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「気候危機を食い止めるチャンス、今が最後」石炭火力発電に挑む伝説の弁護士。

浅岡さん1

横須賀市で建設中の石炭火力発電所をめぐる訴訟弁護団を務める浅岡美恵さん。

撮影:今村 拓馬

9月3日、東京地方裁判所。横須賀市の石炭火力発電所をめぐる裁判で、原告の弁護団はこう主張した。

「いま、追加的なCO2の排出を許容することは、既に顕在化している、気候変動による国民の生命・健康・財産への被害を深刻化させ、新たな気候変動リスクを発生させます」

弁護団の中には、浅岡美恵弁護士の姿もあった。浅岡さんは、神奈川県横須賀市や神戸市で建設が進む石炭火力発電所をめぐって国を提訴した住民たちの弁護団を務めている。

50年にわたり、気候変動・環境問題に司法の立場から取り組んできた浅岡さんは、「この裁判は絶対にやらなければならないと思った」と話す。

必要な手続きが履行されているかを問う

石炭火力発電所

二酸化炭素排出を抑えるために各国で石炭火力発電所の建設や輸出が中止されるが、日本の動きは遅い(写真はイメージです)。

REUTERS/Dado Ruvic

2015 年に採択されたパリ協定は、世界の脱炭素社会への転換を確固たるものとした。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、気温上昇を1.5度に抑えるためには、世界全体で2030年までに二酸化炭素排出量を45%削減し、2050年前後には世界の排出を実質ゼロとしなければないと、警鐘を鳴らしてきた

日本政府もようやく2020年10月に、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにすると表明。それに先立ち、2020年7月に経済産業省はエネルギー効率が悪い石炭火力発電所の休廃止を発表した。

一方で、効率の良い石炭火力の建設や稼働は容認しているため、横須賀市や神戸市の石炭火力発電所の建設計画はそのまま進められている。横須賀市に新設される石炭火力発電所のCO2排出量は、年間約726万トンにものぼる。これは天然ガス発電と比較すると、約2倍もの排出量だ。

事業者の「JERA(ジェラ)」(東京電力と中部電力の合弁会社)は、燃料を石炭からCO2を出さないアンモニアへの置き換えなどを検討しているが、必要な技術はまだ確立されておらず、具体的な道筋も提示されていない。

「政府として2050年までのカーボンゼロの方針を決め、今、日本のエネルギー政策は転換期を迎えています。この新たな石炭火力発電所の建設計画では、必要な手続きがしっかり履行されていないということを裁判で証拠を示して、問題を提示することが重要」

と、浅岡さんは話す。

浅岡さんによると、日本は石炭火力発電所を新たに作るのに許認可の手続きを求められない、世界でも珍しい国だという。ただ、大型の火力発電所の場合、環境への影響を事前に調査する「環境アセスメント」の手続きが必要となっている

浅岡さんら原告側は、横須賀市の発電所のアセスメントは環境への配慮が十分に検討されておらず、取り消すべきだと主張している。9月3日の口頭弁論では、計画するうえで天然火力や再生エネルギーなどの代替案が検討されなかったことや、温排水の漁業へ影響調査をしなかったことを指摘した

100日座り込みで薬事訴訟の解決目指す

浅岡さん2

弁護士になったのは1972年。大学卒業後の女性の就職先は、限られていた。

撮影:今村 拓馬

気候変動・環境問題に弁護士としてキャリアを築いてきた浅岡さんだが、当初弁護士という選択には消極的だったいう。1970年に京都大学法学部を卒業時、女性の民間企業の就職先は限られていた。資格が必要な職業に就けば比較的平等な機会が与えられると考え、弁護士を目指した。

「私が1972年に京都の弁護士会に登録したとき、約200人中女性は数人でした。ただ、法廷弁護士の舞台は裁判所で、相手は裁判官。当時では公平の原則というか、ルールの枠組みの中で仕事ができたので、女性でも比較的働きやすい場所だったと思います」(浅岡さん)

