ドイツ北部ハンブルグ市内に設置された、メルケル首相の16年間の国家への貢献を称えるポスター。
REUTERS/Fabian Bimmer
9月26日投開票のドイツ連邦議会選挙(総選挙)は事前予想通りの結果に終わった。
本稿執筆時点で明らかになっている選挙管理委員会の暫定最終結果によると、社会民主党(SPD)が25.7%で第一党に、メルケル首相の所属するキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が24.1%で第二党に、春先まで世論調査をリードしていた環境政党・緑の党は14.8%と第三党にとどまった。
CDU・CSUが第二党になるのは2002年以来。得票率は結党以来最低の数字となった。
そのほか、産業界寄りのリベラル政党・自由民主党(FDP)が11.5%、極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)が10.3%、旧共産党系の左派党(Linke)が4.9%と続いた。
連立協議はまだまとまっていないが、SPD・緑の党・FDPの連立(通称「信号」連立)が有力視されており、したがって後継首相は現時点で、メルケル政権の副首相兼財務相を務めるショルツSPD党首が最有力候補と言える。
「信号」連立が成立すれば、メルケル引退とともにその所属政党であるCDU・CSUも表舞台からいったん消えることになる。
次期政権が直面するふたつの課題
9月26日投開票のドイツ連邦議会選挙で第一党の座を獲得した社会民主党(SPD)のショルツ党首。
REUTERS/Wolfgang Rattay
連立政権がどのような組み合わせになるにせよ、アフター・メルケルを担う次期政権が直面する課題は山積みだ。
なかでも最重要の課題はふたつある。政治・外交面について「対中関係の修正」、経済面については「域内再分配の再検討」で、何より前者への関心度は高い。
2018年10月にメルケル引退が報じられてから、次期政権が中国とどうつき合うべきかは幾度となく議論されてきた。
それほどに、メルケル政権の16年間でドイツと中国の関係は深まり、ときに「媚中(びちゅう)外交」(=中国に媚びを売る外交姿勢)とすら揶揄された。
しかし、それが自動車産業を中心にドイツ経済を押し上げたのも事実で、対中関係の緊密化はメルケル政権最大のレガシー(遺産)との評価もある。
一方でそれが次期政権にとって最大の重荷になる可能性も否定できない。
中国との「包括的投資協定」合意でドイツに批判
ドイツと中国の関係について、もう少し詳しく実情を見ていこう。
人権重視とされるメルケル首相の外交が、中国に対しては必ずしもそうではないことを明確に示したのが、EUと中国が協議を進めてきた「包括的投資協定」をめぐる騒動だった。
EUと中国はこの協定について2014年初めから長いこと協議を続けていたが、2020年12月末に突如として大筋合意に至った。
オンラインで開催されたその協議には、中国の習近平国家主席、EUのミシェル大統領、フォンデアライエン欧州委員長、メルケル首相、フランスのマクロン大統領など、文字通り中国とEUの最高権力者が集結した。
欧州企業の対中投資環境を改善させる包括的投資協定が、EUと中国にとっていかに重要であるかが一目瞭然の顔ぶれだ。
この大筋合意はさまざまな理由で国際社会から批判を集めた。
最もまずかったのはその露骨なタイミング。2021年1月に予定されていたバイデン政権発足の直前であり、またドイツが半年ごとの輪番制で担当するEU議長国を退く(2020年末まで)寸前のこと。
人権重視を標榜するバイデン政権が発足したあとで中国との関係を強化する協定を結べば、米中対立を基調とする国際関係の複雑化を招くという政治判断が働いた可能性は否めない。
またEU側でも、親中路線のドイツが議長国を務めているうちに協議を決着させたい思惑が働いた可能性がある。
何にせよ突然の大筋合意は「アメリカのスキを突いてメルケル主導で決めた」駆け込み合意ではないかとの批判がドイツに向けられることになった。
「人権よりもカネ」は続くのか?
