撮影:伊藤圭
10年ほど前、名古屋市のコンサルティング会社に勤めていた土岐泰之(40)は、夕方長男を保育園に迎えに行き、帰宅して一緒に夕食をとりながらたずねた。
「今日何して遊んだ?」
長男は笑顔で答えた。
「忘れた」
土岐は苦笑しつつ、「写真でもあれば、子どもに見せて『この時、何してたの?』とたずねることもできるけどなあ」と残念に思った。
この小さな出来事が、人生を変える最初の一押しになるとは、この瞬間の土岐には知る由もない。
保育士の負担激減させたソリューション
ルクミーの午睡チェックサービスは、保育園の午後の睡眠時間中、子どもの体の向きを自動で確認、記録する。
ルクミー公式サイトよりキャプチャ
土岐が2013年に創業したユニファは、保育園児の写真をネット販売する「ルクミーフォト」から事業をスタートさせ、現在はICTなどデジタル技術を活用した保育業務全般の効率化、働き手の環境改善に取り組んでいる。
事業の柱である「ルクミー」は、家庭と園がやり取りする連絡帳アプリや、乳幼児の午睡時に体動を検出するセンサー、保育士の勤務シフト作成ツールなど多くのサービスを統合した、保育業務の基幹となるパッケージソリューションだ。利用件数は1万件を超えた。
「江東湾岸サテライトスマートナーサリースクール」(江東区)は、ルクミーを導入している認可保育園だ。昼下がりの「お昼寝」の時間、カーテンが引かれた室内で、0~1歳の園児がぐっすり眠っていた。お腹につけられたボタン型のセンサーが、5分おきに子どもの体の向きも検知し、専用アプリがデータとして記録する。園児のうつぶせ状態が続くと、保育士の持つタブレットに専用アプリからアラートが発信される仕組みだ。
有明テニスの森駅近辺に位置する「江東湾岸サテライトスマートナーサリースクール」には、200人を超える園児たちが通う。
お昼寝中の事故を防ぐため、自治体は午睡時の呼吸や体の向きをチェックするよう保育園に求めている。記録がない場合、指導監査の対象になることもある。同園ではセンサー導入前、保育士が5分もしくは10分おきに子ども全員の体の向きを、手書きの矢印で記録していた。ぐずる子、起きてしまった子の相手をしつつ、各家庭に渡す連絡帳なども書きながらのチェックは、大きな負担だったと園長の武田愛真は言う。
同園では、連絡帳アプリも導入。その日の活動や食事の献立など全園児に共通する部分は自動的に反映され、保育士は各園児の様子など個別に知らせる内容を、タブレットで入力すればすむようになっている。
「連絡帳もすき間時間に入力できるようになり、保育士が交代で休憩を取る余裕も生まれました。親も、より安心して子どもを預けられるようになりました」
一連のデジタル化によって、保育士の事務作業量は半分から3分の1に削減できたという。残業が減って職員の定着率が高まり、「以前は保育士の大半が結婚退職していましたが、今は出産後、自分の子どもを園に預けて復帰する職員も増えました」と、武田は語る。
「何より良かったのが、作業が減った分、職員が園児やご両親と向き合う時間が増えたこと。職員と子どもたち、親、みんなの笑顔も増えました」
土岐によると、センサーの製品化は試行錯誤の連続だった。
「赤ちゃんが嫌がらない形を探して、腹巻きは、バッジは、といろいろ考えました。やっと試作品を作ったのに赤ちゃんが泣いてしまい、『ダメか』ということも多々あり、最終的にボタン型に落ち着きました」
厚生労働省によると2018年、保育士資格を持つが保育の仕事に就いていない人は約95万人と、保育の仕事に就いている約60万人を上回る。保育士不足が叫ばれる一方で「潜在保育士」も多いのだ。
土岐は「子どもの命を預かる責任を負いきれないという負担感が、人手不足の大きな要因」と指摘する。
「ICTの活用で、保育士の心理的な負担は軽減され、人手不足の解消にも貢献できるのではないでしょうか」
保育士の満足度が子どもの笑顔につながる
保育士の仕事は多岐に渡り、時間をとって子どもと向き合うことすら難しいことも多い(写真はイメージです)。
