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8月30日、米軍がアフガニスタンから撤退を完了し、「アメリカにとってこれまでで最も長い戦争が終わった」とされているが、20年に及んだアフガニスタン戦争が本当に終わったと言っていいのかはまだ分からないと思う。
撤退の段取りの杜撰さ、同盟国との調整のなさ、タリバンの力を見誤ったことに加え、ISIS-Kの自爆テロもあり、この1カ月、バイデン政権は国内外から非難された。ただ私は、撤退自体は必要な決断であり、時間の問題だったと感じる。
アメリカのアフガニスタン政策がうまくいっていないことは国民にも広く知られていた。特に2019年12月9日、「アフガン復興担当特別監察官室(Special Inspector General for Afghanistan Reconstruction: SIGAR)の聞き取り調査を集めた文書がワシントン・ポストに暴露されたのは一つの節目だった。
ベトナム戦争中の1971年にニューヨーク・タイムズが公開した「ペンタゴン・ペーパーズ」にかぶせて「アフガニスタン・ペーパーズ」と呼ばれるこの文書を読むと、歴代米政権の米軍幹部らが、うまくいっていないアフガンでの戦況について、偽りの説明を繰り返していたことが分かる。そこには現地の米軍リーダーシップや、国防総省、国務省の関係者の間では、2010年の段階で、アフガニスタン戦争は失敗であるとみなされていたと書いてある。
米同時多発テロの衝撃の中で始まったアフガニスタン戦争には、2400人以上のアメリカ人兵士の死という犠牲と膨大な軍事費を注ぎ込んだ。ブラウン大学の「戦争のコストプロジェクト(Costs of War Project)」は、これらの費用の総額を2兆2600億ドル(約247兆円)と見積もっている。
20年前に比べればテロの脅威もその恐怖の記憶も薄れている今、「これ以上、アメリカ国民の税金をアフガニスタンに投入し続けることが国益なのか?」という疑問を多くの国民が抱くのも理解できる。実際、撤退直前の世論調査では、撤退に賛同する国民は半数を超えている。
撤退は誰かがやらなくてはならなかったことであり、むしろ遅すぎたという見方もある。今、バイデン政権の決断や段取りの悪さを責めること以上に重要なのは、ブッシュ、オバマ、トランプという3人の前任者たちを含め、これまでのアメリカのアフガン政策を包括的に振り返り、検証することではないだろうか。
怪物の正体も分からず突入した戦争
2001年9月11日、ニューヨークのワールドトレードセンターやワシントンDC郊外にある国防総省(ペンタゴン)に、アルカイダのメンバーによってハイジャックされた飛行機が次々と突撃した。
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2001年9月11日、私はニューヨークの国連近くのオフィスにいた。今年は20年目ということで、9月11日には例年以上に当時を振り返る映像が流れ、自分自身、あの日見たこと、経験した感情、街の雰囲気などを思い返すことになった。毎年繰り返されてきた儀式だが、今年は特にアフガニスタンが再びタリバン支配下になったということもあり、思うことの多い1日だった。
時期を合わせて公開されたNetflixのドキュメンタリー「Turning Point: 9/11 and the War on Terror」も見た。多くの友人たちが絶賛していた通りの力作で、5時間以上の作品ながら一気に見てしまった。最初の1時間は、9月11日のニューヨークとワシントンの映像、現場にいた人たちや遺族の証言がメインで、生々しく、見るのが辛かった。タワーが崩壊するシーン、逃げてくる群衆とは反対方向に、崩れたタワーに向かっていく消防士たちの姿は、もう何十回も見ているはずなのに、鳥肌が立ち、涙が出た。
見ながら思ったのは、あの日を境にアメリカにいた人々が経験した感情は、とても幅広く、変わりやすく、混乱したものだったということだ。当初のショックが引き起こしたのは、パニックと恐怖。その後に悲しみと喪失感がきて、それゆえに同情心、団結感が生まれ、お互いを癒やしあおう、励ましあおうという雰囲気に包まれた。
ニューヨークでは行方不明者も多く、多くの消防士や警官が亡くなり、ワールド・トレードセンターでは廃墟が燃え続け、死が街を覆い尽くしている感じだった。ジュリアーニ市長は、とにかくみんなでこの痛みを乗り越えよう、隣人に親切にしなさい、負けずに平常の生活に戻るんだと呼びかけ、それが多くの市民の心に刺さった。あのように強い共感や隣人愛のようなものに結ばれたアメリカを見るのは、私は初めてだった。
