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ここ1週間で、中国不動産企業「恒大」の名前が多くの人にインプットされただろう。だが、日本に伝わる情報には時差があり、中国では既に「次の恒大」と目される企業の動向に関心が移っている。
恒大の債務問題は1年以上前からくすぶり続けていたが、今月に入って債権者が抗議活動を始め、「絵面」のあるニュースとして世界に広く伝わった。恒大自身が9月13日に「未曽有の困難にある」と声明を出したこと、そして中国政府が沈黙を続けていることで、大量の推測、憶測、シミュレーションが流れているが、日本で報道が増えた9月下旬以降、ファクトベースでは「子会社の一部事業停止」「トップの許家印氏が幹部社員に演説をした」といった局地的な動きにとどまる。
むしろこの週末は、カナダで3年近く拘束されていたファーウェイ(華為技術)の孟晩舟副会長が帰国したニュースの方が大々的に報じられ、中国の空港に降り立つ様子は国営放送で生中継された。
中国は10月1日から1週間の国慶節休暇に入ることもあり、その間は事態が急転する可能性は低い(9月29日にドル建て債券の利払い期限を迎えるが、こちらは30日の猶予期間がある)。
ということで、「恒大が大変なのは分かったが、全体が頭に入ってこない」人のために、中国の不動産業界の説明を軸に、なぜ「恒大」がはしごを外されかけているのか、2回にわたって解説する。
政府の沈黙で悲観論拡大
恒大が危機を認める声明を発表した9月13日、本社には多くの債権者が抗議に詰めかけた。
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中国の不動産企業は以前から、借り入れによって資金を調達し、規模拡大にまい進してきたため、巨大債務は当たり前だった。その常識が変わったのは2020年夏。市場の過熱を抑えるため中国人民銀行が「3つのレッドライン」と呼ばれる3指標(負債の対資産比率70%以下、純負債の対資本比率100%以下、手元資金の対短期負債比率100%以上)を示し、基準をクリアできない企業の資金調達を制限したのだ。
借り入れで運転してきた以上、その道を封じられた企業はデフォルト(債務不履行)に陥る。
2021年6月時点で、2~3指標に引っ掛かっていた恒大は基準をクリアするために、不動産の値引き販売などキャッシュ確保に奔走してきた。
2020年秋には格付け会社が恒大の評価を引き下げ、下請け会社への代金支払い遅延や、恒大が地方政府に救済を求めたとの噂が流れるようになる。
綱渡りの経営が続いてきたが、市場では「これだけの大きな会社だから、最後は政府が何とかするのではないか」との楽観論も強かった。しかし政府は動かない。
恒大は9月以降、過去に発行した社債の利払い日が12月末まで集中する。9月23日の人民元債の利払いはクリアしたが、年内の利払い額は社債だけで700億円を超える。
政府の支援がなければ恒大はデフォルトに陥る可能性が高い。
10年で4強の3社が入れ替わる戦国時代
恒大問題がこれほど注目されているのは、1社の問題ではないからだ。
中国のシンクタンクや調査会社によると、「3つのレッド」の数字が恒大より悪い企業は準大手で10前後ある。恒大が救済されないなら、既にデフォルトが起きている準大手以下の企業も救済されないだろう。
恒大は中国の不動産販売2位で、業界4強の一角を占める。残りの3社は販売額順に「碧桂園」「万科企業」「融創中国」となっているが、恒大危機を機に、碧桂園と融創も「次の恒大になるのでは」と警戒が強まっている。両社は今年6月時点で、3つのレッドのうちクリアできていないのは「資産負債比率」の1指標にとどまる。一定のキャッシュも確保できているが、融創は地方政府に助けを求める文書を作成しているとの噂が流れるなど、市場が疑心暗鬼になっている。
信用危機が加速して、碧桂園、融創まで影響が及ぶのが、この問題の最悪のシナリオになる。
碧桂園と融創が「第二の恒大」と警戒されるのは、万科を除いた3社が、この10年で勢力を急拡大した“下剋上企業”だからだ。
不動産業界で万科、恒大、碧桂園、融創の4強の顔ぶれは2016年から変わっていないが、2010年販売額ランキングを見ると、万科が1位で、恒大は5位、碧桂園は9位で、融創は上位30社にも入っていない。急成長を支えたのは、トップの強いリーダーシップと資金力、つまり借り入れである。
IT時代到来前、最もチャンスが大きかった業界
碧桂園、融創も日本で報道され始めているので、企業と創業者の歴史にも触れておきたい。4社の歴史から見えるのは、中国の高度成長が始まり、インターネット時代が到来する前夜において、不動産業界は、才気あふれた「持たざる者」にとって最もチャンスが大きい場所だったということだ。
4社のうち3社が、中国でいち早く発展した広東省で起業している。さらに万科の創業者を除く3人が貧困農家の出身であることも興味深い。
恒大創業者・許家印氏が貧困農家の出身で早くに母を亡くしていることは、今回の騒動を機にかなり紹介されているが、業界トップの碧桂園を創業した楊国強氏の生い立ちはもっと壮絶だ。農家の6番目として生まれ、17歳まで靴を履いたことも、新しい服を着たこともなかったという。
中国は文化大革命で大学入試が10年間中断したため、入試が再開した1977年、2年目の1978年には受験生が殺到し、この2年間の合格率は数パーセントだった。許氏と融創中国を創業した孫宏斌氏は共に1978年の入学者だ。許氏は、2017年に中国一の富豪になった後、生い立ちを話すようになり、「大学入試の再開で、人生が開けた」と語っている。
孫氏は農作業を手伝いながら勉強を続け、15歳で大学に合格。22歳で清華大学の修士を修了しており、当時の感覚で言えば神童と言ってもいいだろう。
3人は社会に出てからも苦労している。楊氏は碧桂園を創業するまで建設作業員をしていた。
経済特区に指定された約40年前は小さな漁村だった深セン。恒大は広東省の発展とともに成長してきた。
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大学で冶金技術を学んだ許氏は鉄鋼会社に就職したが、不祥事で会社を追われ、急速に発展した深センで就活をして商社に拾われた。
孫氏は新卒でレノボに入社し異例の昇進を遂げたが、社内の権力争いに敗れて追放され、公金を横領した疑いで4年間投獄された(後に無罪が確定)。
恒大の許氏を日本の経営者に例えると誰がしっくり来るのか考えてきたが、ダイエーの中内功氏(故人)が近い。許氏がサッカーやEVに大金を注ぎ込んだのに対し、ダイエーはプロ野球経営に参入し、本拠地の福岡でツインドーム構想をぶち上げた(結局バブル崩壊で実現しなかった)。
中国の不動産業界は、中内氏のような人物が数人いて、ダイエーが数社あるようなものかもしれない。ダイエーはイオングループに救済された。ダイエーの前に破たんしたヤオハンもやはりイオングループの傘下に入った。
中国の不動産業界も、この10年で窮地に陥った大手・準大手が何社かあり、より大きな企業の支援を受けたが、その支援も借り入れによって行われた。今はどこも自社の経営健全化に手一杯で、経営が悪化した同業企業を救済する余裕がない。救えるのは政府だけということになる。
次回は恒大の前に「不動産王」として世界の寵児になり、当局の方針転換で窮地に陥った大連万達集団や、社内の混乱で不動の首位から滑り落ちた万科に対し、なぜ恒大が拡大路線を走り続けたかを描く。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。