撮影:高橋マナミ
私たちが当たり前のものとして受け入れている暮らしや働き方は、コンクリートの壁が内と外を隔てる「建築というOS」によって支えられている。環境にも人間の精神にも大きな負荷をかけている現在のシステムを問い直す「地球OS書き換えプロジェクト」が進行中だ。
プロジェクトに参画しているのは、隈研吾建築都市設計事務所、緑地事業を手掛ける東邦レオ、バーチャルとリアルの境界を越えるクリエーションを展開するパノラマティクスをはじめ、「バーチャルリアリティ」「エネルギー」「ウェルネス」などさまざまな分野の専門家らだ。
約1年前のプロジェクト立ち上げ以来、メンバーらは「建築」の領域を超えて、さまざまなテーマについて議論を重ねてきた。それを具体的な形に落とし込んでいくための、初の実証実験が2021年11月に予定されている。本格的な準備を前にした7月末、隈研吾建築都市設計事務所でシンポジウムが行われた。以下にそのレポートをお届けする。
いまある形での「建築」の否定
建築家の隈研吾氏。近年では国立競技場の設計にも携わったことが話題に。
撮影:高橋マナミ
そもそものきっかけは、2020年の夏にハーバード・ビジネス・レビューに掲載された、建築家の隈研吾氏のインタビューだった。記事のなかで隈氏は次のようなことを語っている。
「大きな“コンクリートの箱”とも呼べる建築が世界中を覆っていった20世紀。密閉された箱の内側を快適に保つため、その外部の自然環境は破壊され続けてきた。効率化と利便性を追求した結果、都市部に人口が集中し、地方は過疎化していき、人々は空間的にも時間的にも厳しく管理された働き方を強いられるようになった。
いわば建築というOSが可能にした、このスタンダードを疑問視する声はこれまでもあったが、新型コロナウイルスの世界的な流行以来、より多くの人が切実に変化の必要性を感じている。自然との共生を可能にする建築のあり方を模索し、暮らし方や働き方の根底にあるOSを書き換える時期に来ているのではないか」
——『ハーバード・ビジネス・レビュー』より抜粋
「脱コンクリート」「脱大箱」という、隈氏自身が身を置く建築の世界を否定するかのような言葉に刺激を受け、隈氏にコンタクトをとったのが東邦レオ株式会社 代表取締役社長の吉川稔氏だった。
東邦レオは、ビルの屋上や壁面の緑化事業や、広場や公園の開発を手掛ける企業。ランドスケープの設計に携わってきた吉川氏もまた、気候変動、人々の暮らし方、気持ちのいい空間とは何かということに常々関心を持っていた。
「建築と情報」「リアルとバーチャル」を融合させる
隈氏が記事のなかで示した概念を具現化しようという、吉川氏の提案から「地球OS書き換えプロジェクト」が始動した。イメージを膨らませていくなかで浮かび上がってきたのは、各地に散らばる拠点をデジタル技術でつなぐという構想だ。実際の建造物はミニマムにしつつ、離れた場所にいる人々があたかもひとつの空間にいるような状況をつくれないだろうか?
「人が持ってる熱量の交換ができたらいい。バーチャルの世界の中ですべて完結するゲームの世界のようなことではなくて、地域ごとに人やリアルなコミュニティが存在してほしい」(吉川氏)
リアルとバーチャルを融合させるため、吉川氏がプロデュースを依頼したのが、建築とデジタル技術の両方に詳しい齋藤精一氏だ。
齋藤氏は、東京理科大学とコロンビア大学で建築を学んだ後、2006年に株式会社ライゾマティクスを立ち上げ、メディアアート・広告・エンターテインメント・建築・都市開発まで幅広い領域でクリエーションを手掛けてきた。現在は株式会社アブストラクトエンジン(2021年にライゾマティクスから社名変更)の代表取締役および、その建築部門であるパノラマティクスの主宰として、スマートシティ実装や地方活性化にも取り組んでいる。
拠点ごとの文化を反映する「食卓」
リモート登壇したパノラマティクスの齋藤精一氏。シンポジウムの様子はオンラインで配信された。
撮影:高橋マナミ
人類の歴史を通じて、気候風土も文化も異なる場所に住む人どうしが、特産物などを交換して生きてきた。従来からの手法に最先端のデジタル技術を掛け合わせ、新しい経済連携の仕組みを考えたいと齋藤氏は考える。
地域ごとに、そこに住む人の生活や労働、地元ならではの食、建材、エネルギー源などで形成される自律した循環経済(サーキュラーエコノミー)がある。それらをデジタル技術でどう結ぶか? 議論のなかから浮かび上がってきたのは、各拠点の中心にそこのカルチャーを反映させる「食卓」を設え、ディスプレイで拠点どうしを繋ぐという案だ。
「ロングテーブルと呼んでますが、違う拠点のカルチャーをディスプレイなどの方法で24時間つなぎ、情報やモノ、どういう人が集まっているのか、どういうことが行われているのかを共有できる状態で実験ができるといいなと思っています」(齋藤氏)
空間を無視して繋がることには危うさもある
独立した拠点どうしがネットを介して結ばれる「自律分散型」のシステムについて、「スケールの問題がひとつのテーマになっていくのではないか」としたのは、バーチャルリアリティやテレプレゼンスを専門とする、東京大学先端科学技術研究センター名誉教授の廣瀬通孝氏だ。