でもその後、あっという間にアメリカを支配するようになったのは、それとは全く別の激しい感情だった。怒り、復讐を求める心だ。最初は怯え、泣いていた人たちがどんどん好戦的になり、国旗を振りかざし、1960-70年代の歌が連日ラジオから流れ、ベトナム戦争時代を懐かしむような雰囲気が生まれた。普段温厚な友達までもが、「Something has to be done (然るべき処置がとられなくてはならない)」と、武力による報復を鼻息荒く支持するのを聞くようになった。
毎年9月11日が近づくと、「We will never forget」というメッセージがいたるところで見られる。写真はニューヨーク公立図書館。
筆者撮影
テロから1年経った2002年の9月に、私は、寄稿したオーストラリアの日本語新聞「日豪プレス」にこう書いている。
「今回の報復戦争、アフガニスタン空爆について明快に決断を下したブッシュ政権、そしてそれを熱狂的に支持するアメリカ国民を見ていて、私が何度も疑問に思い、未だに分からないでいることの一つに、『この人たちは、ベトナム戦争をどう消化しているのか』ということがある。
テロの少し前、アメリカでは映画『地獄の黙示録』 が再公開され、話題になった。ベトナム戦争を題材にした映画は数多くある。そして制作から20年以上経って再公開され、未だに話題になるほど、 『地獄の黙示録』は見られている。 ということは、あの映画の言わんとしていることを一応理解し、納得しているアメリカ人が多いということではないのか。
なのに、『アフガン戦争についてどう思いますか」』と聞かれた市民が、『ベトナム戦争は間違っていたけど、今回は間違っていない』『ベトナムは私たちの戦争でなかったかもしれないけど、今回は私たちの戦争だ。私たちの国土が攻撃されたのだから』などと答える理屈が分からなかった。 アメリカ国土が攻撃されたのは確かだ。でも、 アメリカは今回も自分たちの国土の上では戦争を行っていない。
ニーチェは、『誰であれ、怪物と戦うものは、 その過程において自らが怪物にならぬよう注意するべきである』と言った。『地獄の黙示録』が言っているのはつまりはそういうことだ。アメリカは、何をもって勝利とするかを定義することもなく、怪物との闘いに入ってしまった」
今思えば、あの時は一種の集団ヒステリーと呼んでいい状態だったと思う。それまで経験したことのないショックの中で、恐怖と怒りがそれ以外の感情を凌駕し、アメリカを支配してしまった気がする。
アメリカを“変えた”2つのポイント
2003年3月、米軍の空爆によって始まったイラク戦争。フセイン像はイラク市民らの手によって引きずり倒された。
REUTERS PA/FMS
「Turning Point」を見ながらずっと考えていたのは、「アメリカは、どこで間違ったのか」ということだ。私が思ったことは、大きく2つある。
1つはパニックのなかで、通常であれば考えられないような大統領への権力の集中を許してしまったこと。2001年9月14日に議会で決議されたいわゆる「AUMF(Authorization of Use of Military Force)」は、「国家、組織、人物」に対し、大統領が「必要かつ適切な有形力」を使うことを認める決議で、事実上、武力行使に対する白紙手形だ。この決議は上院で98対0、下院では420対1というほぼ全面的な支持を得て通過した。
このとき、たった1人反対票を投じたのが、カリフォルニア州選出のバーバラ・リー下院議員(民主党)だが、「軍事行動によってさらなるテロを防ぐことはできない」という彼女の訴えは聞かれることがなく、むしろ彼女はその後、無数の脅迫の的となったという。今軍事行動を支持しないなんて、愛国心のない裏切り者だ、と。
この時のことを語る彼女の言葉は、「Turning Point」の中でも重要な役割を果たしている。今振り返ると、人々が強い感情に支配され、平常心を失っている時に、冷静に理性的な判断を下すということがいかに難しいことかをつくづく感じる。
もう1つは、世界を絶対的な善と悪に、白と黒に分けて見るという姿勢だ。この、「一方が絶対的に正しく、もう一方は絶対的に間違っている」という善悪二元論な世界観は、今日のアメリカ社会の深い分断にもつながっていると感じる。
アメリカ国土が攻撃されたのは真珠湾以来、しかも911の標的は権力と富の象徴であるニューヨークとワシントン。アメリカの心臓を刺されたも同然だった。大統領はじめ政権関係者はもちろんのこと、一般市民にとっても、その衝撃はこれまで経験したことのないものだったし、超大国のプライドが1日にしてズタズタにされた。
