目に留まった動植物を撮影し、自分だけの生物図鑑を作る。
まさに「リアルポケモン図鑑」ともいえるスマホアプリ「Biome」を開発し、生物多様性の保全をビジネスとして自立させようとしているベンチャー企業がある。
京都大学発のベンチャー企業・バイオームだ。
「生物データのグーグル」目指す
バイオームの藤木庄五郎代表。
取材時の画面をキャプチャー
「自分の周りには何も自然がない」
都会に住んでいると、ついそう感じてしまいがちだ。しかし周囲を見回してみれば、ちょっとしたところに昆虫や植物などが見え隠れしているものだ。思いのほか、自然と触れあうことはできる。
バイオームの藤木庄五郎代表は
「わざわざ泊まりがけでキャンプに行かなくても自然はあるんです。例えば、お昼休みに散歩したときに体感できるような、ライトなアウトドアにも目を向けてほしいと思っています」
と、アプリの開発意図を語る。
アプリのリリースから2年以上たった2021年9月の段階で、累計ダウンロード数はすでに約32万件となった。
Biomeでは、撮影した動植物の写真をAIによって自動で判定。種名を確度と合わせて提案してくれる。
アプリにはSNS機能もあり、登録した写真に対して「いいね!」やコメントをもらうこともできる。撮影した生物の種名がAIで判別しきれない場合は、ほかのユーザーに質問して解決することも可能だ。
アプリで生物を判定する一連の流れ。基本的にはアプリの起動後、位置情報が含まれる写真を撮影(あるいは既存画像から選択)するだけ。動物か植物か選択すると、AIが自動で候補となる種名を提示してくれる。近所にいたネコを撮影したところ、「イエネコ」と判定された。なお、きのこなどの菌類は判定できない。
Biomeのアプリをキャプチャーして、編集部が作成。
生物の写真を投稿すればするほどアプリ内での「レベル」が上がったり、「クエスト」として課題の生物を収集して「バッジ」を獲得したりと、まさに「ポケモン」のように、ゲーム感覚で普段は見過ごしていた身近な自然の再発見を促す仕組みもある。
「生き物を探すという行為が、余暇の過ごし方の一つであり、人生を豊かにする方法になってほしいなと思ったんです」 (藤木代表)
SNS機能を持たせたり、ゲーム仕立てにしたことには意味がある。
「『環境は守らなければいけない』というモチベーションでは人はなかなか動きません。それよりも、ワクワクするとかコレクションしたいとか見せびらかして自慢したいとか、もっと感情に訴えかけるサービスにしたほうがいいと思いました」(藤木代表)
楽しんで生物を収集していくことで、ユーザーには自然に生物の多様性の面白さや重要性に気付いてもらう。加えて、ユーザーが集めた写真データはそのまま生物のビッグデータとしてビジネスに活用する。
「起業を決めたときから、生物のデータをとにかく多く集めて使える形にしていこう、『生物データのグーグル』になろうという気持ちがあったんです」(藤木代表)
Biomeで網羅している動植物は約9万3000種。国内の動植物はほぼすべて網羅している。
藤木代表は、「動物ならダニからクジラまで、幅広く扱っています」と胸を張る。
生物種を判定するために開発したAIには、動植物の画像情報はもちろん、生息環境や時期などの生態的地位(ニッチ)と呼ばれる情報も学習させている。撮影した場所と日時、それに加えて環境状況を考慮すれば、膨大な生物種の中からある程度絞り込んだ上で判定できるからだ。
なお、生息データなどを判定に活用していることから、自生していない園芸植物や、動物園・水族館にいる海外の珍しい動物の写真。さらに、本来その土地にいない外来生物の判定精度は低くなる傾向にある。
「自然が豊かな場所」という新しい評価基準を
アプリ上にはいくつものクエストがある。クエストごとに、対象となる生物の見つけやすさなどに応じて難易度が設定されている。クエストによっては、似ている生物種との見分け方や、探索する上でのコツなども紹介されており、生物多様性に興味を持つきっかけが散りばめられている。
撮影:三ツ村崇志
アプリ「Biome」は、ユーザーに対する課金システムもなければ広告もない。
キャッシュポイントの1つとなっているのが、企業や市民団体、環境省などの行政組織に対する「クエスト」の販売だ。
例えば、企業や行政がある生物種の生息情報を知りたい場合に、バイオームを介してユーザーに「クエスト」を発行。ユーザーは、ターゲットとなる生物を探し、撮影・投稿することでゲームのようにクエストの攻略に挑む。企業としては、ユーザーから生物データを集めることができる。
実際、環境省と連携した取り組みでは、温暖化の影響で分布が変わった生物の調査にアプリを活用している。
ただし藤木代表は、企業などがクエストを発行するモチベーションは、何も生物データが欲しいからだけではないと語る。
「『観光資源は少ないけど自然だけはある』という自治体で、その地域の生き物に関するクエストを作り『生き物スタンプラリー』のような形で観光ツアーにして人を呼び込もうとすることもできます」(藤木代表)
鉄道事業者との取り組みでは、さまざまな駅を移動しながら生物を探すクエストを実施した。
「一般的に駅の価値は乗降者数で測られるものです。ですが、地方の今までぱっとしなかった駅が、『実は生物が豊かでめちゃめちゃいい駅なんだ』というように、別の基準で駅を評価するためにクエストを実施しました」(藤木さん)
京都市内の小学校では、GIGAスクール構想の一環としてタブレットにバイオームのアプリを入れ、クエストにチャレンジする中で環境について学ぶ取り組みも実施している。
生物データの売買だけではなく、「生物の多様性を知る試み」そのものに価値が見い出されているわけだ。バイオームとしても、データ以外の付加価値の提供を意識しているという。
環境保全が儲からなければ、環境破壊は止められない
ボルネオ島で伐採した木を運んでいるようす。
提供:バイオーム
藤木代表はもともと、京都大学の大学院で生物多様性の定量化技術の開発をしていた。
博士課程取得後に研究の道に進まず起業に踏み切ったのは、大学院時代に調査のために東南アジアのボルネオ島で合計2年半ほど過ごした経験が大きく影響してのことだ。
「現場にいる中で、ボルネオ島の方々が生きるために木を切っている様子を目の当たりにしました。環境を破壊するほど儲かる仕組みが支配的になっていて、止めようがない。『環境を守れば儲かる社会』にしなければ、環境は守れないことを強く実感しました。
そのためにはNPOではなくビジネスにしないといけない。だから、株式会社を作るしかない。自分たちが儲けることが大事だと思ったんです。実績ができれば競合も出てくる。そうやってこの分野がビジネスとして盛り上がっていくんじゃないかと思います」(藤木さん)
そこで藤木代表がまず考えたことが「データ化」だった。
「データは、新しいビジネスを生み出す一番のインフラになると思ったんです」(藤木代表)
ただ肝心のデータを集める手法が課題だった。
世界の誰もが持つスマホをセンサー代わりに
ボルネオ島での調査時のようす。現地の方とコミュニケーションを取る中で、生物多様性を保全する上での課題を実感していった。藤木代表は左から4人目。
提供:バイオーム
現状、取れるあらゆる手段を駆使している状況ではあるものの、ボルネオ島の人々の暮らしを見た経験から、スマホを観測端末にする構想が浮かんだという。
「冷蔵庫もテレビもないのに、ボルネオ島のジャングルの奥地に住む人でも、なぜかスマートフォンだけは持っているんです。わざわざ発電機を調達し、基地局を立ててSNSをやっているんです。スマホは世界中のほとんどの人が使っています」(藤木代表)
日本国内の都心部から、ボルネオ島のジャングルの奥地まで、あらゆる場所にいる人のスマホをセンサー代わりにすることで、これまで集められなかった世界中の生物のビッグデータを集められる可能性がある。
それを「環境の保全」を目的にするのではなく、個人が楽しんでいたら勝手に保全につながるようなサービスとして提供することができれば……。
こうして、徐々に今のアプリの構想に近付いていったという。
ボルネオ島のようす。熱帯雨林などの植物の多様な生態系の裏には、さらに動物たちの多様な生態系が広がっている。
提供:バイオーム
創業当初は資金調達をしようにも、銀行や投資家から「そういうこと(生物多様性の保全)は趣味でやればよいのでは」と門前払いされることも多かった。
それでも2年間、めげずに挨拶回りを続けて行く中で、事業の価値を信じてくれる会社や投資家が現れ始め、総額1億1000万円を調達することに成功した。
さらに2020年頃からは明らかに社会情勢も変わってきたと、藤木さんは実感している。
「投資家や企業などからは『今一番熱いことをやっているね』という目で見てもらえるようになってきました。数年前には考えられなかったことです」(藤木さん)
2021年6月には、企業の活動が自然環境に与える影響の情報開示を求める国際イニシアチブである自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が正式に発足。
今後、その評価のために必要な生物データの価値が国際的に高まっていくことは間違いないだろう。
生物多様性は地球のインフラ
作物の受粉を媒介するミツバチが絶滅すると、多くの作物が失われる可能性があると言われている。
Photografiero/Shutterstock.com
世界の生き物は過去50年で全種類の3分の2が絶滅していると言われている。そして一度失われてしまった生物の多様性は、2度と取り戻せない。
自然は守らなければならないもの。生物多様性は保全しなければならないこと。
そこに異論がある人はいないだろう。
しかし、これまでの社会は、その重要性を分かっていながらも、本当の意味でそれを守ろうとしてこなかったのかもしれない。
生物多様性の保全はなぜ必要なのか。改めて藤木さんに問うと、こう返答があった。
「一番抽象的に言うと、人類の生存のためです。生態系のバランスが崩れれば、病気が流行るようになったり、食料供給(農業など)に問題が生じたり、人類の生存を脅かすことが想像にたやすいんです。
生物多様性は地球のインフラであり、ある程度のところまで生態系が崩れるともう戻れなくなります。そうなると、生態系が崩れたことで生じる問題が永続的になってしまいます。だからこそ、急いで守っていかないといけません」(藤木代表)
※バイオームは、サステナビリティ経営に取り組む企業を表彰するBusiness Insider Japanのアワード「Beyond Sustainability2021」のNext Comingにノミネートされています。ノミネート企業23社の中から受賞した5社が登壇するオンラインイベントが、10月4~8日に開催されます。詳しくはこちらから。