいるのかいないのか」「もしいたとしても、そこから救ってくれないとどうなるのか」。宗教の世界から脱して、自分のために「死」を受容するというファンタジーを形にした。
この作品には、同じ寮に住んでいた友人が21歳でがんで亡くなったことも影響している。葬儀で灰になった友人を見たときに、それまでのつながりが全て消えてしまったような気持ちになった。
「その時に思ったんです。自分が否定したはずの宗教って、思考停止してつらいものを受け入れるためには、すごく便利なものだったんだって。その便利なものを私は捨てたので、不便だなって。
じゃあ私は自分のためのそれを再発明していこうと。宗教って科学技術が発展する前のものなので、今の時代に合わせてアップデートしてもいいんじゃないかと思ったんです」
つくりあげた作品は、全てのものは分子や原子でできているのなら、死者も全てのものに偏在している、全てはつながっているというストーリーのアニメーションだった。
「親が見たらどう思うんだろう」心配よそに
撮影:MIKIKO
今年、家庭内ピラミッドの頂にいた祖父が102歳で亡くなった時、長谷川の頭をよぎったのは、「ずっと介護に携わっていた母親の人生がこれでやっと解放される」ということだった。
「祖父はリタイア後、ずっと母が世話をしてきました。ある意味、なんてラクな人生だったんだろうと思います。今の時代って老人の死を悼むということすら、気持ちが分断されてしまう時代なんですよね」
長谷川の両親は展覧会などに足を運び、作品も見てくれているという。育った家庭環境に対してのある種の苦しさや痛みから発想しているものもあるので、「親が見たらどう思うんだろう」と心配になる気持ちもある。そんな長谷川に対して、両親は特に何も言わないという。
「こうしてアーティストになったことは喜んでくれています。ただ、内容まで理解してくれているかは微妙かな。
でも先日母と話していたときにLGBTQの人の話になって、母が『社会では今注目されているけど、あなたは前からこういうことを考えていたのよね』と言われました。『問題はずっと前から世の中にあったんだよ』と言うと、『うん、うん』って」
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(文・浜田敬子、写真・MIKIKO)