撮影:MIKIKO
2021年5月に開かれたアーティスト・長谷川愛の展覧会で印象的だったのが、壁に貼られた多数の付箋だった。実在する同性カップルの一部の遺伝情報から生まれる可能性のある子どもの姿や性格を予測し、家族写真を制作した「(IM)POSSIBLE BABY(不)可能な子供:朝子とモリガの場合」。そこでは参加者からの感想を付箋に書き込んでもらうようになっていた。
長谷川の作品には女性としての葛藤や伝統的な家族観に対する疑問が出発点になっているものも多いため、これまで圧倒的に女性のファンが多かった。それが今回は男性のコメントも散見された。
壁に貼られた付箋からは、時代の変化も読み取ることができる。
提供:長谷川愛
「僕には賛同できない考えもいくつかあったけど、面白かったです」というものも含め、男性の反応が以前よりポジティブになってきたという。
中には「僕はゲイで……」と自分の悩みを率直に告白したものや、「この世界を男女に分けて考えるのはそろそろやめたほうがいい」という書き込みにさまざまな意見もあり、最初にこの作品を発表した2016年ごろに比べると人々の意識が随分変わってきたと感じている。
男性だらけの卵子凍結議論
卵子を取り出し、液体窒素で凍結させる技術は、近年日本でも広がりつつある。
Elena Pavlovich / Shutterstock.com
長谷川の著書には「20XX年の革命家になるには—— 」というタイトルが付いている。アーテイストが革命? 著書にはこうある。
「あなたがもし、2030〜50年までに革命を起こすとしたら、何をするでしょうか? そこには、どんな理想の社会があるでしょうか?」「私は活動家というよりは夢想家タイプですが、革命にはどのような『理想の社会』を思い描くのかがとても重要だと思っています」
長谷川がイギリスから帰国した2013年、日本では未婚女性による卵子凍結を可能とする「未受精卵および卵巣組織の凍結・保存に関するガイドライン」が発表された。それまでは婚姻中のパートナーとの受精を前提とした卵子凍結しか認められていなかった。
しかし、イギリスなどではもっと早くから解禁され、長谷川がロンドン留学時代にはファッション誌で卵子凍結の広告を見るほどに広まっていたという。
なぜ日本ではこの議論が遅れたのか。決定が遅れる間に、妊娠の機会を逸し、子どもを持つ可能性を奪われた人がいるのではないか。
長谷川は背景を調べるうちに、議論の過程にほとんど女性がいなかったことに気づく。ガイドラインについて議論し、策定した日本生殖医学会倫理委員会にはメンバー12人のうち女性は1人だけだった。さらに、一般の人からの意見集約も期間は2週間で、約20人の意見しか集めていなかった。
長谷川はこの事実を知って怒りが湧いたという。少なくとも女性に関する重要な決定には、当事者である女性たちの意見をもっと多く集めるべきではないかと。
一方で人の寿命を伸ばす医療技術については「盲目的に」進められていると感じていた。そのアンバランスさへの違和感を指摘すると、「人道的ではない」と非難された。長谷川の目には生殖や女性に関する医療や技術も、どちらも生命に関する技術であることには変わりはないと映る。
科学技術は未来を変える力を持っている。だが、どういう社会を目指すのか、どういう方向でその技術を使うのかという議論が十分にされているとは言い難い。科学技術を開発し、実装する中心にいるのは男性だ。特にその傾向が強い日本では、議論がされたとしても女性は蚊帳の外に置かれがちだ。
搾取的に使われてきた技術を希望に
現在、長谷川が拠点としているのは、京都工芸繊維大学内にあるKYOTO Design Labだ。3Dプリンターなど作品制作に必要な機材が並ぶ。
撮影:MIKIKO
しかし本来、技術は女性や弱者にとってこそ希望になり得ると、長谷川は言う。
「私たちが肉体的には男性に敵わなくても、技術でそれを補完することもできる。これまで技術を使う際には、力を持った人が力をより強固にするために使ったり搾取的に使ったりして発展させてきた。使い方さえ変えれば、私は希望しかないんじゃないかと思うんです」
長谷川が科学技術やテクノロジーの進化を過度に恐れず、先入観なく受け入れるのは、社会的な弱者である子どもや女性、LGBTQの人々を勇気づけ、「こうあったら」という希望を実現する可能性があると信じているからだ。
その視線は時には人間以外の動物にすら向かう。2回目で紹介した「わたしはイルカを産みたい…」という作品も、自分の肉体や産みたいという欲求が、技術によって絶滅の危機に瀕する生物を救う行為に結びつくのではという発想から生まれたものだった。
現在長谷川が拠点とするのは、京都市にある京都工芸繊維大学のラボだ。この大学の研究員として、ラボにある3Dプリンターや電気窯も使って自由に創作活動に打ち込める。自身の研究室もあり、展覧会で展示した作品などを収納しておくこともできる。
長谷川はTwitterで、こう呟いている。
「実家が太い人たちはこんな安泰な気持ちで生きているのだな、と思った。ありがとうKYOTO Design Lab!!」
しかし、この自由な創作環境を使えるのは10カ月間。次は愛知の大学での契約が決まっているというが、そこも雇用契約は数カ月なのだという。作品が国内外で評価されても、創作活動や生活を維持するのは容易ではない。
「日本はアートに対する公費が海外に比べて圧倒的に少ないんです。海外は助成金なども多く、それを使って作品をつくれる環境がある。
助成金が少なければ、作品を売って食べていくことになるのですが、私の作品は海外の女性のキュレーターによって展示されることが多い。アートは男性のお金持ちが男性の作品を買うことが多いので、なかなか『いいね』とならないんです」
長谷川の著書の編集者で、アートの世界にも詳しい塚田有那はこう話す。
「日本では大学がアートサイエンスセンターのようなラボとして、教鞭を執る以外の形でアーティストを受け入れる仕組みをつくれないかと思っています。
企業もイノベーションが必要な時代に、アーティストの社会発信をサポートする代わりに、その発想法などを学べるような環境をつくるなど、社会にアーティストを支える仕組みが必要だと思います」
(敬称略、完)
(文・浜田敬子、写真・MIKIKO)