例えば、極端なインドア派の人ならば、ファーストクラスのような快適な椅子があれば充足できるかもしれない。そんな最小限の空間から、自宅、施設、ローカルコミュニティ、都市というようにスケールを広げられる。廣瀬氏はまた、情報技術には危険な部分もあると指摘する。
「一気に世界と繋がるのは良さそうなことのように見えて、原子炉の暴走みたいなところがある。仲のいい人達が外の空間を無視して繋がっちゃうんであれば、地域社会を壊す方向にも行きかねないですよね」(廣瀬氏)
新しいシステムを設計・運営していく上で、データやエネルギーの利活用を含め、さまざまな階層におけるルール作りがカギとなることが、廣瀬氏と齋藤氏との対話で共有された。
コロナはフィクションにとどめを刺した
東邦レオ株式会社 代表取締役社長 吉川稔氏。
撮影:高橋マナミ
シンポジウムの終盤では、隈研吾氏と吉川氏の間で「脱コンクリート」の意味や、今回のプロジェクトで追求していくテーマについて話し合われた。
新型コロナウイルスのパンデミックは、人間が都市に集中する危うさを浮き彫りにした。自然と隔離された人工空間にいても病気を逃れられないし、むしろそうした環境がウイルスの増殖を促してしまう。
いまの暮らし方や働き方が確立されたのは、工業化や資本主義経済が高度に発達してきたこの100年程度のことにすぎない。20万年とされる人類の歴史のなかでは本当に短い時間で、昔ながらのスタイルに戻るのはそんなに難しくないのではないかと隈氏はいう。
「都市に集中するほうが効率的に仕事ができるというのは、バーチャル社会の原理から言ったら全くそんなことはなかったわけですよね。理由もなく集められて、電車の中に詰め込まれて、高いマンションを買わされるような感じのフィクションをずっと僕らは走り続けてきたわけで、これの根底っていうのは意外に脆いと思います」(隈氏)
さらに「コンクリートは建築家をいびつにした」と隈氏は指摘する。まともなビジネスとして見られるのは大規模建築や都市開発を手掛ける大企業だけで、街の大工や職人が軽視されるようになってしまったと。
「日本でも木造建築時代はコミュニティの中に大工さんがいた。特権的な人じゃなくて、フラットなコミュニティの一員としてデザインも施工も行われているから、すごく健康的な街ができているわけですよね」(隈氏)
吉川氏も、数年前に訪れたカンボジアの村では、建設業を職業としている人はおらず、村の男性全員が家をつくるための技術を身につけていると話した。今回のプロジェクトでは、効率や経済の原理だけに支配された20世紀的なフレームを捨て、建築の民主化を目指していく。
「神の視点」から、地面にどこまで降りてこられるか
当日交わされた議論はグラフィックレコーディングで可視化された(部分抜粋)。
作成:殿前莉世
20世紀的な都市計画や建築は、上から俯瞰的に捉える「神の視点」でデザインされていた。「自分の空間を自分で定義する」民主的なアプローチをとるならば、これまでとは逆に低い目線で世界を捉えていくことになるだろう。
従来はマスを動かすためには俯瞰的な視点が必要だった。だが、すでにIT化が進んだ世界では、個々の人間の行為の集積が巨大なビジネス効果を生むという構造になっていて「都市計画とか建築の世界だけが取り残されている」と隈氏はいう。
地面レベルの出来事をスキャンすることは技術的には可能で、上からの景観とは全然違うレベルで全体を把握できる。IT技術の存在感が高まり、住まいや働き方を見直す機運がコロナを期に広がった。今後、都市計画の新しいスタンダードを模索するための「面白い混乱」があちこちで見られるようになるのではないか。
移動で磨かれる、精神的な成熟と身体的な健康
「一極集中から自律分散へ」という方向性は良いとして、各地に散らばった人たちが一箇所に留まって情報が集まってくるのを待つだけというのはどうも違う。プロジェクトメンバーの間で議論されてきたもうひとつのポイントに「移動」や「旅」がある。
「(人類の)20万年の歴史を考えてみると、移動することで環境が変わることが重要だった。季節ごとに食べ物がおいしいところに仲間と移動しながら、いろんなことを確認して情報交換して、どんどん知が蓄積する」(隈氏)
コロナ危機で家に閉じこもって気づかされたのは「移動が精神的な成熟や、身体的な健康のベースにある」ということ。今回のプロジェクトでは、自由な移動を前提とするリモートを目指したいという。
山・海・下町に住む人々が一緒に暮らし、学び合える環境
グラフィックレコーディングより部分抜粋。
作成:殿前莉世
11月の実証実験では、東京大学のキャンパスをはじめとして、海辺や山間部の自然豊かな土地、昔ながらの下町など4、5箇所に拠点を設ける予定だという。拠点ごとに「ロングテーブル」や「ひさし」などの最小限の道具立てでつくり、そこで地域ならではの「食」や「文化」を囲んで人がつながる。離れた拠点にいる人どうしが、隣り合わせに生活しているような環境と、互いに刺激しあえる「学び」のための仕組みをつくる。
「試行錯誤を重ねるなかで、新しい出会いや、想像もできなかったことがたくさん起こるだろう」と隈氏はいう。地球の新たなOSを設計する試みが、今後どのように発展し、社会を変えていくのか、楽しみにしたい。
MASHING UPより転載(2021年8月6日公開)
(文・野澤朋代)
野澤朋代:フォトグラファー、翻訳者、ライター。趣味は散歩と語学学習。