自伝『再生』(仮)を上梓した緒方恵美さん。
撮影:ERIKO KAJI
2022年にデビュー30年を迎えるのを前に、声優の緒方恵美さんが初の自伝本『再生(仮)』(KADOKAWA)を出版しました。
生い立ち、表現の世界に惹かれ、挫折しながらも、やがて声優やライブ活動に邁進——。これまでの人生を、自らの私生活や仕事での困難・葛藤も合わせて赤裸々につづっています。緒方さんの人生とともに「平成アニメ史」をふりかえる——。読む人をそんな体験に誘います。
ところが30周年を目前にして世界はコロナ禍に。緒方さんのライフワークであるライブ活動やアニメーションの現場は、未曾有の事態を迎えています。これまでのキャリアを振り返りつつ、今のエンタメ業界を覆う危機について緒方さんに聞きました。(聞き手:吉川慧)
「死ぬほど打たれて、死ぬほど転んできました」
東京・池袋の「EVANGELION STORE TOKYO-01」に展示されているエヴァンゲリオン初号機
撮影:吉川慧
—— 20代でデビューされた緒方さんですが、2021年は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開され25年以上にわたり碇シンジ役を務めたシリーズが完結。来年はデビュー30周年の節目ですね。
「すべての『始まり』」が『幽☆遊☆白書』の蔵馬役だったと自伝につづりましたが、「表現すること」を仕事にしようと確信を持ったのはいつ頃だったか。
まぁ「確信を持って」と言うと、もはやいつなのかちょっと不明ですが……(笑)
ただ、高校のときに1回芸能関係の仕事をやりかけて、それを先生に止められて。学校で芸能活動は禁止ですと言われた辺りで意地になった。「止められるんだったら、やってやろう」と思ったのがスタートだったと思います。
一旦仕事をいただき始めたところで止められたので「これは……止められなければイケるってことでは?」という高校生らしい“勘違い”がきっかけでした。
——「根拠のない自信」みたいな感じですか。
でも、どんな職業の方でもそうかもしれないですね。
「できるはず」「できそう」という根拠のない自信を持って、その職業に就こうとしませんか。
それで、最初にその根拠のない自信がぶち破られて「あぁっ……」と衝撃を受ける。「こんなはずでは……」みたいな。
その根拠のない自信が壊されるとこからスタートするんじゃないかな。そうしないと上には行けない。根拠のない自信を壊され、「ちょっとは根拠もついてきたんじゃないか?」と思って、また壊され……。役者や音楽家はその中でも最たるものだと思っています。
私もはじめはミュージカルの世界を目指しましたが、その後に椎間板ヘルニアで挫折し、そこから声優の道に入りました。私自身も死ぬほど打たれて、死ぬほど転んできましたね……(笑)。
緒方恵美さんの自伝エッセイ『再生(仮)』
撮影:吉川慧
—— デビューされた20代から振り返ると、それぞれの年代ごとにどういった変化がありましたか。
もちろん変化はその世代なりにありました。けれど、どうでしょうね。あんまり「こうしよう!」と思っていたわけではなかった。「たまたま、今のところまで来てしまった」という感じですね。
20代のうちは、やっぱり「がむしゃら」にやらなければならないと思って。仕事は全てそうだと思うんですが、最初は「自分には何が向いているか」とか、分からないですよね。
たとえば『幽白』の蔵馬役ですが、声変わり以降の男子高校生を女性声優が演じるというのは、業界でもほぼ初めてのことでした。
実は声優になろうと思った段階では、自分としては「黒子」になるようなつもりでこっちの業界に来たのです。
でも「なぜ、いきなり顔出しで色々とやらなければならないのか」とかよく分からない状況になってしまっていたんですね。
ちょうどあの頃は「第三次声優ブーム」の走りで、声優グラビア雑誌が立ち上がったりした時代です。
『幽☆遊☆白書』と『セーラームーン』といった、文化をけん引する作品でデビューしたこともあり、「え、なんで私が被写体に……?」とずっと思っていました。
自分の声がアニメ向きの声だと思ったことも一度もなかったんです。全然キラキラしていないし、声優の仕事で言えば外画(洋画の吹き替え)の方が向いているかなって思っていましたから。
でも、要は「何に向いているか?」「自分がどうしたいか?」とかは、あてにならないというか。100%思った通りにはなかなかならないもの。
どこの誰が自分を認めてくれて、引っ張ってくれるか分からないですよね。「今やるべきことをこなす」「必死でやる」というのは、やっぱり必要だったんだなと。
