Kimberly White/Getty Images; Samantha Lee/Insider
メールチンプ(MailChimp)への入社が決まった人に、採用担当のマネジャーが繰り返し言ってきたことがある。「社員への株式の付与は行いません。でも、弱い者のために戦う会社の一員になれます。また、経営陣は決して会社を売ったり上場させたりしません」というものだ。
創業者たちは、自分たちが死ぬまでメールチンプの経営陣であり続けると誰にでも話し、買収のオファーをいくつも断ってきたことを自慢していた。
「絶対に身売りをしないというのがこの会社ではずっと言われてきたことです。この考えを社員はずっと吹き込まれてきました」と匿名を条件に今回インタビューに答えたメールチンプのある元社員は言う。
しかし、創業者2人はメールチンプを売却した。ターボタックス(TurboTax)などを販売する財務ソフトウェアの巨人であるインテュイット(Intuit)は、9月13日にメールチンプを120億ドル(約1兆3200億円)相当の株式と現金で買収すると発表した。これにより、創業者2人はアメリカでもトップクラスの億万長者となった。
社員はこの件について、メッセージやSlack、ツイッターなどでショックと怒りを表した。裏切られた気分であり、また、創業後20年でのこの高額買収案件で恩恵を受けられるのは、メールチンプのトップのみだという内容だ。
本稿は現社員と元社員数人から聞いた話を基にしている。元社員は全員、ここ1年間で退職している人たちだ。
最近退職したある社員は言う。「怒りに震えました。メッセージも大量に届きましたし、メールチンプ元社員のSlackのチャンネルも荒れましたね。長期間頑張って勤めて、会社をここまで大きくするために汗をかいた人たちのことを考えると、信じられない気持ちでいっぱいです」
どんなスタートアップでも、上場したり買収されたりした際に、手にするお金には格差があるものだが、特に創業者が平等主義をしきりに説いていたメールチンプでは、今回の溝はかなり大きいという。
「偽善的過ぎます。たくさんの人が頑張って働いたから、120億ドルもの価値の会社になったんです。でもほとんどの社員にまったく見返りはないわけです」ともう一人の元社員も言う。
共同創業者のベン・チェスナット(Ben Chestnut)とダン・カージアス(Dan Kurzius)がメールチンプを創業したのは2001年。主に法人向けのサービスとして、ウェブデザイン事業の周辺ビジネスとして始めたものだった。苦しい状況の小規模事業者を、メールマーケティングを通して助けることをミッションとしていたが、結局それよりもはるかに大きな成功を収めた。2007年にはユーザー数が1万を突破し、経営陣は法人向け事業から撤退した。
モットーは「弱い立場の人に力を貸そう」だった
ITバブル崩壊直後に起業した2人は、「シリコンバレーらしくない会社である」ことに誇りを持っていた。
約1200人の社員を抱えるメールチンプは、アトランタに拠点を置いており、インテュイットの買収後もそれは変わらない。ベンチャー・キャピタルからの投資額が話題になるIT業界で、メールチンプは成長よりも収益性を重視し、外部からの資金を受け入れてこなかった。
その結果、2人の創業者たちが会社の株のほとんどを握り、今回の売却でそれぞれ50億ドル(約5500億円)ほどを手にしたことになる。
「メールチンプのモットーは、『弱い立場の人に力を貸そう』なんです。でもこれでは、私たちがベンとダンにずっと力を貸していたようなものですね」とある元社員は言う。
9月15日、Zoom会議で社員に説明する共同創業者のベン・チェスナット(左下)とダン・カージアス(右上)。
Mailchimp employee via Ben Bergman
メールチンプを買ったのがインテュイットという金融サービス大手だったということに特に怒りを感じているという社員もいる。9月15日の午後、インテュイットのCEOであるササン・グダルジは社員の懸念を和らげようと、チェスナットとカージアスと一緒に全社員を対象にZoomの会議を開催した。
「メールチンプは何年も、強い者に戦いを挑む精神でやってきたのに、売却相手は無料で税申告をできるようにすることを阻止しようと20年間アメリカ政府にロビー活動をしていた会社です。誰でもお金を積まれれば抗えないということでしょうね」とある元社員は言う。
また、売却が発表された後のチェスナットの声明にも、誠実さが感じられないと怒りを感じているという。
「今回の買収、またその内容についてお客様にメールしました。内容はこちらをご覧ください」
「ここまで来るのを助けてくれた1200人以上の素晴らしい社員たちには感謝でいっぱいです。本当に特別な成果を出すことができたのは、社員一人ひとりのおかげですし、だからこそ次のステップに行こうと思います。社員の皆さんが学んで成長し、キャリアアップできることを楽しみにしています」