9月27日(現地時間)に投開票の総選挙後、公の場に姿を見せたメルケル首相。
Fabian Sommer/Pool via REUTERS
ドイツと中国の深い絆を感じさせるのは、上記の協定合意の経緯だけではない。
例えば、2011年以降は2年に1度のペースで政府間協議が持たれ、毎年のように両国の首脳や閣僚が往来しており、そこで数多くの商談もまとめられている。
しかし、香港や新疆ウイグル自治区などの問題をめぐって中国の暴力性が注目されるなか、人権よりカネを重視していると批判されかねないこれまでの対中外交を維持するのは難しいように思われる。
そうした外交姿勢はメルケル首相だから首尾よく米中の隙間を縫って来られたのであって、政治資源に乏しい新首相のもとで同じことができるとは思えない。
EU(欧州議会)は先述の包括的投資協定について、人権重視の立場から批准を差し止めたままで、中国に対し厳格な態度を貫く方針。メルケル首相の在任中ですらそんな調子だ。
メルケル政権は近年少しずつ中国と距離をとろうとしているように見えるが、自動車産業を中心とする経済関係の密接さを思えば、容易には変われないだろう。
2020年もドイツメーカーが生産する高級車の3台に1台は中国で売られている。現実問題として、これほど食い込んだ市場を切り離すのには相当の痛みを伴う【図表1】。
【図表1】ドイツ3大自動車メーカーの2020年販売台数(単位は万台)。メルセデス・ベンツについては乗用車が対象。
出所:自動車メーカー各社資料より筆者作成
本来であれば、メルケル首相は16年の在任期間中に(対中関係に)厳格な線引きをして、意中の後継者にそれを引き継ぐべきだったが、結果として叶わなかった。
こうしてあとに残された中国に対する窮屈な外交環境は、アフター・メルケルのドイツ指導者にとって「負債」になるように思える。
「ドイツ一人勝ち」のはらむリスク
メルケル政権の16年間は危機(債務、難民、パンデミック)の連続だったが、とりわけ2010年代前半の欧州債務危機下で政権が示した「(EU各国の)自己責任論」は、金融市場の混乱や域内政治の右傾化を招いたとして批判も多い。
過去10年のドイツとそれ以外の国の経済パフォーマンスは歴然としている。自己責任のもとで広がったEU域内のこの大きな格差は深刻で、筆者には持続可能とは思えない【図表2】【図表3】。
【図表2】ユーロ圏の実質GDP(2009~2019年の平均)。
出所:Datastream資料より筆者作成
【図表3】ユーロ圏の失業率(2009~2019年の平均)。
出所:Datastream資料より筆者作成
シュレーダー前政権(1998〜2005年)で続いた地道な構造改革がドイツ経済の地力を底上げした影響は無視できないが、いずれにしても、単一通貨を共有する他の国々との格差が拡大し続ける状況は強い不公平感を生み、域内不和の温床となる。
自己責任論に傾斜することなく、域内再分配に前向きな姿勢に切り替えていけるかどうかは次期政権に問われる大きな課題だ。
ただし、メルケル首相は最後まで域内再分配に無関心であり続けたわけではない。
2020年、コロナ対応策として起案された経済復興のための共同基金「欧州復興基金」の合意に向け、基金設立に反対する「倹約4カ国」(オランダ・オーストリア・スウェーデン・デンマーク)の説得役を、メルケル首相は自ら買って出た。
「EUの歴史において最も深刻な危機には、それにふさわしい答えが必要だ」とのメルケル首相の発言(2020年5月)は、自己責任論をうたってきた従来の立場を180度くつがえすもので、「メルケル氏の180度ターン」と報じた地元メディアもあった。
問題は、次期政権がこの「180度ターン」を継承できるかどうかだ。
ドイツはEUの一員として「安い通貨」「東欧などからの安い労働力」「単一市場による円滑な商取引」から大きな恩恵を受けてきた。
もし周辺国が一斉に緊縮財政に勤(いそ)しんだら、ドイツの商品は域内で売れなくなる。輸出額の半分以上をEU域内向けが占めるドイツにとって、それは由々しき事態だ。
言ってしまえば、ドイツがドイツらしくいられるのは他の国がドイツではないからであって、次期政権はそのことを再認識する必要がある。域内共同債や域内共通財務省の設立など、再分配機能を強化するEU改革について議論をけん引することは、ドイツにとっても利益がある。
メルケル引退はEUの新たな時代の始まりでもある
ここまで、対中関係と域内再分配という2つのポイントにしぼって、ドイツ次期政権が直面する問題を見てきた。
問題はもちろんこれだけではない。自動車大国として脱炭素の潮流をどのようにけん引し、どのように産業構造の転換を図るのか。新時代のドイツがどのようなビジネスモデルを構築できるのか。
また、近年問題視されているドイツ国内の格差拡大にどう向き合うのか。昨今のアフガニスタンの不安定化を背景に、くすぶり続けてきた移民問題も無視できなくなる。
EUとしては、メルケル首相という「重し」を失うことで、意思決定の機動力が失われる懸念がある。「重し」のおかげで意見集約が図れていたところ、今後は各国がバラバラに好きなことを言い出す可能性もある。
イギリスが抜けて求心力を高めていかねばならないEUにとって、盟主ドイツのリーダーシップ低下は痛手だ。今回のドイツ総選挙を機に、EUもまた新時代に入るという認識を持ちたい。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文・唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。