弁護士1年目にその後のキャリアを位置づける、薬害スモン事件を担当。1953年から国内で製造された整腸剤(キノホルム剤)の服用によって、急な下半身の麻痺や視覚障害などの重篤な副作用が生じた事件だ。

「スモン」とは、Subacute Myelo-Optico-Neuropathy(亜急性・脊髄・視神経・末梢神経症)の頭文字をとっている。当初、原因不明の奇病として社会問題になったが、1970年にこのキノホルム剤が原因だと判明。確認されたスモン患者は約1万人にものぼり、広く飲まれていた整腸剤で起きた被害は、日本中に衝撃を与えた。

製薬会社と薬を承認した国に対して、損害賠償請求訴訟が全国で起きる中、浅岡さんも弁護団として訴訟に参加。元々スイスで開発された薬で国際的に流通していたが、このような被害を多発したのは日本だけだった。浅岡さんは他国の規制・使用法なども調査し、日本の承認プロセスに問題があったことを突き止めた

座り込み

浅岡さんはスモン訴訟の原告の被害者と100日間、厚生省(現在の厚生労働省)に座り込みをして、世論の醸成にも取り組んだ。

浅岡さん提供

「裁判には問題を究明していくことで、同じような間違いを起こさないようにする意義があるんですね。さらに国や企業の国民の健康に対する姿勢を判決を通して変えるために、身体も頭も使って、毎日毎日。前例がない、非常に難しい裁判だったので、被害者の方々と100日間、厚生省(現在の厚生労働省)に座り込みもしました」(浅岡さん)

スモン訴訟は、日本の薬事法の改正のきっかけになったと言われている

水俣病の弁護団として南米アマゾンの水銀調査

弁護士になって最初の20年間は「高度経済成長期で環境や健康が犠牲になった、公害オンパレード」だったと、浅岡さんは振り返る。水俣病被害者の弁護団として活動しているときに、更なる転機が訪れた。

1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた「地球サミット(環境と開発に関する国際会議)」に、浅岡さんは水俣病の被害者と共に参加した。日本の公害問題を訴えると同時に、世界中で起きている公害問題に取り組む人たちと情報を共有した。

水俣ブース

1992年の地球サミットでは、水俣病の弁護団として参加。日本の公害問題を発信し、世界中の人たちと情報や意見を交換した。

浅岡さん提供

ブラジルのアマゾン川流域では、砂金をつくる過程で水銀を使用することで水銀中毒の被害が拡大していた。

浅岡さんは日本の水俣病の経験を共有できないかと、1カ月、アマゾン流域で実態を調査。当時、3人の子どものうち、下の双子は小学校3年生。手が少し離れたこともあり、思い切って長期の海外出張に出かけた。

浅岡さん、アマゾン

3人の子どもを育てながら南米アマゾンへ長期出張ができたのは、家族と社会のサポートがあってこそ、と振り返る。

浅岡さん提供

地球サミットには、国連加盟国100カ国以上の国家元首、2400人の市民社会・NGO関係者が出席していた。かつてないほどの大規模な会議に参加し、時代の変化を実感した。サミットで採択された「気候変動枠組条約」は、その後の京都議定書、そしてパリ協定へとつながっている。

京都議定書採択当日に出されたリリース

帰国後、地元の京都が気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3)をホストすることが決まった。日本でも市民社会の声を集約して、政府に届けるプラットフォームが必要だと考え、気候フォーラムというNGO(現:気候ネットワーク)を立ち上げた。49歳だった。浅岡さんはCOP3の準備に没頭し、世界中の市民団体をコーディネートし、大規模な国際会議の現場を支えた。

COP3で採択された京都議定書では、先進国各国の温室効果ガス排出量削減目標が定められた。国際的な気候変動対策として大きな一歩だった。だが、浅岡さんは、とてもショックなことがあったと話す。