maroke / Shutterstock.com
保育士は「帰れない、休めない、持ち帰りが多い」職種とも言われる。保育園は、手書きの掲示や手作りのおもちゃなどを良しとする風土が根強い。仕事のすべてに「温もり」を求めるあまり、デジタル化も遅れてしまった。
ユニファのシステムを導入する「モデル園」の中には、月当たりの業務時間が65%減った園もある(※ユニファ調べ)という。
土岐はこう説明する。
「ICTの活用で保育士の作業も楽になる。その分、アナログの良さを生かせる仕事にも、より多くの時間を割けるようになる。デジタルとアナログは二者択一ではなく、役割分担できるのです」
保育士からは、仕事の持ち帰りや休日出勤が解消されたという声のほか、「仕事に余裕ができたので、園児が初めて靴を履く瞬間を急かさず見届けて、写真も撮ってあげられた」という声もあった。
「これこそ、保育士たちが本当にやりたかった仕事だと思うんです。子どもたちを抱っこしたり、見守ったりできる時間が増えれば、保育士にとってもやりがいや成長実感も高まるはずです。保育士の満足度を高めることは、子どもたちの笑顔を増やすという、最終的な目的達成にもつながります」(土岐)
また、保育園の運営者は従来、園舎や遊具などハードへの投資で園の差別化を図ってきた。しかし土岐は、
「少子化の中で『選ばれる園』になるためには、ICTや人材への投資によって、保育の質を高めるべき」
とも強調。ICTを活用して保育の質を高める「スマート保育園・幼稚園・こども園」という構想を打ち出している。
データ企業としてウォズニアックも高評価
撮影:伊藤圭
ユニファは、家庭が支払う写真代金の一部を、保育士の待遇改善に還元している。2021年からは、保育園の運営者や保育士を対象に、先端事例や学識者の講義などを提供する研修サービス「ルクミーみらい保育スクール」も始めた。待遇改善とキャリアップの仕組みづくりが、担い手のやりがいを高め、業界に人材を呼び込むことにつながるとの考えからだ。
「保育士への還元を増やしたいし、将来的には園長先生や保育士に、当社の株主になってもらいたい。当社が成長すればするほど、保育の現場で頑張る人たちも潤うという、エコシステムを作りたい」
土岐は2017年、世界最大級のスタートアップピッチコンテスト「Startup World Cup」で優勝し、アップル共同創業者のスティーブ・ウォズニアックから「0歳児のバイタルデータを持つ会社は、世界に他にない」と高く評価された。
アップルの共同創業者、スティーブ・ウォズニアックは、土岐が優勝したStartup World Cup 2017にスペシャルゲストとして登壇し、コンテスト賞金の授与も行った。
提供:ユニファ
ルクミーに載せられる子どもの日常写真や成長の記録、身体の発達度合いなどのデータが多ければ多いほど、親子、夫婦、そして祖父母などとの「話のネタ」も増える。土岐が冒頭考えたように、子どもに写真を見せて、「この時、何してたの?」とたずねることもできるようになる。土岐が目指すのは、ICTの活用によって「家族のコミュニケ―ションを豊かにする」ことだ。
「共働き世帯は、子どもと関わる時間がどうしても少なくなります。保育園に蓄積された子どもたちのデータを、家庭の会話や健康管理に活用してもらう。保育園と家庭が、一緒に子どもを見守るプラットフォームを作りたいのです」
「シリアルアントレプレナーになる気は全くなく、家族というテーマで人生をやり切るつもり」だと語る土岐。しかし冒頭の、子どもが保育園に通っていた時期は、家族のために外資系コンサルティング会社のキャリアを捨てて愛知県に転居し、「人生のテーマ」も見つからないという、宙ぶらりんの状態だった。次回は、彼の「テーマ探し」の軌跡を追う。
(敬称略、明日に続く)
(文・有馬知子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)