撮影:伊藤圭
土岐泰之(40)は創業4年目に入ったころ、業務の合間を縫って計10日間、エプロンを締めて、クライアントの運営する保育園などに実習に入った。
土岐はそれまでも、自分の子どもたちを保育園に預けていたし、保育士の姉から実状を聞いてもいた。ユニファの経営を通じて、業界全体の課題もある程度、把握してはいた。しかし、「保育士の痛みを知るには、現場を見るしかない」という思いが募っていた。
「疲れ果てても次の日はやってくる」
保育園で実習した土岐が痛感したのが、忙殺されるような余裕のなさだった(写真はイメージです)。
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土岐に実習の感想をたずねると、返って来た返事は「とにかく、ものすごく疲れました」。
それまで何ごともロジカル、かつ流ちょうに説明してきた彼が、この時ばかりは当時の苦労を声ににじませた。
「慣れないせいもありますが、何ごとも体力勝負。子どもと園庭を駆け回り、自分は食事をとる時間もろくになく、保育が終わったら日報を書いて、疲れ果てても次の日はやってくる」
子どもたちがいる間は、おむつを替える、着替えさせる、食事の世話をする……といった、目の前の仕事で精一杯。園児に顔を覗き込まれ、「先生、疲れてるね」と言われたこともある。「ばれてるな」と土岐は思い、子どもと笑顔で向き合うことの大変さを痛感した。実習が終わった後、疲労に加えて園児たちに風邪までもらって、2、3日寝込んだという。
ただ土岐は実際に現場に立ち、他の保育士の話も聞いて「頭を使う仕事と、記録のための仕事には、ICT化の余地が大きい」ことにも気づく。
連載1回目で紹介した手書きの「午睡チェック」や連絡帳記入に加え、動き回る子どもたちをつかまえて、一人ひとり検温・記録するのも地味に手間がかかる。さらに園長は、勤務希望と保育士の配置基準の複雑なパズルを組み合わせ、膨大な時間とエネルギーを費やして勤務シフトを作っていた。
現場での経験を踏まえて、土岐はネット写真販売から、保育業務全体のICT化へと事業のかじを切る。
後発なのに急成長を実現できた訳
ルクミーの料金体系は、フォトサービスや連絡帳などを含む基本プラン月5000円に、午睡チェックやシフト管理などそれぞれの園が必要とするサービスをオプションで追加することができる仕組みだ。
ルクミー公式サイトよりキャプチャ
こうして開発されたのが午睡チェックシステムや、体温を数秒で測って自動的にアプリへ記録する非接触の体温計、勤務シフトの素案をAIが自動生成するシステムなどだ。さらに2019年、ユニファは連絡帳アプリや家庭へ連絡事項を一斉配信するシステムなど、保育のICT事業を他社から買収した。
写真販売やうつぶせ寝防止ベッド、業務管理アプリといった単体のサービスを提供する業者は、実は相当数存在する。特に写真販売については、ユニファは後発と言える。
しかし、ユニファの強みはこれらすべてを1社でカバーしたことだ。
「IoTに自社だけで取り組むのは限界がある。国内外から優れた製品を探し出し、当社のシステムに載せ、サプライチェーンを回す。苦労はあるが、やり抜けば課題解決に圧倒的な力を発揮し、保育園だけでなく両親や祖父母の皆さんまで応援してくれる」(土岐)
ユニファが創業から10年にも満たないうちに、計100億円の資金調達を実施したのも、「突き抜けたソリューション」のため、思い切った開発投資や企業買収を図っているためだ。
現場での経験は、事業の転機の大きなきっかけだったと、土岐は振り返る。
「保育の仕事に何が必要か、という多くの気づきを得られました。また現場と距離が離れると、『当社目線』で製品を作り、お客さまに負荷をかけてしまうこともある。お客さまのために行動するという原則を再認識できて、経営の羅針盤にもなりました」
子どもの「非認知能力」伸ばすICT
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土岐は現場で働いて改めて、保育士たちの「予測する力」の偉大さにも気づいたという。
3歳児以上のクラスには、20人以上の園児がいることも珍しくない。保育士は多くの子どもたちの相手をしながらも、ケガにつながりそうな動きを察知し、危険そうな場所に目配りしていた。
「それに加えて、園児の興味や関心の在りようも常に観察し、今日虫の絵本に興味を持ったら、明日は虫取りに行くなど、彼らの喜びそうな遊びを活動に盛り込んでいました」
土岐はICTを活用することで、保育士がこの「予測する力」をさらに発揮できるようになる、と期待する。
いくら保育士が注意を研ぎ澄ましても、一度に見られる子どもには限りがある。しかし、例えば子どもたちを撮影した画像や映像から、子ども一人一人の行動は分析できる。それによって画一的なカリキュラムではなく、パーソナライズされた保育や教育を提供できるのではないか。
「グローバルな社会を生きる子どもたちに求められるのは、自分の好きなことに集中して取り組んだり、そこに友だちを巻き込んだりする『非認知能力』だと言われます。ICTを使えば、保育士が子どもの『好きなもの探し』をもっと手助けできるようになります」
「発熱の前兆」ベテラン保育士の勘を可視化
現場で働いたからこそ、保育士たちの「予測する力」をリスペクトしていると土岐は語る。
撮影:伊藤圭
ベテラン保育士たちは、子どもの顔色や動き方、食欲などから「具合が悪そうだ」「熱を出す前兆かも」など、体調の変化まで予測してしまう。土岐はこの「勘」をも可視化し、保育だけでなく医療にも生かそうとしている。
午睡チェックや検温、排便の記録などから、今日この子は寝返りが多いし排便の回数が多い、体温も高めだ、と言った体調変化がデータで示される。将来的に、これらのデータを自治体の予防接種記録や母子手帳の情報、小児科医の電子カルテとつなぐことで、小児科医の診断に役立てることもできるのではないか。ユニファはこうしたコンセプトで、ルクミーに記録される身体データの医療分野での活用も検討している。
「保育園には、いろんな人にとって価値のあるデータが豊富に蓄積されています。保育士と親、医師ら必要な人が共有することで、子どもの健康や学びに深く踏み込んだ価値を提供できるはずです」
土岐は「我々やろうとしていることに対する、今の達成度は1合目にも来ていない」ときっぱり言う。ルクミーのシステムを採用している保育園は全体の2割弱、大半の園はまだアナログのまま運営されており、保育データと医療・教育との連携も緒に就いたばかりだからだ。
しかしこれらすべてが実現してもなお、そこが「頂上」ではないという。土岐がさらに先に描く、壮大な未来像とは。
(敬称略、明日に続く)
(文・有馬知子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)