当時のブッシュ大統領は、テロから3日後の9月14日に「“Our responsibility to history is already clear: to answer these attacks and rid the world of evil.”(歴史に対する我々の責任は既に明白である:これらの攻撃に応え、世界から悪を排除することだ)」と言った。「善と悪との戦い」、自分たちこそが絶対的な善であるという世界観が大々的に打ち出された瞬間だ。さらに、11月には、「You are either with us or against us(われわれの側に着くのか。そうでないなら、テロリスト側に着くということだ)」という今となっては有名な言葉を述べた。
このような Black and White な世界観があまりにも短絡的でニュアンスを欠いているという批判は当時もあったが、声が圧倒的に大きかったのは、ブッシュ的な見方をする人たちだった。この時を境に、自分たちが理解できないものに対する不寛容の時代、「安全」の名の下に、暴力を暴力で抑えつけることを正当化する時代が始まったと思う。
「War on Terror」は「対テロ戦争」と訳されるが、単にテロリストとの戦いにとどまらず、「我々を恐れさせるものは全て悪であり、攻撃される前に叩くべきだ」という姿勢を生んでしまった。結果的にこの20年はアメリカを、以前よりも恐怖に怯えた、自由の制限された国に変えた。
またイラク戦争の顛末、グアンタナモ収容所やイラクに設けたアブグレイブ刑務所における拷問などの非人道的な行為は、アメリカの道義的リーダーシップを傷つけ、国際的により孤立させることになった。「Us vs. Them(我々対彼ら)」という、世界を二分して捉える姿勢は、国際社会を分断しただけでなく、アメリカ国内にまでも亀裂を生んでしまった。結果、アメリカは国として強くなるどころか、弱くなったと言えるだろう。
何が“勝利”だったのか
米同時多発テロの首謀者とされ、米軍によって殺害されたオサマ・ビン・ラディン。
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アメリカによるアフガニスタン攻撃は、タリバンが同時多発テロの首謀者オサマ・ビン・ラディンを匿い、アルカイダ関係者の引き渡しを拒んだという理由で始まった。この頃、ブッシュ大統領はじめ政権関係者たちは「We are determined to win this war(我々はなんとしてもこの戦争に勝つという決意をもっている)」とよく言っていた。
今疑問に思うのは、この時彼らは何をもって「勝利」と考えていたのだろうということだ。タリバン追放だったのか、ビン・ラディン殺害だったのか、アフガニスタンの国家建設・近代化・民衆の生活の向上だったのか。あるいは国際的テロの撲滅が最終目的だったのだろうか(そんなことが可能だとして)。
アフガニスタンからのタリバンやアルカイダの追放が目的だったなら、それは最初の数カ月で達成された。ブッシュ政権はタリバン政権崩壊に満足し、その後の国家建設の任務は主に国連に託され、これ以降、アメリカのアフガニスタンでの任務は曖昧になってしまった。そして2011年のビン・ラディン殺害によって、米軍がアフガニスタンに駐留し続ける理由はまた一つ減った。
バイデン大統領は7月8日のスピーチで、「我々は国家建設のためにアフガニスタンに行った訳ではない。アフガニスタンの指導者たちは、力を合わせ、自分たちで未来を作っていかなくてはならない」と述べている。
これについて、2019年の「アフガン・ペーパーズ」の執筆者の1人であるワシントン・ポストのクレイグ・ウィットロックは、こう指摘する:
「ブッシュもオバマもトランプも、公に『我々はアフガニスタンで国家建設をしている訳ではない』と述べてきたが、どの人も、程度の違いこそあれ、我々がアフガニスタンで国家、政府組織、軍を作り上げようとしているのだということを承知していた。それこそがまさに我々のやっていることだと」
国家建設が目的でなかったとしたら、なぜアメリカはこれほど長く駐留したのか。何を達成したら「勝利」と考えていたのか。この疑問に対して、バイデン大統領も3人の前任者たちも明確に答えてはいない。
米軍撤退前後に、数多くのアフガン駐留経験者たちが自らの経験に基づいて発言したり書いたりしているのを読んだが、その中の1人、引退した軍人であるマイク・ジェイソンという人物が「アトランティック」に寄せた「我々はアフガニスタンで何を間違えたのか」という寄稿の中で、こう表現していたのが印象的だった。「アフガン戦争は、まるで筋書きのない本(a book without a plot)のようだった」と。場当たり的で、つぎはぎだらけで、全体を貫く戦略や目的意識というものが欠けていたと。