「自分はこういう方向に進みたい」と思っていても、予想もしなかったご縁や運があった。そのおかげで私は今に至るというか。たまたま、ここまで来ることができてしまった……という話だと思っているんです。
「努力をしていなければ、チャンスをつかめない」
「エヴァンゲリオン」シリーズのグッズ
撮影:吉川慧
——30歳のとき、ちょうどTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』で碇シンジ役を演じられました。「美少女戦士セーラームーンS」のスタッフ・キャスト旅行で庵野秀明総監督との初対面をきっかけにオーディションを受けることになったと。
30代になると、普通の職種だと将来について少し落ち着いて考える時間があるのだと思いますが、私の場合は事務所から独立してフリーになって、色々な諸問題が降りかかってきた頃でした。
30代だから落ち着くとかいうことは全然なかったですね。結局、ずっと何かを必死でやっていた……みたいなところに変わりはなかったかな。
40代になって、はじめて少しずつ周りが見えてきたり……。苦しい中なりに、何かの方向性みたいなのが見えてきた。「あぁ、これでいいのかな」って思うことが増えてきたし、色々な方との新しい出会いもあったりして、大分楽になった感じはします。
もちろんご縁や運って、目の前で止まっていてはくれない。「流れ」がありますからね。その「流れ」にあまり逆らってもどうにもならないというか……。
チャンスはいつ回って来るかわからない。でも、それまでの間に何もやっていなければオーディションに受かるわけは絶対にない。かといって努力をしていれば、それが必ず実る世界でも絶対でもありません。
ただ、努力をしていなければ、チャンスが回って来たとき掴めないのは確か。そのことは新人の子にも話をしています。
だからと言って、自分が真面目に発声練習とかをずっとやってきたかっていうとそうでもないのですが……(笑)
「自分が大事にしていることを、下の世代に渡したい」
撮影:ERIKO KAJI
——緒方さんは無料私塾「Team BareboAt」を自ら主宰するなど、後輩や下の世代への技術の継承にも尽力されています。
実を言うと私自身は、若い人たちや後輩に表現の基盤を伝えることに関して、何かすごいモチベーションがあってやってるという感じでは全然ないんです。
お芝居って、発声や身体トレーニング以外は人に教えられるものではないなと思っているから。数学の計算問題のように、やり方を見せればみんな身に付くというわけではありません。なので、私自身は自分には教えられることが特にあるとは思えない。せいぜい「現実」くらいで。
ただ、「これはやっておかないとまずい」と思う部分はあるので、それは私が教えるというより、お友達でもある、周りの講師の先生に手伝っていただいています。
今は……というかコロナ禍前までは、ある程度の感性を持って、ある程度の見た目が整っていて、芝居が素直でありさえすれば、何かしらのチャンスに引っかからなくはない…みたいな時代ではあった。
ただ、それだとこの仕事をずっと続けていくことはできないし、そんな感じでデビューしてしまったけれどと悩む若手を、近年たくさん身近で見てきました。
なので、自分がこの仕事をする上で大事に思っていることを、とりあえず、一応は下の世代に渡す機会を設けてみようかなと思ったというのが始まりです。
——なるほど。
今は演者も、色々な在り方がある。声優の仕事が多岐に渡っているので、入り方も様々。例えば動画投稿や配信が趣味だったり、ゲーム実況で有名になる方なんかが。そこから逆にこの世界に入って来る……みたいな。
そうは言っても当たり前ですが、王道的ど真ん中のお芝居はもちろん、音楽やダンス等、表現の基盤ができていないと、どうにもならない世界でもあります。逆に言えば、それができれば色々な方向性が考えられる時代なのかもしれないですね。
ただ、自分が歩んできた20代、30代の時よりも、いまの若い人はとても生きにくい時代になりました。ここ10年くらいで顕著になりましたが、コロナ禍に入っては更に。
そんな中で、道を示してくれる人が国のリーダーたちにはいない。若い人たち、特にエンタメを志す人たちは、これから先どうやって生きて行けばいいのか……。
芝居・ライブの世界を襲ったコロナ禍
撮影:吉川慧
——エンタメ業界、特に緒方さんがライフワークにされているライブ、アニメーションの世界はコロナ禍で大きな影響を受けています。
本当に大きな打撃です。だからといって今はこちらから動けるターンではないですからね。
ただ、本当は国が、もうちょっとちゃんとやってくれないと困る……と思うことも多々あるんです。
この1年以上ずっとそうでしたけど、ウイルスと戦うことは仕方がない。みんなが新しいルールの中で生きていこうとしています。