「空気が読めてなさ過ぎましたね。あれはまずい」と元社員は言う。
Insiderへの説明で、メールチンプは社員への報酬が公平でなかったとは考えていないと反論した。
「過去9年間、社員の401(k)(確定拠出年金)には、何百万ドル(数億円)も投資してきました。これは拠出額が年間で最高25%にもなるということです」と広報担当はメールで回答した。
また、インテュイットは2億ドルの制限付株式をメールチンプの社員に発行しており、今回の買収には、3年間かけて支払われる3億ドル分のボーナスも含まれているとも指摘した。
しかし、ここ数年で退職した多くの社員にとっては恩恵を受けることのない話であり、現社員から見ても、このボーナスの額は買収額全体のたったの2.5%であり、1人当たり年間8万3000ドル(約913万円)にすぎない。
少額とは言えないまでも、スタートアップの創業期から頑張ってきた社員がベンチャーの投資を受けた際に通常受け取る、人生を変えるような巨額のリターンを考えると、少ないと言わざるを得ない。例えば、2013年にツイッターが広告テック・プラットフォームのMoPubを3億5000万ドル(約385億円)で買収した際には、社員100人中36人が一夜にして億万長者となった。
これまで、メールチンプの社員は株式ではないベネフィットを受け取ってきている。ストックオプションではなく利益シェアという形で、会社の401(k)のマッチング拠出を最大額にしたり、特定の業績目標を達成すると基本給の10〜15%の「臨時ボーナス」を支給されたりした。
「これで確定申告を可能な限り面倒にするためにロビー活動してる会社で働くことになるのか」
「メールチンプの株をもらえなかったことについてはそんなに気にしてない。株をもらってもリターンがあることの方が少ない(今まで働いてきた他のたくさんのスタートアップではリターンが出たことはない)。自分は年間のボーナスと年金拠出のマッチングの方がいい。でも、誰かに売り渡す気はないっていうから入社したのに」
「毎年401Kの拠出額が保証されているのはよかったです。他に働いたことのあるスタートアップでは、最終的に株価がゼロになってしまったので」と元社員は言う。
こうしたボーナスにも批判はある。社員に対する役員の説明では、このボーナスは日ごろの頑張りへのねぎらいではなく、太っ腹な創業者からのプレゼントであるとのことだった。
2014年から2020年までメールチンプのCOO(最高執行責任者)をしていたファラ・ケネディ(Farrah Kennedy)は、会社の利益シェアについて説明する2015年の会社のブログ投稿に「入社初日から、会社の気前の良さに驚きました。これはベンとダンの創業者2人のお金ですから、それを気前よくシェアしてくれるのはすごいことです」と書いている。
売却されることになると知っていたらこんなに続けなかったのに、と話してくれた社員もいる。
ある元社員は言う。「会社を売ろうとしているんだと知っていたら辞めてると思いますよ。創業者が高額で売却するつもりだと分かっているのに、株をもらえない会社で働こうと思わないでしょう」
株を付与された人も
不公平だという気持ち以外にも多くの社員が感じているのが、数十人ほどのシニアの人たちを含めた、バイスプレジデント以上の人たちには株を付与するという極秘のポリシーがあったのではないか、ということだ。
3月にデリバリーサービス大手のインスタカート(Instacart)に転職したホイットニー・ホーマンズ(Whitney Homans)はメールチンプでシニアのポジションを務めていたが、株を付与された社員もいたと9月14日にツイートしている。
「表立ってどれだけ怒りを表すべきなのかまだ悩んでいるけど、制限付株式以外にも、株を付与された社員は何人かいたことは心に留めておくべき」
コメントを求めたもののホーマンはコメントを差し控えるとした。メールチンプの広報は、株を持っていたのは創業者のみで、役員には標準的な繰延報酬の制度が適用されていると言う。
また、今年3月、Insiderはメールチンプ社内で人種差別や性差別、報酬の格差などが存在し、公平性に欠けるとして、多くの女性や非白人がメールチンプを退職したことについて報道したが、彼女たちの退職について、今でも釈然としない社員もいる。
2020年初めから、Cレベルのポジションで女性2人、チーフ情報セキュリティ・オフィサー、バイスプレジデントの女性1名、またディレクターやシニア・ディレクターのレベルの女性や非白人が少なくとも8人と、メールチンプではシニアのポジションにいた女性や非白人の退職が相次いでいた。
「半年前に名指しで役員の不適切行為についての記事が出て、会社のカルチャーが大問題になっていた矢先に売却するということは、彼らはその報いを受けないということになるわけです」とある社員は言った。
(翻訳:田原真梨子、編集:大門小百合)