かたや、タリバンの求めていた「勝利」は明快だ。かつてソ連を追い出したように、アメリカをアフガニスタンから追い出すこと。そして、それを彼らは達成した。
歴史を振り返ると、冷戦時代、ソ連に抵抗すべくムジャヒディン(ジハードに参加する戦士)を支援していたのはアメリカであり、その中から出てきたのがアルカイダであり、オサマ・ビン・ラディンだった。そしてソ連が撤退したアフガニスタンで勢力を拡大したのがタリバンだった。2001年にアフガニスタンから追い出されたタリバンは、その20年後にアメリカをアフガニスタンから事実上追い払ったのだ。
アフガン撤退がもたらすインパクト
バイデン大統領はアフガニスタンからの米軍撤退の正当性を主張したが、その過程、結果に対しては内外から批判を浴びている。
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このたびの撤退がアメリカにもたらすインパクトは、大きく分けて3つあると思う。
1つ目は、アメリカの国際的リーダーシップ、道義的威信に傷がついたということ。これは前述の通り、今始まったことでもない。ブッシュ大統領のイラク戦争、オバマ大統領のリビア政策、シリア政策の失敗、さらにトランプ大統領の4年間でのソフトパワーの低下など、既にマイナスが積み重なった上での、このたびのアフガン撤退だった。
2つ目は、バイデン大統領が同盟国からの信用を失ったこと。トランプ時代にアメリカに対する同盟国、特に欧州諸国の信用には大きく傷がついてしまったが、彼らはバイデン政権になれば、アメリカはまた元に戻ると期待していた。特にバイデン大統領は、上院でも長年外交委員会のキーメンバーを勤めてきた人物だ。今回の撤退時の段取りの悪さを見て、失望した同盟国は多かった。
9月3日のBBCは「Afghanistan crisis: How Europe's relationship with Joe Biden turned sour(アフガニスタン危機:いかに欧州とバイデンの関係がまずくなったか)」と題する記事を打ち、撤退にあたってアメリカが同盟国との調整を十分に行わなかったために、非アメリカ人の避難で国際的な混乱を招いたことを指摘、ドイツ、フランス、スウェーデンはじめ、欧州の多くの関係者の批判的なコメントを載せている。
その1人、フランス元欧州問題担当相のロワゾー氏は「欧米関係はバイデン政権で元に戻るだろうというのは幻想であり、もう元には戻らないことに気づかされた。それをEUは明確に自覚する必要がある」と述べている。
このあたりは、日本にとっても他人事ではないのではないだろうか。アメリカは、例えば今後の東アジアの安全保障を考えた時、本当に信頼できるパートナーといえるのかどうか。
3つ目は、バイデンに対する国民の信頼低下だ。アフガン撤退前後に行われた各種世論調査を見ると、大統領支持率はダメージを受けている。8月初旬のキニピアク大学の世論調査で46%だった支持率は、9月には42%に低下した。
ただ、この支持率の低下は、バイデン政権にとって命取りにはならないだろう。なぜなら、この調査でも、アフガニスタンからの撤退は、54%が「支持」と回答しており、民主党支持者の間では「支持」が85%にものぼっているからだ。
アメリカの共和・民主両党は、既に2022年の中間選挙に向けて動き出している。共和党としては今回の失態を責めたいところだろうが、撤退はそもそもトランプ大統領が進めた話であり、国民がアフガニスタンに興味を失っており、駐留延長を支持していないことは共和党もよく分かっている。
アフガニスタンはアメリカ帝国の墓場になるのか
2021年8月26日、カブール空港近くで起きた自爆テロによって多くの死傷者が出た。
REUTERS TV
かたやイスラム原理主義「ジハーディスト」たちからすれば、このたびの米軍撤退はアメリカの敗北、自分たちの勝利だ。2021年4月、BBCとのインタビューで、タリバンのリーダー、ハジ・へクマートは、「私たちが戦争に勝ち、アメリカは負けた」と断言した。
アフガニスタンは、「帝国の墓場」というニックネームを持つ。古代ギリシャ、モンゴル帝国、ムガール帝国、19世紀以降の大英帝国、1979年に侵攻したソ連など、アフガニスタンを征服しようとした帝国は、ことごとく失敗し、その後帝国としても衰退しているためだ。
では、アメリカにとっても、このたびの撤退が「アメリカ帝国の終わり」の引き金になるのだろうか?