でも、そのルールの中で生きるための支援がうまく回らない現実がある。それが繰り返され、この先どうなるのか分からない状態です。
——都市部だけでなく地方もライブイベントの開催は難しい状態です。オンラインのライブイベントを開いても、配信の機材や感染対策などで費用は嵩みます。チケット収入だけで全てを賄うのも難しい……。
エンタメはどの業界にも先んじて最初から自粛してきた。それがずっと続いてる。コロコロと変わる情勢で、ライブ1つ開催するのも難しくなりました。国の補助金もあるにはありますが、申請してもいただけるまでに時間がかかりすぎるんです。
現状一番メインのエンタメ業界への支援が、「コロナ禍で潰れたイベントの数だけ、その主催者が次に開くイベントの制作費の半額を補助する」というものなんですが、それを頼りにイベントを企画し、補助金の申請するとします。
ただ、その肝心の最初の補助金がなかなかこない。そうこうしているうちにその「次のイベント」がまた様々な宣言の元潰れたりする。ではその次に、前に申請した補助金制度は使えるのかというと使えなかったり、使えても更に支給が遅くなったり。その繰り返しなんです。
補助金の制度や提出する書類も複雑で、何度もやりとりをするうちに経費だけがかさんでいき結局諦めたり、使える制度が複数あってもなかなか進まず……例えば私の会社では、最初の申請案件が最近になってようやく1つだけ支払いまでたどり着いた、という有様。
お金もないのにどうやって次の企画を仕込んでいけばいいのか。仕込むのにも準備が必要で日数もかかりますし……。
撮影:ERIKO KAJI
——ワクチン接種も広がりつつありますが、収束の目処はいまだ、不透明です。
たとえば「来週には緊急事態宣言が解除されます」と言われても、すぐ何かできるわけではありません。ライブも芝居も、仕込みには時間がかかります。
そして、解除されたと思ったら、そう時間を経ないうちにまた緊急事態宣言に入ったり……。
そのたびにライブが中止になれば「公演がなくなったのでギャラは無しです」と言われるミュージシャンやスタッフのみなさんはどうやって生活をするのか。弊社案件はなるべく補償をお出ししていますが、その分自社は苦しくなります。
本当は私たちの業界は、こんな時こそ世の中に対して一番ポジティブなメッセージを出していかなければならない。
でも、我々自身、この先の生計が明確ではない。「生きていてくれて、ありがとう」ぐらいのメッセージしか言えなくなっている歯がゆさがあります。
——もはや、続けることすら難しい状態になっている。
今年の春くらいから、状況は更に厳しくなりました。公演本体の資金繰りだけの話ではなくなってきたからです。
例えば、お稽古をするのにスタジオをレンタルしようとしても、たくさんのスタジオやイベントスペースが休業したり、潰れたりしています。都心部・80平米以上のスタジオに限れば、肌感覚では8割閉まりました。
運よくスタジオをレンタルできても、稽古場の密を避けるために使用人数制限がかかる。例えば今までだったらスタッフ・キャストで30人は入っていた100平米のスタジオに「11人まで」とか。そうなるともっと広い場所を探さなくてはならず、稽古の費用もこれまで以上にかかってしまう。
今まで「1時間3千円台」で稽古場をレンタルできたのが、今では「1時間1万5千円」はザラ。コストは5倍。そもそも芝居小屋やライブハウス自体がどんどん閉館に追い込まれていて、やる場所自体を見つけるのが困難に。
信頼しているスタッフさんも、生活ができないからと辞めてしまわれる方も沢山います。そうなると主催は奔走し、できれば同じくらいかもう少し上のギャランティを提示しつつ、やってくださる方を何とか探します。
でも、せっかくスタッフに入っていただいても、急に状況が悪くなり、肝心の公演が中止になってしまったり……。正直心が折れます。お金はもちろんですが、みんなの心身の疲労が限界になりつつあるのです。
まだ私は収録物の仕事もあるので、そこで得た収入から補填をして何とかやっていますけれど、もちろん限界はあります。今はいろんな会社さんが持ち出しで大変な思いでやられています。
この国の政治家のみなさんはこの先、この国をどういう風に舵取りしようとしているのか。方向だけでも光を提示していただければなんとか頑張れる。でも現状さっぱり分からない。
我々はもちろんですが、若い人材を育てられない・育てにくい状況の中、この先、どうやって進んでいけばいいのか、生きていけばいいのかが見えない。
新人声優のチャンス激減、アニメの宣伝機会も減少「影響は数年後に来る」
撮影:ERIKO KAJI
——アニメーションの世界への影響はどうでしょうか。
