今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
経済再開が進むアメリカですが、あるアンケート調査によると、ビジネスパーソンの約35%が「オフィス勤務を強制されるならリモートワークができる他社へ転職する」と考えているそうです。物理的なオフィスがもはや人材を惹きつける要因にならないとしたら、会社は何をもって人材を惹きつければいいのでしょうか? 入山先生の考察に注目です。
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アメリカ人だって通勤したくない
こんにちは、入山章栄です。
日本もコロナワクチンの接種率が高くなってきました。そろそろリモートワークをやめて、オフィス勤務を再開する企業も出てくるころかもしれません。一方で、Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんによれば、アメリカでは「またオフィス勤務をするくらいならリモートワークができる他社へ転職する」という人が3割以上に及ぶそうです。
BIJ編集部・常盤
そうなんです。米国版Insiderの記事によれば、コロナ禍によってオフィス以外の場所でも仕事ができることが分かったため、約35%の人が「オフィス勤務を強制されるくらいなら転職する」と答えているそうです。
そうなると、グーグルやフェイスブックのように、これまで素敵なオフィスやカフェテリアなど物理的な魅力も優秀な人材を惹きつける要因の一つだった企業は、これからは何をもって優秀な人材を引きつければいいのでしょうか?
僕はアメリカに10年住んでいたので、通勤したくない気持ちは分かります。理由は2つあって、1つめは、「アメリカで働くと意外と勤務先が遠いことも多い」ということ。だいたいみんなクルマ通勤ですからラクそうに見えますが、実は渋滞がひどい。ボストンなんて街の中心部に入るだけで1時間かかることもあります。
もちろんそうでない場合もたくさんありますが、大きな会社になればなるほど、それなりの大都市にオフィスがあるため、郊外の住宅地からの通勤は、日本人が思うほどラクじゃないんです。
2つめは住宅事情です。アメリカはやはり国土が広いので家もそこそこ広い。今回のコロナ禍では皆さん、快適な在宅勤務ができるように工夫されたと思いますが、家の居心地がよくなれば、ますます通勤したくなくなる。
ですから日本でも、「35%」とまではいかないかもしれませんが、同じようなことが起きうるでしょう。
日本では「コロナ禍が収束したら、また毎日通勤してもらう」という会社も多いかもしれませんが、おそらくこれは終身雇用という暗黙の前提があるからです。日本の伝統的な会社には、「終身雇用があるから社員をどんなに酷使しても簡単には辞めないだろう」というマインドセットがありました。しかし在宅勤務を経験した今となっては、朝夕の満員電車で通勤するのは「酷使」そのものと言えるかもしれませんよね。
会社へのエンゲージメントが低下している
実際にいまコロナ禍をきっかけとして、人材の流動化が進んでいます。なにしろ毎日、自宅でパソコンの前に座っているだけだから、「自分は本当にこの会社で働いているのだろうか」という気がしてくる。そうなれば当然、自社へのエンゲージメントも落ちてきます。
副業をする人も増えていて、「アナザーワークス」という副業マッチングのベンチャーは非常に調子がいいと聞いています。
転職はどのくらい増えたかの正確な数字はないのですが、例えば僕が教えている早稲田大学ビジネススクールの入学志望者も、コロナ前と比べてさらに増えています。これはおそらく、「このまま一社で働いていていいんだろうか」「転職に備えてちゃんと勉強しよう」と思った人が増えているからでしょう。
これから転職するなら、「毎日オフィスに来い」という会社より、「基本的には自宅勤務でOK、必要なときに出勤すればいいですよ」という会社のほうがいいのは明らかです。
会社とはただの「概念」にすぎない
ところで僕は先日、日経テレ東大学の「FACT LOGICAL」というYouTube番組で、IT業界で有名な田端信太郎さんと初めてお会いしました。そのときの彼の発言でなるほどと思ったのが、「会社って何ですか」ということに関する話です。
「会社とは何か」とは経済学・経営学的にも重要な議論で、理論的にはいろいろと言われています。しかしポイントは、会社は所詮バーチャルなものにすぎない、ということです。「法人」ではありますが、何か物理的に実態があるわけでははない。
それなのに、例えば会社が倒産したときに「自分はこの会社に何十年も奉仕してきた。会社がなくなったら自分も死ぬ」というように思いつめてしまう人たちもいます。田端さんは、「我々の想像上の概念にすぎない『会社』と一蓮托生というのはどうなんでしょう」と問題提起をしていました。
一方で、尊敬する上司や好きな同僚は現実に存在する。だから「この人と一緒に働きたい」とか、「同僚たちがつらいときは助けてやりたい」という理由で働くのは理解できると田端さんはおっしゃっていた。僕もそれに同意です。大事なのは人であり、会社という実態のない概念ではないはずです。