アメリカ帝国の衰退は、すでに2008年のリーマン・ショック、金融危機あたりから始まっている。あるいは2001年かもしれない。しかしアメリカの軍事的、経済的パワーというパッケージを考えると、ソ連のようにアフガン撤退から2年足らずで体制自体が崩壊するということが、アメリカに起きるとは考えにくいだろう。
アメリカのベトナム撤退後を振り返ってみると教訓があるかもしれない。ベトナムでのアメリカの失敗は、ソ連やその盟友たちを元気づけ、大胆にさせた。彼らはアフリカや中米に積極的に乗り出し、1979年のアフガニスタン侵攻もその一環だった。国際政治では、力の真空状態が生まれればそのまま保たれるということはなく、自分のものにしようとする者が必ず現れる。
「アメリカ・ファースト」はトランプ氏の言葉だが、オバマ・バイデン両氏も、実は、アメリカ国外での米軍の関与を減らしたいという姿勢では共通している。トランプほどあからさまにエゴイスティックな言葉を使わないだけで、根底にあるのは、直接アメリカの国益にならないことには手を出したくないという考え方だ。2013年、オバマ氏は、「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言している。そして、その言葉のほんの数カ月後、ロシアはウクライナとシリアに軍事的に介入している。
この20年で何を得て何を失ったのか
タリバンによって拘束されたISISメンバーと見られる人物。アフガニスタン国内でもテロ活動は収まることはない。
REUTERS/WANA (West Asia News Agency)
毎年9月11日が近づくと、アメリカでは、「私たちは決して忘れない(We will never forget)」という言葉が合言葉のように使われる。これを聞くたび私が疑問に思うのは、「私たちは『何を』忘れないというのだろう?」ということだ。この20年、テロとの戦いを通じて、私たちは何かを得、何かを学んだのだろうか?
911のメモリアル特集を見ていると、過去20年間アメリカ本土で大型テロが起きていないことを、アフガン戦争の功績であるとする人々が少なからずいた。多分それは正しいのだろう。あの時アルカイダとタリバンを強硬に攻撃しなかったら、複数のテロが起きていたのかもしれないとは思うし、実際私も、この20年、ニューヨークやワシントンで一度も大型テロが成功していないことを驚きに感じる。2001年のテロ直後は、こういうことが今後いつ起きてもおかしくないと思っていたから。
でも、テロリズム自体がなくなった訳でも、テロリストがいなくなった訳でもない。イギリス、フランス、スペイン、ベルギーなど欧州、トルコ、アフリカ、東南アジア、インドなど多数の地域で、イスラム過激派や右翼過激派によるテロが毎年のように起きている。
中東の不安定度も収まるどころか悪化している。レバノン、イエメンなどにおけるサウジアラビアとイランの代理戦争。ISISの発生。シリアやイラクの内戦。ビン・ラディンは殺したかもしれないが、アルカイダに影響を受けたテロリスト・グループは増殖し、世界中に分散し、より対応が難しくなっている。
ISISが示す通り、テクノロジー面でも、コミュニケーション能力の面でも、テロリスト集団は洗練されてきている。そして、ISIS-Kが、今やタリバンを「穏健すぎる」と非難しているように、これらの集団は、ますます過激化、先鋭化している。
そして、もう一つ指摘しておくべきことがある。アメリカ国内でのアメリカ国民によるテロが頻発しているということだ。イスラム教徒、ユダヤ教その他の宗教、マイノリティに対する憎悪に基づいた暴力や大量銃撃事件は後を絶たない。2019年5月には、FBI高官が国家安全保障委員会で「911以来、より多くのアメリカ国民が、外国のテロリストではなく、国内のテロリストによって殺されています」と述べ、衝撃をもって受け止められた。
20年前の9月11日、最初の旅客機がワールド・トレード・センターに突入してから、2機目の攻撃まで17分の空白があった。「Turning Point」を見ていて、その17分間のことを思った。1機目の突入後、テレビを見ていた私たちには、何が起きたかすぐには分からなかった。最初は「変なの」「事故かね」などと思い、タワーが煙を噴く様子をボーッと見ていた。「テロ」という言葉が出たのは、2機目の突入の後だ。その呑気さが、今では信じられない思いがする。
911の記憶がまだ生々しい2003年夏に、ニューヨークで大停電が起きた時、私たちが反射的に思ったのは「またテロ?」ということだった。今日、アメリカのどの都市であれ、飛行機が高いビルに突っ込んだというニュースが流れたら、誰もが即座にテロの可能性を考えるだろう。そのくらい、この20年で、世界も、私たちの感覚も変わってしまった。あの17分は、今振り返ると「失われたイノセンス」だった。
(文・渡邊裕子)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny