デフォルト懸念が高まる中国不動産大手・恒大集団。中国企業をウォッチし続けている立場から一つ気づいたことがある。創業者の許家印氏は2017年に中国富豪ランキングのトップだったが、2015、2016、2018、2019年にトップだった実業家はいずれも、中国政府の姿勢転換によって、頂点から引きずり降ろされた。許家印氏個人が同じ道をたどるのはほぼ間違いない。
現在の不動産業界「4強」の姿を描いた前回に続き、今回は、恒大が2010年代に急膨張し、軟着陸できなかった背景を分析する。
「CMより安い」ブランディングとしてサッカーに投資
大阪で開催された2015年のクラブW杯準々決勝で、広州恒大がクラブ・アメリカを破り歓喜する恒大サポーター。この時の恒大の監督は、元ブラジル代表監督のルイス・フェリペ・スコラーリ氏だった。
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中国では2016年から住宅購入規制が厳しくなっているが、厳密に言えば、最初に購入規制が発動されたのは2010年だ。その前の10年間で、既に価格が高騰し、投機的な動きも起きていた。新興デベロッパーはその波に乗って業績を伸ばし、恒大は2009年に香港で上場した。
2010年の不動産販売実績を見ると、恒大の売りが「価格の安さ」であったことが分かる。販売額では首位の半分にとどまるのに対し、販売面積はトップとほとんど差がない。翌2011年、恒大の販売額は4位、販売面積は1位だった。
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ブランド力の向上に向け、恒大が目を付けたのがサッカーだ。
中国はサッカー人気が非常に高いのに、自国代表は弱い。2010年の南アフリカ大会では、日本と韓国の2チームがグループリーグを通過し、自国開催以外で初の決勝トーナメント進出を果たした。一方中国は、プロリーグで不祥事が続発していた。
恒大は同年、八百長問題などでスポンサーが撤退した広州のクラブチームとスポンサー契約を結び、チーム名を「広州恒大」に変更。国内外から有力選手を爆買いして一気に強化した。許氏は、チームが強くなってニュースで取り上げられれば、CMより安くつくと考えたようだ。
投資効果はすぐに現れ、広州恒大は2011年から中国スーパーリーグで7連覇、2013年、2015年にアジアNo.1を決めるAFCチャンピオンズリーグで優勝した。日本で「恒大」の名前がまあまあ知られているのは、このサッカーチームのおかげだ。許氏の目論見は当たったと言える。
また、同業他社も同じことを考えていたようで、日本代表の岡田武史氏を監督に招聘した杭州緑城(現浙江緑城)をはじめ、スーパーリーグのオーナーの7割ほどが、建設・不動産企業だった。
ハリウッド爆買いで中国富豪トップになった万達
スペインのサッカークラブ、アトレティコ・マドリードに4500万ユーロ(約59億円)出資すると発表し、同クラブの首脳と記念撮影をする万達の王健林氏。2015年1月撮影。
一方、2010年に北京で始まった住宅購入規制は2011年に他都市にも広がり、不動産市場は一旦冬の時代に入る。恒大は2013年に不動産販売額で7位に後退したが、習慣化していた値引き販売をやめた結果でもあり、大手は成長や採算性確保のために、新たな一手を打ち始めた。
中国政府の海外進出戦略「走出去」という追い風もあり、海外投資に目を向けた企業も多い。その代表が、大型ショッピングセンターのデベロッパーとして有名だった大連万達集団(ワンダグループ)だ。
2012年に米映画館チェーン大手、AMCエンターテインメント・ホールディングスを26億ドル(約2900億円)で買収して世界の注目を集め、2014年にグループの不動産企業と中国最大の映画館チェーンが上場。創業者である王健林氏の資産は前年から倍増し、2015年、2016年にフォーブスの中国長者番付首位に立った(中国人としても初めて、世界上位20人に入った)。
王氏はエンタメと国外スポーツに強い関心を示し、ハリウッドの映画スタジオを買収したり、スペインのサッカークラブに出資した。2016年に開業した上海ディズニーランドへも対抗心を露わにし、「トラ1頭ではオオカミの群れにはかなわない」と国内13カ所にテーマパークを開業した。
資金を心配されても、「金がないなら借りるまでだ」と意に介さなかった。
不動のトップ・万科の経営混乱
上海の住宅エリア・浦西の2013年の姿。上海、北京、深センは住宅価格が高騰し、年収の30~50倍の水準で高止まりしている。
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しかし、万達と王氏の絶頂期は3年で終わった。2017年夏、外貨流出を懸念した中国政府が、金融機関に対し万達など海外M&Aを活発に行っていた複数企業への融資を制限するよう通達したのだ。
万達は借入金返済と現金確保のため、買い込んだ資産の放出を迫られた。国内のホテル76棟と13のテーマパークは、それぞれ同業大手の富力地産と融創中国に計1兆円で売却した。融創のトップ、孫宏斌氏は王氏から相談を受けたとき、「私が買うから恒大には売るな」と即答したという。
2013年以降の不動産販売額が4位、2位、5位と推移していた万達は、2016年に10位、2017年に22位と急落。コロナ禍でさらに海外資産を切り離し、今は中国トップ50位からも落ちた。短期間で世界をうかがう企業になり、同じスピードで中国・東北部のローカル企業に戻ったのだ。
2000年代から2015年まで不動のトップだった万科にも、同じころに異変が起きていた。
万科は2015年から2016年にかけ、深セン市に拠点を置く投資会社に敵対的買収を仕掛けられた。投資会社が筆頭株主になると、万科の創業者・王石氏は「野蛮人」と罵って徹底抗戦し、万科の経営は混乱に陥った。恒大がこの隙に万科の株を大量取得し、第3株主になったことも、争奪戦をさらに複雑にした。
最終的には2017年、恒大が当局の指導を受ける形で、万科と友好関係にあった国有企業に万科株を譲渡することで事態は収束したが、万科は相応の打撃を受け、王石も引責辞任した。
黄金時代終わっても借金体質変わらず
中国恒大は2016年の国内不動産販売額で初めてトップに立ち、創業者の許氏は2017年の長者番付で首位になった。
しかしそれは、万科、万達がそれぞれの事情で成長を封じられ、漁夫の利を得た結果でもあった。また、中国政府は2016年から再び住宅購入規制の強化に転じており、本来はこの時に、体質を変えておかなければならなかった。
事実、創業者からバトンを受け継いだ万科の郁亮氏は2017年の決算会見で「中国の不動産市場は黄金時代から銀の時代に移行した」と発言している。
中国での報道によると、恒大が本社を広州市から深センに移した2018年、許氏は碧桂園、万科、融創のトップと会食し、「不動産の黄金時代は本当に終わった」と確認したという。
恒大がその年にEVへの参入を表明し、北欧の自動車企業などを爆買いし、巨額の投資を始めたのは、不動産高度成長時代の終焉を見越してのことだった。ただ、「借りて、投資する」スタイルは変わらず、そのスケールが大きくなった結果、恒大の債務は日本円にして33兆円に膨らんだ。
万科が経営危機に陥ったときの有利子負債が2000億元(約3兆4000億円)で、当時相当騒がれたが、わずか4~5年でケタが1つ増えているのは、バブル以外の何物でもない。
冒頭で2015、2016、2018、2019年に中国長者番付トップに立った起業家が、いずれも厳しい状況にあると紹介した。2015、2016年は万達の王健林氏、2018、2019年はアリババのジャック・マー氏だ。アリババがこの1年で当局から巨額の罰金を命じられたり、子会社の上場を延期させられたのは、記憶に新しい。
中国はこの1年で、大きな節目を迎えているのだろう。だが、日本のバブルと同じで、気づいたときにはやや遅かったのかもしれない。
2017年に万達からホテルとテーマパークを買い取った融創と富力は、いずれも経営が苦しくなっている。特に富力は恒大より状況が深刻で、従業員数は2019年の半分に減った。
数年前に敗者となり、激しい競争から撤退した企業は今頃、「負けるが勝ち」と胸をなで下ろしているかもしれない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。