僕がパーソナリティを務める文化放送のラジオ番組(「浜松町Innovation Culture Cafe」)でも、「会社やオフィスって何なんだろう」という議論になったことがあります。そのときのゲストは「チームスピリット」というベンチャー企業の創業者の荻島浩司さんと、ロート製薬の人事担当取締役の高倉千春さん。
このとき高倉さんは、「従来のオフィスとは、突き詰めれば『シマ』のことではないか」とおっしゃっていた。
シマとはご存知のとおり、同じ課やチーム単位で固めて並べられたデスクのこと。僕もかつて勤めていた三菱総研を思い出すとき、最初に思い浮かぶのは「シマ」の風景です。あのシマこそが職場であり、我々のアイデンティティはあのシマにあるわけです。
しかし今われわれの多くは職場の人たちと、SlackやZoomなど、ITシステムの中で交流している。もちろん店舗や工場などの現場が存在する職種もたくさんあります。しかしことホワイトカラーに関して言えば、これからの職場は「ZoomやSlackなどのシステム上にある」というふうになるのかもしれません。
そしてこれからは兼業や副業も当たり前になるでしょうから、一人で複数のプロジェクトに参加しつつ、自宅を職場にするという形が一般的になるでしょう。
これからは「人」や「ビジョン」で結びつきができる
社会システムが変われば人間の考え方も変わります。だから組織のあり方も時代とともに変化していく。
キャスリン・アイゼンハートという世界的な経営学者はある論文で、「企業組織を形成するドライビングフォース」を整理しています。それを応用して、僕自身は「企業組織のドライビングフォース(駆動力)は時代によって変わる」と言っています。詳しくは『世界標準の経営理論』をお読みいただきたいのですが、以下でごく簡潔に解説しましょう。
まず人類が文明を持ってから中世に至るまでの時代は、「パワー」が組織をドライブしていました。パワーを持った君主が市民から税金をとり、賦役・軍役を課す代わりに市民の安全や財産を守るという相互依存の関係をつくっていた。
それが産業革命以降になると、人類は資本主義や株式会社という発明をします。すると効率的な資源配分が重視されるので、ドライビングフォースとして「効率性」が重視されるようになってきた。今も会社経営には効率性が求められますが、それはこの時代をまだ引きずっているからです。
でもこれからは人が流動化する時代になってくる。つまり副業が自由になったり、一回辞めたけれどまた戻ってくる人もいたりして、会社の内と外の境界線がだんだんぼやけてくる。境界線がなくなる分、人と人とのつながりが大事になってくる。僕は、今後は「認知・アイデンティティ」と「ネットワーク」の組み合わせがドライビングフォースになると考えています。
つまりこれからの会社は人と人とのつながりによってゆるく結ばれて、「このへんまでがなんとなくうちの会社かな」みたいな曖昧な感じになっていくはずです。イェール大学のポール・ディマジオとウォルター・パウエルという社会学の研究者は、これを「ネットワーク・オーガニゼーション」と呼んでいます。
BIJ編集部・常盤
ということは、「これからの会社は優秀人材を何で惹きつければいいのか」という問いに対する答えは「人」ということになりますか?
そうですね。「人」、あるいはその人が持つビジョンや価値観に尽きるでしょう。
例えばBusiness Insider Japanなら、「こういう読者にこういう情報を届けたい」という思想やビジョンがあり、それに共感する人が集まってくる。コロナ禍では会社に集まることはまれで、それぞれが自宅で仕事をしながら、普段はITツールでコミュニケーションをとり合っている。これからの会社は、まさにこのようなネットワーク組織になっていくのだと思います。
大隈講堂、渋谷のハチ公、エッフェル塔
というわけで会社は概念にすぎないわけですが、オフィスをあまり活用しなくなった会社が物理的に人を引き寄せたいと思うならば、そこには何か概念を象徴するような実体が不可欠だと僕は思います。
例えば早稲田大学ビジネススクールも、今後は組織のあり方を変えていかなければいけない。そのとき早稲田の強みの一つは、「大隈講堂」という象徴的な建造物があることだと思います。
BIJ編集部・常盤
確かに、私も早稲田出身なので、あれを見ると「母校に帰ってきたな」という感じがします。
そう、大隈講堂とか大隈重信像のような、組織のアイデンティティを物理的に具現化したモニュメントが必要ですね。
ですからこれからは社員にオフィスに来てもらいたいのであれば、おしゃれなカフェテリアも大事だけれど、渋谷のハチ公のような、「この場所に来ないと触れない(見られない)もの」が必要になってくると思います。我々がなぜパリに行きたいかといえば、それはエッフェル塔やノートルダム大聖堂を見たいからでしょう。
だからもしも歴史や由来がない会社が人を集めたいなら、一緒にご飯を食べるとか、キャンプで焚き火に当たるとか、五感を共有することが必要になってきます。でもそれは毎回同じ場所である必要はないので、オフィスを所有する必要はますますなくなってくる。
一方、歴史のある組織であれば、創業時や成長期のエピソードを象徴するようなものがないかどうか、探してみるといいと思います。人間はやはり目で見て触れる実体に、心の拠りどころを求めるものですから。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。