コロナ禍は声優の世界にも影響を与えています。その中でも若手の声優は本当に大変です。
例えばアニメーションの世界には、長い歴史の中でつくられた新人を育てる仕組みがありました。
新しい作品に新人を起用しつつ、その周りに経験値のある役者を集める。みんなで芝居を掛け合う中で、その子たちが少しずつ成長できるんです。
だけど、いまは感染防止のため一緒に声を録れません。そうなると育てようがないんです。
アフレコブースでは、文字通り先輩の背中から学べることがたくさんある。だけどそれを見る時間もないし、こちらも教えてあげられる時間がない。そうなると音響監督が手取り足取りやることになりますが、それだけでは難しいときもあります。生の芝居の掛け合いからでしかわからない「感覚」があるから。
そうなるとどうなるか。育てられない新人を起用するより、「掛け合いの記憶」がきちんとある、既に信頼おける人とで作ろうとする。新人のデビューのチャンスが圧倒的に減っていくんです。
——そんな事態が起こっていたとは……。
もちろん新人だけではなく、既にデビューしている若手にも影響はあります。
例えば、アニメーション作品を1つ撮るとしましょう。
これまでだと、収録の曜日と時間帯が大まかに決まっている例が多かったんですね。特定の曜日で午前・午後2つの時間帯(午前10時スタート・午後4時スタート)という風に。
オーディションの募集も、これまでは収録枠に合わせていました。例えば「この作品は水曜日午後4時スタートで収録するので、この枠が空いている人」という風に。
でも、コロナ禍の今は感染防止のため個別に収録するので、「抜き収録」(掛け合わずその人の部分だけをまとめて短時間で録る)が多くなり……逆に言うと1人の役者が、同じ時間帯の作品をいくつか掛け持ちできてしまうようになった。
今までだったら「この人気役者さんが入れないから、次点候補の役者さん、成長を加味して3番手の役者さんにしてみようか」という判断もできたんです。トップじゃない人たちが入って、経験を積む場所があった。
でも、コロナ禍ではそういう場も奪われて、下の世代が入れる機会が圧倒的に減ってしまっているんです。
この影響は2〜3年後にはアニメ業界、声優業界には必ず表われると思っています。「次世代のトップ」が現れにくい、育ちにくい環境になっている。これがいま、声優業界で一番やばいことだと。声優事務所も音響監督さんたちも、みんな分かっている。
でも、分かっていても、どうしようもできない。だから、しばらくは諦めるしかないね……という状態になってしまっている。その間、失うものは大きいです。若手はもちろん、我々も。
今のアフレコは、時間でスタジオ入りしたらすぐブースに入って、録音して、はいお帰りくださいと流される。監督はじめスタッフの皆さんや、同じ作品に入っている他の役者との交流がなくなっている。
——演者同士やスタッフとのコミュニケーションも難しくなっている。
以前なら「この役なんですけど、どういう風に考えたらいいですかね?」みたいな話を、監督と現場でお話しながらコンセンサスを取ってやることができていました。ところが今はそれも難しい。とりあえず経験値をもとに頑張るしかない。
作品にまつわるオンラインのイベントがあっても、演者同士のトークで「アフレコどうですか?」「いや、みんながどういう風にやっているのか。どうなっているのかわからないですよね…」みたいな話になりがちで。
ちょっとしたことですが、迷いがとれると良くなるものは色々あります。コミュニケーションがとれないことで、少なからず作品にも影響がでていると思います。
——コロナ禍で、アニメーション作品の宣伝や広報も難しくなっていると聞きました。
そうですね。例えば今までだったら、東京ゲームショウやAnime Japanといった大規模なイベントがありました。
みなさんお目当ての会社や作品があっても、会場をぐるぐる回っていると「あ、これも面白そう」と、自分が知らなかった新しい作品に出会えるきっかけがあった。でも、いまはその機会が減ってしまいましたよね。
オンラインでフェスをやっても、ずっと張り付いて見続ける人は、そうそういません。結局、自分のお目当てのものしか見なくなりがちです。
そうなると特定のビッグコンテンツばかり注目されがちに。「あれ?今期、他になにやってたっけ」と思う人も増えてしまうのかなと。
このままだと新しい作品や新しい人材、技術を育てる土壌も失うし、場所も失うし、何もかもが…それが本当に恐いなと思っています。
エンタメをとりまく状況はとても厳しい。困難な時代はまだまだ続くでしょう。でもとにかく今はできることを、みんなで頑張るしかないと思っています。
(取材・文:吉川慧)