「京都議定書を採択したその日に通商産業省(現在の経済産業省)日本のCO2の排出の方針は変わりません、従来通りですというプレスリリースを出したんですね。京都議定書という枠組みはできたけれど、日本の国内方針は従来通りだというメッセージでした。詳細のルールや各国の批准と発行がないと、国際条約としての効力はない。ただのお祭り騒ぎで終わってはいけないと、その時強く感じました

弁護士をしながら、NGOの活動を理事の立場で続けることを決めた。

Wait and see、日本政府の脱炭素化の誤算

浅岡さん3

脱炭素に向けて、エネルギー政策の矛盾を解消していくのには、今がチャンスだと話す。

撮影:今村 拓馬

ようやく日本政府が変わってきたのはこの1、2年だという。2015年のパリ協定の後、世界は一気に脱炭素へと動き出したが、日本政府と経済界は出遅れた

「2018年に政府がエネルギー基本計画をつくった段階では、経済界も経済産業省もパリ協定からの流れをまともに捉えませんでした。Wait and see、CO2を出さずにビジネスができるはずがないと高を括くって、様子見だったんですね。

これが大きな誤りで、この3年間で世界との差が恐ろしいほど大きくなってしまいました。国際社会からのプレッシャーが強くなり、2050年のカーボンニュートラル、2030年度までにCO2排出量を46%削減という方針を、何とか出しました。今後日本のこれまでのエネルギー政策との矛盾を、解消していく必要がある」

と、浅岡さんは強調する。

経産省は2021年、第6次エネルギー基本計画案を公表し、10月4日までパブリックコメントを募集している

焦点だった2030年の電源構成の見直しでは、再生可能エネルギーの比率を36~38%(現行計画では22~24%)に引き上げた。

原子力発電は現行の20~22%のままだが、原発の新設や増設、建て替えについての具体的な道筋は示されていない。石炭火力の比率は19%(現行計画では26%)と、世界の多くの国が、2030年までの脱石炭化を目指す中、非常に厳しい状況だ。これら数値は、2030年度までにCO2排出量を46%削減するという政府目標への数字合わせに過ぎず、達成のための具体的な施策の提示が十分ではないとも指摘されている。

今「後戻りできない」という危機感が、神戸と横須賀で建設されている新たな石炭火力発電所の訴訟へと、浅岡さんを突き動かしている。

気候危機、温暖化には、科学者の警鐘に対応をすることでしか、被害は防げない。怠ると取り返しのつかないことになる。対応できる大切な時期を逃してはならないんです。スモンでも水俣病でも、予防する機会を逃したことで、取り返しのつかない被害を起こしてしまいました。気候危機、温暖化をなんとか食い止められる機会というのは、今なんです


【筆者後記】

英語で「Trailblazer(トレイルブレイザー)」という言葉がある。先駆者という意味で、新しい道を開拓してきた人を形容する際に使われる。浅岡さんの取材を終えて思い浮かんだのが、この言葉だった。男女雇用機会均等法が制定される前から弁護士として活躍し、社会に貢献してきた浅岡さんの話を聞くことで、自分の未来に勝手に壁をつくらず、挑戦する勇気が湧いた。

筆者も9月3日、横須賀石炭火力発電所の裁判の口頭弁論を傍聴した。気候変動の影響を示す証拠が裁判所で次々と語られるのを初めて見て、改めて気候危機が社会の問題となっていることを実感した。傍聴者は高齢者中心だったが、どういう議論が尽くされているのか知る重要性も感じた。

経産省の第6次エネルギー計画のパブリックコメント(意見募集)は10月4日まで。自分の消費行動、投票行動、行政との関わり方によって、未来の社会はつくられる。変化は必ずひとりの行動から始まるということを忘れずに、できることをやっていかなければならない。

(文・大倉瑶子


大倉瑶子:国際機関や国際NGOで、インドネシア、ミャンマー、ネパール、アフガニスタン、パキスタンなどの気候変動・防災事業に従事。慶應義塾大学法学部卒業、ハーバード大学ケネディ・スクール大学院で公共政策修士号取得。記事は個人の見解で、所属組織のものではありません。

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